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そんなに社畜が嫌いになったのか、テツドウマン。

規程違反には背景がある。

 まずタイトル回収として、Amazon Prime Videoでシン・ウルトラマンが公開されたため、ゾーフィの名言を借りただけで深い意味はない。

 先日、同業他社で脱線事故が発生した。詳細は運輸安全委員会の報告書を待つとして、報道の内容をまとめると、走行する進路を誤ったため、それを修正するために無断で退行した結果、ポイントが破損して脱線に至ったとされている。

 あくまでも同業他社であるため、社内規程は全く同じではないだろうが、一介の鉄道員として常識的に考えれば、本来であれば進路を誤った段階で指令所に一方して、指示があるまで列車(本件では入替車両)を動かしてはならないと、運転取扱実施基準などで明文化されているはずであるが、それを行わず、しかもエンド交換をせずに無断で退行した結果、ポイントを破損して脱線した。

 世間一般の方からすれば、構内運転士が悪いで終わりになるだろうし、会社としても個人に責任を押し付けた方が都合が良いから、大抵の場合はそのような結末を迎える。しかし、根本を解決するためには、なぜ規程を守らない行動に至ったのか、そのメカニズムを解明しなければ類似する事象を根本的に解決するには至らないだろう。

モノ言う株主。モノ言えない従業員。

 某路地裏の超特急が、踏切道内で立ち往生した大型トラックと衝突したのは記憶に新しいが、あれも当初は会社側が、適切に非常ブレーキを使えば衝突は防げたと、理論武装であたかも運転士が悪いかの様な展開だったが、後に撤回した。

 特殊信号発光器が理論上、踏切前で停止できるとされる距離からでは、架線柱で遮られて視認しづらい状況にあったこと。現場のヒヤリハットで報告があったのに、何ら対策せず事故に至るまで黙殺されていたこと。

 一部車両で理論上の制動距離を大幅に超える、いわゆるブレーキの甘い車両が複数確認され、仮に特発を視認した段階で即座に非常ブレーキを用いても、車両によっては停まれない可能性があったにも関わらず、会社は根本的な対策を行わず、現場のマンパワーで制動距離を長く採るなど、場当たり的に対応していたことなど、撤回に至った背景は様々である。

 なぜ、会社側は一旦、従業員に責任を押し付けたかと言えば、会社側に不備があったことを認めようものなら、社会的信用を失い、抜本的な対策のために多額な設備投資が必要になるからで、設備投資は利益を圧迫するため、株主に良い顔をしたい心理が経営陣側に働いたのだろう。

 とはいえ、株主に逆らえないことで発生した歪みを、従業員に押し付けて良い理由にはならない。歪んだ構図の成れの果てが、尼崎の脱線事故のような惨状を生み出す元凶になっていることは、厳正に受け止めなければならない。

心理的安全性を軽視していないか。

 疫病禍によって公共交通機関は、運賃が国交相によって自由に設定できない規制があることが仇となって、売上高が激減して経営が苦しくなった。売上高が見込めないのであれば、固定費用を削減する他なく、人件費のカットも例外ではない。

 ただでさえ薄給激務なのに、変則勤務で万全でない免疫力の中で疫病を患わない様にしなければならない現場は疲弊しており、将来性がない斜陽産業であることも相まって、上層部から徐々に締め付けがキツくなり、恐怖政治体質が強化されているように肌感覚として感じている。

 恐らく先日の脱線事故も、誤りの初期段階で即時に報告し易い環境であれば、無断退行して脱線には至らなかったと思われる。

 内部関係者ではないので想像の域は出ないが、ヒヤリハットの報告すら責任を追求されるが故に、躊躇うような恐怖政治的社内風土の場合、小さなミスは隠蔽したい心理が働き、事故の眼が摘めない状態が慢性化する。それにより、所定の手順を踏めば、そうはならない規模の重大事故に発展したと考える。これではヒヤリハットの意味がなく本末転倒である。

 これは本件の事業者を糾弾したい意図はなく、業界全体として構造上、そうなってしまう現状があり、尼崎の脱線事故の頃から、根本的な解決に至っていないからこそ余計にタチが悪い。だからこそ現業の従事員として、業界全体に警鐘を鳴らす意図で記している。

 人はミスをする生き物で、本人の意識づけでゼロにするのは難しい。だからこそ、ミスを誘発する環境を現場に報告してもらうことで洗い出し、その環境要因を排除するのが管理職本来の仕事である。

 ヒヤリハットをうっかりミスと誤認して当事者を糾弾してしまえば、萎縮して恐怖政治体質となり、現場にはどうしようもない、学習性無力感に支配された雰囲気が蔓延る。結果として、ミスの隠蔽や過少申告が常態化し、改善意見が表出しなくなる。これでは、何かの拍子に尼崎のような大惨事が発生しても何ら不思議ではない。

 それほど現場は疲弊している。ただでさえ少子高齢化の影響をモロに受ける斜陽産業で将来不安があるのに、疫病禍によって時計の針が大分進んでしまい、希望が見えない中で、賃金カットや上層部からの締め付けが厳しくなる始末で、心理的安全性のかけらもなく、これで鉄道員としての自覚や誇りを持てる筈がない。

 だからこそ私は早期退職というカードを用いて、儚いレジスタンスを来春に実行する所存である。人ひとりの力では組織や業界など、何も変わらないが、道を切り開けばボディボローの様に業界が悲鳴を上げることを期待して傍観したいと思う。働いたら負けである。


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