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マルティン・ブーバーの我と汝
NVCの本P166に書いてあるマルティン・ブーバーの「我と汝」について、私の理解を書いてみます。
私が書きたいことの記載箇所はここ(P337にも関連箇所あり):
オーストリア生まれのユダヤ人哲学者マルティン・ブーバーは次のように述べている。「同じように見えても、人生におけるあらゆる状況が、生まれたばかりの赤ん坊のように新たな顔をもっている。それは、これまでもなかったし、これから遭遇することもないものだろう。それは、まえもって準備することができない反応をあなたに要求する。過去のことは何も求めない。求められるのは、ただそこにいるということ、責任、そしてあなた自身だ」(マルティン・ブーバー著、植田重雄訳『我と汝・対話』岩波文庫)
これ、読んでいるだけだとわからなかったので、”マルティン・ブーバー「我と汝」”で検索して出てきたものをいくつか読みました。
ここからは私なりの解釈です。
我=A
として、
汝=B
とした時、
この瞬間の我Aは汝Bとのやりとりによって、瞬間瞬間変化して我A'になり、汝BはB'になる。
つまり、AとBとして関わっているうちに、それぞれが変化していく。
また、AとBが会っていない時にも何かしらが生じて(考えて何かに思い至ったりも含めて)、A'はA''になり、B’もB''になりえる。
そして、
我=A
と、別の人、
汝=C
とのやりとりでは、
この瞬間の我Aは汝Cとの関係性の中にいるため、汝Bのやりとりと同じ我Aではなく我A1となっていて、さらに、汝Bと共にいた後だとしたら、我A"1に変化している。
そして、瞬間瞬間変化して我A"1'になり、汝CはC'になる。
その後、
我=A
と
汝=B
がまた会う(やりとりする)時には、
我=A”1”
と
汝=B”1”1”
が関わっている可能性が高い。
こんな思考から、かくして、マルティン・ブーバーの言う「同じように見えても、人生におけるあらゆる状況が、生まれたばかりの赤ん坊のように新たな顔をもっている」で、「自分も目の前の人も瞬間瞬間変わり続けている」ということ、そしてそれを踏まえてやりとりする必要がある、1秒前でも過去に起こったことは過去のこと、今はこの瞬間に自分としてただそこにいて、ただそこにいる相手と関わる(やりとりする)、ということを捉えています。
そして、これを知ってから、実際に毎日の自分も相手も一期一会だなぁ、と感じるようになりました。
これも私にとって「人生を豊かにし、素晴らしくするスパイス」の一つです。
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