見出し画像

力の防御的な使い方

私が学び、実践しているNVC(非暴力コミュニケーション)には、力を使うときに、それが人に罰を与える形で使われているのか、それともそうでないのか、を分けて考えます。

その分けた先に、「防御的な力の行使(Protective Use of Force)」と呼ばれる力の使い方があります。

この記事で、何がそれに当たるのか、を書いてみます。

* ちなみに、私は認定トレーナーではないので、この記事で書いている
  ことはあくまでも私が学んできたことと、私の見解をもとにして書いて
  います。そのため、NVCの学びの場で見聞きしたことや、これまでの
  経験で違う体験・見解を持っている人は、「私の場合はこうだよ!」
  と教えてください。私の探求・究のニーズが刺激されます❤️

相手の健やかさが大切、という私のニーズ相手がやろうとしていることを止めることは防御的や否や

去年くらいに、ある友人に「どう思う?」と言われてからずっと探求・究し続けていたシナリオ(状況)があります。

それは、「身近な人がアル中で、今まさにお酒を飲もうとしている。アルコールへの依存も心配だし、その人は肝臓癌も患っている。そこでお酒を取り上げるのは「防御的な力の行使」や否や?

さて、どう思いますか?

⏳  ⏳  ⏳  ⏳  ⏳ チクタク サラサラ….

あるNVCプラクティショナーさんは、「私は道徳的価値観(いい悪い)で判断してその人からお酒を取り上げるのではない。これは純粋に自分のニーズ、健やかさやその人へのケア、共にいたいというニーズから来ているのだから防御的な力の行使」と言ったそうです。

私は、「その人がアルコールを飲まずにいられない状況を解消せずに、その人が自分のニーズを大切にするために、少ないかもしれないけれど手持ちにある手段から選んだ『アルコールを飲む』という手段だけを取り上げるのは、なんらその人の健康に寄与しないばかりか、危険である可能性もある。そもそも、その人の自主性や、死ぬことがわかっていても飲むことを選択するかもしれないその人の意思はどうなるのか?」と考えていました。

このように、私の中では、「それは防御的な力の行使ではないのではないか?」という方がしっくり来ていたのですが、それがマーシャルが伝えたかった「防御的な力の行使」とのintegrity(NVCの根本や全体性と一致するか)はどうなんだろう?というのがわからないままでした。

力を防御的に使う

ちなみに、「NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法(以下「NVC本」)」の第12章は「力を防御的に使う」というタイトルで、この「防御的な力の行使」について書いてあります。

この章を先日、とある会で読んでいて、「懲罰的な力の行使はわかりやすいけど、防御的に力を使う時ってどういう時よ?がわかりにくい」ことを言語化しスッキリ。

「懲罰的な力の行使」は、「悪い人だから罪を犯す」そして「あなたは悪いことをしたから罰を与える」という「力を使う」という定義。つまり、「善悪や道徳的価値観、社会的、文化的価値観からくる『これは許容できるけど、それはダメ』という評価を下し、責めたり非難したり心理的・肉体的な『懲罰』を与える形で力を使う」ことであることが明確に書かれています。(NVC本 P315-317)

一方「防御的な力の行使」は、「被害あるいは不正を防ぐことが目的だ」や、「子供が道路に駆け出した時に怪我を防ぐためにつかむのは、防御的な行動である。(中略) 相手に対して、あるいは相手の振る舞いに対して評価を下してはいない。通りに駆け出そうとした子供を非難したり責めたりはしないのだ。ただ、その子を危険から守ることしか考えていない」

「力を防御的に使う背後には、人が自分や他人に害がおよぶかたちで振る舞うのはなんらかの無知が原因だという前提がある。(後略)」
(NVC本 P314)
などと書いてあるが、「いい悪いで判断して罰として与える『懲罰的な力の行使』でないもので、『強要』か『防衛的な力の行使』か?となるケース(上のアルコールの場合)はどう明確に線引きするのか?」といった疑問が湧き、それに関しては自分の中でもこれとという決め手になる見解も出ず不明なままでした。

