努力することの難しさ
前回、僕は努力の続け方を書くと言って終わりました。
いきなりではありますが、前記事までも努力してきた。と書いてる場所も多くあるのですが、「努力」という言葉以外で上手く伝えられないので、こうやって文字に起こしてしまっているのですが、頭の中の自分の言葉をそのまま書き起こすならば、
「努力しなければならないようなものでは、成果も出なければ、自分が納得出来るような結果を残すことは出来ない。もし成果や結果が出たとしても、それをずっと続けることは出来ない。」
と思っています。
野球しかり、FXしかり、ダイエットしかり、振り返ってみても、僕は努力したとは本当は言いたくない。
頑張った!努力した!という言い方になっいましたが、
「なりたい自分になる為に、他の事にも目もくれず、ただ自分の好きなことを四六時中やってたら、勝手に出来る様になった(目標を達成出来た)だけ。」
なので、努力をしているという感覚がないんですよね…
好きなことをやってるだけだから、頑張らなきゃ!とか思わなくても、自然と身体がやりたくてウズウズしちゃってる感覚ですw
ただ、やはり人間ですから、長く続けてくると途中でダレてしまったり、モチベーションが上がらない時は当然あります。
その時は、一旦その物事と距離をおいて、自然とやりたい気持ちが出るまで待つか、ここで初めて「初心を思い出す」努力をします。
もしここで気持ちが再燃しないようなら、もしかしたらそれはもう、自分の中で燃えカスのようになってしまってる可能性が高いとも思います。
その時はもう、諦めて違う道に行った方がいいとさえ思います。
選択肢はたくさんあるので、自分の気持ちが燃えなくて、好きだったことをまた好きになれなかったり、向上心を失ってしまった時は、それは終わりのサインだと僕は思っています。
よく、一年は続けてみなきゃわからないだろ!とか、最近の若者は我慢が足りない!とか言われますが、自分の気持ちに気づくのが早いことはいいことだと思います。
しかし、例えばそれが仕事だったとするならば、その時に言い訳がましく辞めたり、何か悪いんですか?みたいな横柄な態度でやめるのではなく、ちゃんと相手に理解をしてもらえる努力はするべきだと思いますし、人として最低限の常識かとも思います。
人は真摯に向き合って誠意を伝えれば、その気持ちに応えてくれる。
中にはどれだけ言ってもわからない人もいますが、それはその人を納得させられない自分の力のなさに苛立ちを覚えるべきだとも思います。
自分自身を成長させるように、毎日自分磨きをしていれば自ずと、全てのことは自分にも責任がある。
ということに気がつくと思います。
話が少し逸れましたが、まとめとしては
「とにかく好きなことをやる。やりたいようにやる。(人に迷惑をかけない程度に)」
これだけだと思います。
そうすれば必ず、気がついた時には人が追いついてこれないほどの距離を走っていることになっているはず。
もし、何かに躓いている方がいたら、今一度、自分の心に聞いてみてください。
自分はまだその物事が大好きで仕方ないか?もっと上手になりたいか?強くなりたいか?
もし、この事が当てはまらなかったら、次の好きなことを探してみるのも一つの手だと思います。