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野球を始めたキッカケと入部までの経緯②

両親と固い約束を交わし、無事に野球を始めることを許してもらえたが、入試試験まで、残り4カ月ほどしかない状況に追い込まれていたのにも関わらず、僕は志望校が決まらないでいた。

あれだけの啖呵を切った手前、やめることは許されない。そしてエースになるとまで言い切った。勉強できる期間も短い。

全くの無名校へ進学し、弱小と呼ばれる所でやる方が可能性は高い。

でも、僕のプライドがそれを許さなかった。さすがに強豪校へ行った所で3年間草むしりで終わってしまう可能性が高いことも重々理解していた。そこで目をつけたのが、ここ10年で大体ベスト16付近にいる高校だった。

その中から見つけたのが、過去甲子園に出場経験があって、今はあまりあがってこれていない学校、ここ数年で毎年ベスト16以上に残っている学校、大体平均してベスト16付近にいる学校の3つだ。

学力的には大差はなく、ある一定の点数さえ取れれば、全てクリアできる場所をピックアップした。

小学生の時は塾と家庭教師をつけられ勉強をせざるを得ない環境だった為、成績はかなり上位だったが、私立の中学に上がると、周りの頭の良さが圧倒的すぎて全くついていくことが出来なくなり、下から数えて20番以内にはいたと思う。

恐らく地元の中学の中でもかなり勉強が出来ない方に属するほど落ちぶれていた。しかし、高校に受からないと、そもそも野球云々の話ではない。

僕は再び母に頭を下げた。

「明日から学校にはいかない。その代わり塾に通わせてほしい。そして、朝から夕方までは野球の練習をさせてください。ワガママなのはわかってるけど、本気でエースになる為に、1人で練習しながら、入試の為に勉強する時間を使わせてほしい。」

もし、自分に子供が出来た時にこれを言われたら、OKと言えるか正直わからない。

しかし、母は僕がそう言うのを理解していたのかもしれない。

「わかった。塾は私が探しといてあげるから、あとは好きにしときなさい。」

本当に両親には頭が上がらない。何も言わず、全てを許容してくれた事を今でも感謝している。

そこから僕は練習と勉強を1日も休む事なく続けた。

朝9時に起床し、そこから昼過ぎまで壁あてや素振り、昼食をとって夕方まで同じことを繰り返す。

父が帰ってきて、塾がない日にはバッティングセンターへ連れて行ってもらい、2時間ほど打ち込み。

帰ったら、晩ご飯を食べてお風呂から出たら机に向かう。

勉強に関しては、大体22時ごろから始めて24時で30分休憩し、そこから3時までやって4時前に就寝。

ちなみに、塾がある日はバッティングセンターは行けないので、部屋で素振りをしていた。

余談だが、勉強する時間が短いのは、どうしても嫌いなこととなると、長時間の集中がもたないから、短時間で一気にやる方が効率が良かったことと、ラジオで「オールナイトニッポン」を聴きながらやると、集中力が高まっていたので、ルーティン化されていたのもある。

話は戻るが、日曜日は近所の大きな公園に行き、父親と野球経験者の友達を連れて、打者を立たせての実戦をするということもしていた。

その間の話が1つあって、私立の中高一貫教育の学校では、通常途中で抜けていく生徒というのはほぼおらず、あるとすれば、親の転勤、途中で肌が合わず退学、もしくは問題を起こしての退学、の3パターンしかあまり聞いたことがない。

そのせいなのかはわからないが、中高一貫教育で、高校受験をするとなると内申点がかなり低く出されてしまう傾向があるんだ、ということを塾の先生から教えてもらった。

だから、公立中学から試験に受かる場合より点数が必要だから頑張れ!と言われていた。

そして、学校に願書等をとりにいったり、受験の旨を伝える為に学校へ行くことがあったのだが、その時の担任から言われた言葉がある。

「うちの学校で下から数えた方が早いのに、今から勉強をして、受験に合格しようという魂胆が甘すぎる。それに加えて、野球をやる?正気か?たとえ高校に受かったとしても、1年も持たずに無駄な時間を過ごすだけだぞ。」

僕は即座に言い返した。

「先生が思う常識なんてそんなもんでしょうね。僕はそんなしょーもない常識の中で生きてないんで。受験する高校にも全て受かるし、僕は必ずエースになります。」

厨二病全開である。

当たり前だが、担任はあきれていた。

そして、毎日血の滲むような努力をした結果、僕は受験した高校全てに合格をした。

後から言われたのだが、母はその時に「これなら、野球も続けられるかもしれない。」と思ったそうだ。

逆に父は何も思ってなかったそうw

僕は色々迷ったが、毎年ベスト16付近にいる学校を選び、そこで晴れて野球部員になることが出来た。

そして、前の記事でも書いたことがあるが、僕は1年生の段階でベンチ入りをした。

実はその時に担任から手紙が届いた。

「あの時はあんな言い方をして申し訳なかった。普通に考えれば、ほぼ確実に無理だと思っていたけど、大会メンバーの中に君の名前が入っていて驚いた。君なら本当に、エースになれるかもしれない。諦めずに、君の強い意志を貫き通して頑張ってください!」

と、書かれてあった。僕は正直驚いた。あれだけ否定をされたが、ちゃんと努力をして結果を出せば、見てくれてる人はちゃんと見てくれるんだということを学んだ。

そこからの話は前の記事にあるので、興味のある方は読んでみてくださいね!

ちなみに、入学する前の1人での血の滲むような努力をしたつもりでしたが、高校3年間では、その努力を遥かに超える、血を吐くほどの努力になりました(苦笑)

僕が一貫して言いたいのは、努力を始めるのに遅いとかは言い訳でしかなく、本気でやりたいことがあるならば、全力でそれに取り組むことが重要で、努力の方向を間違ってさえいなければ、必ず結果は出るということです。

もし、何かをやろうとしている人がいるならば、何かを犠牲にすることは仕方がないので、未来の自分の為に時間と努力を投資してみると新しい世界が見えると思います。

全てを手に入れることは出来ないので、必要な物をピックアップして、その時の最善を尽くしてみるといいと思います。

次回は、僕の思う「成功への道筋」について話していきます。





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