(必殺技)アセッサーに訊いてみた

折りしも、アセッサーのジムとのミーティング(*)があり、その前のグループミーティングでも「Power(権)力」と「Force力」の違いは?などの話も出ていたので、私の中で「これははっきりさせたい!!」となり、いつも短い時間の中で「どの質問をしてどの質問は他の機会にするか」と自問自答をして質問を選んでおり、今回はこれも訊いてみました。

その時に「マーシャルが言っていたことで僕も合致していることがあってね…」とシェアしてくれたことが、めちゃくちゃ明快で腑に落ちたのと、ジムが「君は英語でしかアクセスできないものを日本語にして日本のコミュニティに伝えたい、と言っているよね。これも日本語にして伝えて欲しい」とわざわざ言ってくれたので、今回noteに書き加えました。

私(ジム)にとっては、力の防護的な行使に関する区別は、NVCで最も誤解され、誤用されやすい概念のように思われます。

自分の好みを満足させるために他の方法が思いつかないときに、力の防御的行使をするのだと説明する人を聞いたことがあります。

マーシャルは防御的な力の行使を行う状況は非常に限定的だと指導(原語はcoach)しました。

1. 生命、健康、または権利(人権など)に対する差し迫った脅威がある。
2. 相手につながろうとしたり、コミュニケーションをとる意思がない、
 または相手との間にその機会がない。


「防御的な力の行使をするとき、私たちは、相手や行動を判断することなく、保護したい生命や権利に焦点を合わせているのです。」
                       (マーシャルの言葉の引用)
                    (太字は私が太字にしたもの)

防御的な力の行使の前提は、人は何らかの無知によって、自分や他人を傷つけるような行動をとるということである。その際に、それを矯正するプロセスは教育の一つであり、罰ではない。この場合の無知とは、(1)自分の行動の結果に対する認識の欠如、(2)どうすれば他人を傷つけることなく自分のニーズを満たせるか分からないこと、(3)他人が罰せられるに「値する」し、自分には他者を罰したり傷つけたりする権利があるという信念、(4)例えば、誰かを殺せという声を聞くような妄想、などが含まれる」。  
                    (マーシャルの言葉の引用)
                    (太字は私が太字にしたもの)

Jim Manske and Marshall B. Rosenberg Ph.D

*アセッサーとのミーティング:NVCでは認定トレーナー制度があり、
 認定トレーナー候補生になる道を選んだ人は、
 認定トレーナーとして①トレーニングしていけるスキルと能力があるか、
 ②NVCを理解しているか、③NVCを日々実践しているか(NVCを生きてい
 るか)
 を確認する役目を担ってくれるアセッサーと共に認定トレーナーへの
 プロセスを歩みます。
 そのため、どのアセッサーもそう、とは限りませんが、ジムは候補生と
 定期的にミーティングをし、アセッサーと候補生の人間としての関係性を
 築きつつ、候補生の現在地を確認したり、探求・究のサポートなどを
 お願いしたりする時間を持ちます。
 その時間をどう使うかは、候補生がイニシアチブを取り、アセッサーとの
 パートナーシップの中で協働する時間になります。

冒頭の問いは防御的や否や

つまり、マーシャルとジムの言葉を借りれば、「アルコール中毒の人が目の前で今やお酒を飲まんと」している状態が、1と2に該当するか?を自問します。

そして、ジムはさらに例を出して説明してくれました。

a. その人が、アルコール依存をしていて、身体も肝臓癌を発症しているなど 
 だとしても、その人は今急に生死に関わるわけではない(1が適用されな
 い)。また、その人が話せる状態で、対話に応じてくれるようであれば、
 2も適用されない。

b. 以前アルコール依存があって、これまで10年間一滴も飲んでいなかった人
 が、いま絶望していてアルコールに手を伸ばそうとしている。そこに居合
 わせたら、この一杯を飲んだらどうなるか、と想像し、まず緊急にその
 アルコール摂取を阻止しようとするとしたら、1と2が適用される、と
 言えるかもしれない。
 また、望ましいのは、阻止した後につながりの質を築くこと。なぜそうし 
 たのか、それを相手と話せるとその人自身も「取り上げられた」などと
 解釈・判断する可能性が低くなる。

