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夢の話

風邪を引いた。数年前にイギリスで買った、大きすぎる、派手すぎるカプセルを飲んでいる。わたしが薬をデザインするとしても、赤と緑のツートーンにはしないだろうな……と思いながら、箱に書いてある半量を飲んでいる(あまりにもカプセルが大きすぎるのだ)。

なんで風邪を引いたのか。考えても仕方ないことだけれど、もしかしたら数日前、木枯らしの吹く代々木公園で話し込んでいたからかもしれない。晴れていたけれど、あの日は寒かった。体調管理に気を使っていても、そういうことをしてしまうからダメなのだ。

公園のベンチで、わたしたちは夢の話をしていた。

もうそんな年齢でもないけれど、でもたしかにそれは、そうと呼ぶほかない話題だった。ビジネスとしての成功や、現実的な目標よりも、夢と呼ぶのが正しかった。自分にも、まだそんな欲があることにも驚いた。
わたしの口を出たのは「本を書きたい」だった。

どんな本を書きたいの?と聞かれると困ってしまうから、本当に茫漠とした思いつきなのだけれど、おそらく真面目な役に立つ内容ではなく、独り言の積み重ねのようなものが書籍という形式になったらよいな、というささやかな、そして身の程知らずな思いがある。

ベストセラー本や、平積みされるようなものを目指す気は毛頭ないし、当たり前ながら最初からこんなことを言っていては、この出版不況で書籍という形態で発売してもらうことは厳しいのだろうけれど、そんなことを思っている。

おそらく自分にとって一番重要なのは、最終的にその本が図書館の一部になって空間に溶けることだ。

世界にはもう、一生かかっても到底読み切ることは不可能な量の本があり、それは日々増え続けていて、途方も無い知の体系となっている。なかにはとんでもないウソもあるだろうし、人を傷つけるものもあるだろう。同時に、歴史の重要な秘密もあるし、多くの人を支える一文もある。ページ数は様々で、実話もフィクションも混在している。

地球上に存在する様々な文字が、言語が連ねられ、一冊という単位に束ねられている。それは人間という存在を含む、この世界の膨大な軌跡だ。そしてわたしにも、可能ならばその世界の記録係の一端を担えたのなら、という希望がある。

もはや読まれなくてもよいのかもしれない。いや、もちろん、読んでもらえたらうれしいけれど。それでも、どこかに存在するもはや空想上の空間に近い、世界中の本の集まる図書館の書棚の一部にその本が馴染んで、両隣の書籍と仲良くしてくれたなら、自分の人生には悔いは残らないかもしれない。

そのための努力はしているのか?などと聞かれたら泣いてしまうけれど、ときどきは自分の独りよがりな感情に素直になってみると、忘れていたことも思い出せる。

あなたには夢が、ありますか?

がんばって生きます。