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FIREだけに色々と可燃性の高い失敗談...


単なる長期休暇と何が違う?

 先日、アベプラにてFIRE(経済的自立と早期退職)の失敗談が取り上げられ、予想以上にカオスで、どこから突っ込めば良いのかわからない、可燃性の高そうなコンテンツになっているように個人的には感じた。

 というのも、以前の記事で「FIREを謳うネット住民の多くが、仕事が嫌だからそそくさと辞めたのを、都合良いように解釈してFIREと言っているように捉えられても、致し方ないような玉石混交具合となっているのが現状」と記した状態から、アベプラの動画を見る限りでは、何ら変化していないと感じたからだ。

 私は20代半ばで身体が壊れ、ドロップアウトしてから、どこかの会社組織と雇用契約を結ぶ、賃金労働の形では労働力を供給していない意味で、早期退職ではあるものの、それをFIREとは表現する気はない。

 何とかの一つ覚えでFIRE、FIREと表現した方が、PV的には稼げるのかも知れないが、別に賃金労働者ではないだけであって、9時15時で日本株の相場に張り付いている時点で、専業投資家の方が表現としてはしっくり来る。

 そのうえ、現状は微々たるものではあるが、このnoteのアフィリエイトや有料記事の売り上げが発生している意味で、それ単体で生計は立てられないものの、著述業の側面も有していると捉えられる。

 確かに、最低限必要な生活費用は、金融資産所得で賄える計算となっている意味で、経済的には独立しているのかも知れない。

 しかし、やれ遊ぶお金が欲しいとか、新しいガジェットが欲しいとなると、それを買うための銭を、金融資産所得以外で工面している現状を鑑みると、紛れもなく単なる脱サラであり、世間一般がイメージする、南の島で一生ダラダラ過ごしても問題ないFIRE像とはかけ離れていることを自覚している。

 だから私は、1年前の時点から変わらず、「FIRE」というワードは必要に迫られない限り、積極的に使おうとは思わない。

アッパーマス層の時点で全世帯の上位22%

 とはいえ、アベプラコメンテーターとの温度差を感じたのは、「平均3,000万円の資産でFIREしている」というゲストの返答に、えっ、それだけ?!的なリアクションが大多数だった点が個人的には気になった。

 私も薄給激務な底辺プロレタリアートだった頃は、3,000万円をひとつの目標にしていた。流行りの4%ルールで考えれば、3,000万円を4%取り崩すことで年120万円、月当たり10万円の金融資産所得と、国民年金満額である月6.8万円(令和6年度)よりは大きい額となるからだ。

 とはいえ、これでは税引が考慮されていない点。保有資産の100%を運用するのは現実的ではない点。資産の大半がリスク資産かつ、今後の持続可能性を考慮すると、実質値で年率4%の運用は案外難しい点。これらを踏まえると、3,000万円では心許ないという直感は概ね正しい。

 しかし、純金融資産保有額が3,000万円超は、いわゆるアッパーマス層であり、資産分布が高齢者に偏る日本社会で、若くして全世帯の上位22%に相当する資産を保有していることを鑑みれば、紛れもなく小金持ちだ。

 余命を鑑みると、一生働かずに暮らしていける資産規模かは懐疑的とはいえ、幸せに生きていくための選択肢が、パンピーもといマス層よりも多いのは紛れもない事実だろう。

 その上、現時点では金融資産所得は20.315%の源泉徴収を済ませれば、個人の所得としては確定申告不要となっている税制上の歪みがあるため、これにより、現役世代でありながら、課税所得上は低年金者を装える算段となり、国民年金の免除、住民税非課税世帯、健康保険税の減免という弱者救済のベネフィットが付いてくる。

 だからこそ、国民健康保険税に、金融資産所得を反映する案は物議を醸している側面があるが、国民負担率50%大間近で、働けど生活が豊かになっていく実感が乏しい昨今、低所得資産持ちのカードが切れる状態は、間違いなく人生の選択肢を増やしてくれるだろう。それを当事者が都合よくFIREと解釈するかどうかはまた別問題である。

多くの人は、長期間なにもやらない状態に耐えられない?

 FIRE失敗談の多くに、社会とのつながりが希薄になったことや、暇に耐えられなくなったことで気を病み、再びレール上の人生を歩み始めるのは、最早あるあるネタの領域に達しつつある。

 会社は嫌だが、社会的なつながりを保持したいのであれば、パブリックな場では、アメリカ人並みにドライな人付き合いに徹して、仕事以外の人間関係を別途構築すれば良いことではないだろうか。

 少なくとも、私は賃金が発生しないのに仕事に関係する時間を最小化するために、時に変人扱いされることを厭わなかった。そうでもしないと、馴れ合いの日本社会でジブン時間を確保するのは難しい。

 若いのに昼間から街中をフラフラしていると白い目で見られて、世間体的に辛い的な意見も、典型的な平日9時〜17時勤務、土日祝日休みリーマン特有の、離脱症状の域を出ないだろう。

 18歳からシフトワーカーで、当直明けの平日に、老人で溢れ返るスーパー銭湯に立ち寄っては、気にも止めずフラフラしていた私からすれば、そもそも一般社会から隔絶された環境に身を置いていたため、世間体を気にする心理が理解できない。少なくとも、豆腐メンタルなら他人と違うことをやろうなどと、考えるだけ野暮ではないだろうか。

 暇に耐えられなくなるのも、人生など暇つぶしの域を出ないと考える私からすれば、「人生そのものに耐えられない=死」と同義のため、全く以て暇に耐えられない発想が理解できないが、養老孟司先生の言葉を借りて「人生、一番効率的に生きるんだったら、生まれたらすぐお墓に行けばいいんですよ」で、うまいこと補助線を入れると、現代人が昨今のコスパ至上主義に毒されている節すらある。

 自分が生まれた意味などないし、何かを成し遂げなければならない、何者かに成らねばならぬ的な焦りも、単なる幻想に過ぎない。

 どうせいつか死ぬのだから、小銭でFIREなどと、しみったれた考えに縛られず、自分で稼いだお金くらい、自分の願望を叶えるために全部使い切って、最期に後悔しない人生を歩むことが、何より重要だと思うが、いかがだろうか。


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