もちろん、ケースバイケースなので相手その人自身や、相手との関係性、その他の状況、環境などにもよるのでbですら一概に「防御的な力の行使だ」とは言えないけれど、aとbの違いが伝わるでしょうか?

現時点での私の見解

ようやく私なりの見解が出せるくらいには私の中で「防御的な力の行使」の定義が明確になりました。

ジムとマーシャルの言葉やジムの例を元に、自分の中で懲罰的な考えやエネルギーがないことを確認し、さらに相手が判断できない状態か、今すぐ止めないと相手の健康やいのちに差し迫った脅威があるのか、そして相手は話し合いに応じてくれる意志があるか、などを確認し、その上で本当に瞬時に物理的な力を行使する必要があると判断した時に、自分のニーズとつながりつつ言動する、そして、その前に築けていなければ、その後でもつながりの質を築こうとしよう、と思っています。

リクエスト

読んでいるみなさんにも明確になっていることを願っています。
分かりにくかったら、どのあたりか、とか、どう受け取ったか、などをお知らせください。
私の言語化の練習に役立つので、ぜひフィードバックを送ってください🙏❤️

おまけ

この投稿の写真の状況だったら、どうする?
放っておく?
どっちかを抱き抱える?
間に板を置く?
「力の行使」として他にもいろいろな手段がありそう。
そしてそれは、防御的や否や?😁

おまけのおまけ


どうする?は、無限にあると思っています。
そもそも、言動する人とこの猫と鶏の関係性と、前から知り合いなのか(過去の経歴を知っているのか)、この後喧嘩になったらどちらかのいのちがやばい感じだと思っているのかどうか、などなど…。
そして、必ずしも言動が「懲罰的か」「防御的か」の2つに分かれるわけでもなくて、リクエストや強要や、素通りや、戻って見守る、やらなんやら、たくさんのことがその周辺とその間に星の数ほどありそうです。人それぞれ、必ず毎回同じ経験と考えをする人がいないように、気分や環境など無数の要因と無数の経験によって言動が変わるでしょう。
しかも、人間だけが力を使うのではなく、猫か鶏が力を使うかもしれません。
その時には、懲罰的ではなさそうだけど(猫は「悪い鶏め、またきやがったな」と思わないだろうし、鶏も「うわ、面倒なやつに出会っちゃったな。悪そうな顔だなー」などとも思わないだろう、と勝手に推測。知らんけどw)、防御的とも限らず、いきなり猫がまさかの「見なかったフリ」をするかもしれなくて、肩透かし〜な力の使い方をするかもしれません😂
さらにさらに、力を使われた側がどう受け取るか? 防御的だと思わず、なんか叱られた気分になったり、罰を受けたと受け取る可能性もあります。自分の意図はもちろん出来るだけプロセスしてこれだ!とやりたい。それでも、相手との「つながりの質」が一瞬でも願うものとは違うものになるかもしれない、そんなこともあることを知りつつ、力を使った後でもつながりの質を共に育てていくことができる、修復的な世界を願いながら生きていきたいなぁ、と、そんなことも考えながら、私ならこの猫と鶏に出くわしたらどうするかなぁ、といく通りも考えて遊んでいます🐈🐓💁‍♀️


サポートありがとうございます。 いただいたサポートは情熱をもって学んでいるNVCの講座参加費とカウンセラーコースに使い、さらにnoteに学びを還元、循環します❣️ たくさん書いてたくさん学びに使いたいと思っています。応援📣よろしくお願いします。