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最近の金融経済動向(2024年8月)


日経平均、下げ幅過去最大。ブラックマンデー越えの衝撃

 8/5、日経平均の下げ幅過去最大となる歴史的瞬間を迎えた。前営業日となる8/2には、ブラックマンデーに次ぐ下落幅だっただけに、2営業日連続で5%超の大幅下落が続いた。

 憶測の域を出ないものの、タカ派的な利上げ発言から、日本株の買い越し全体の9割を占めていた海外投資家の、円キャリー取引ポジションが解消されたことで大幅下落。

 それにより、信用取引で買い建てていた投資家の売りが更なる売りを呼ぶ展開となり、日経平均を構成する225銘柄の全面安は言わずもがな、13年振りのサーキットブレーカーが発動。全上場銘柄の1割に相当する、およそ400社の株価がストップ安水準で張り付く展開となった。

 令和のブラックマンデーと呼ぶに相応しい急落だったものの、リーマンショック同様、市場経済がクラッシュしただけで、実体経済がここ数日で大ダメージを負った感は皆無で、翌6日には、これまた過去最大の上げ幅を記録する歴史的瞬間となった。

 その後、日銀はハト派的発言に修正したことで、夏枯れ相場もあって急落前の環境に戻りつつあるが、ここから2番底、3番底となる展開も考えられるため、次のバーゲンセールに向けた買い付け余力を、日頃から確保しておくべき大切さを学んだ数日だったのではないだろうか。

実質賃金27ヶ月振りプラスのトリック

 名目値からインフレ率を差し引いた、実質賃金が27ヶ月振りのプラスに転じたことが話題となったが、既に労働者ではない私からしても、あまりに実感に乏しい内容だったが、玉木個人商店もとい国民民主党党首の玉木雄一郎氏が、そのトリックを明かした。

 厚労省が現役世代でも、老後に平均して年金支払額の2.1倍貰えるに通じる、典型的な「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う」の解せないパターンだったが、恐ろしいのは昨年と一昨年は夏の賞与を含めてもなお、賃金の上昇幅よりも、物価の上昇幅の方が大きかったということだろう。

 大事なことなので度々記しているが、物価の伸び以上に人件費が上がらないのは、昨今の物価上昇が原材料費の高騰にあり、これらの多くを輸入に頼っていることから、円安になればなるほど物価が上がる反面、その大部分が外貨に流れる構造上、自国の人件費にまで還元されない。

 だからこそ、目先の損得勘定ではなく、社会全体のことを考えて金銭消費することが望ましい。できる限り国産を買い、地産地消に努める。クレジットカードはJCBを使う。

 些細なことだが、支払ったお金が海外に流出せず、国内で循環する方を選ぶことで、直ぐには景気回復を実感できなくとも、回り回って賃上げの原資となる可能性があるなら、そちらに賭けた方が将来世代が絶望しない社会を残すことにつながると考える。

セブン&アイ買収提案の衝撃

 先述の円を海外に流出させるのではなく、国内で循環させた方が良いのは、経済安全保障の観点でも重要だ。

 20日にカナダのコンビニ大手から買収提案があったのは記憶に新しいが、もはや日本のインフラ化しつつあるコンビニ最大手が、買収の対象に入る事実が、対外的に日本の国力が低下している現実を叩きつけた一件となった。

 無論、財務省が屁理屈を捏ねたことで買収は難儀する可能性が高いものの、時価総額にして5兆円規模の企業が買収できるとなれば、外資規制の指定業種に該当しない小売業、飲食業、食料品製造業は、最大手を除くほぼ全ての上場企業が、その気になれば買収できてしまうことを意味する。

 更に新NISA上半期の買い付け額7.5兆円のうち、実に6兆円以上がオルカンやS&P 500などの外貨建て資産に流入しており、日本株は不人気な印象と、これ自体が円安圧力となっている側面があり、海外投資家から見たらバーゲンセールに一役買っている側面もある。

  そう考えると、目先の投資リターンではなく、自分たちの生活まで視野を広げて、自国の企業の株式を、せめて海外株式と同額程度は保有しておいた方が、経済安保なんてお硬い言葉を抜きに、自分たちの生活を守ることにも直結すると思うが、いかがだろうか。

芳賀・宇都宮LRT開業から1年

 26日、日本初となる全線新設のLRTが宇都宮で開業して1年が経過した。開業前までは建設費が684億円まで膨れ上がったことも相まって、主に自動車産業に利権を持つ方々の反対運動やネガキャンが行われていた。

 しかし、蓋を開けてみると沿線の人口増、地価は1割上昇、沿線企業の工場投資が、現時点でおよそ1100億円見込まれると、人口減少時代における地方社会の現状を鑑みると、開業に伴う建設費以上の経済効果が現れていると評価して差し支えないだろう。

 この国は少子高齢化、人口減少社会に突入したことで、財政の厳しい地方ほどコンパクトシティ化が急務となり、かつては道路の邪魔者扱いされていた路面電車が復権する動きに至った。

車社会は交通弱者に優しくない社会

 そもそも自動車が我が国の基幹産業となり得たのは、敗戦を機に航空技術者が自動車産業に転向せざるを得なくなったことは百も承知だが、言わせて貰えば、車社会は交通弱者に優しくない社会と言える。

 高齢ドライバーの事故が後を絶たず、公共交通の乏しい地方ほど、車がないと生活の足がなくため、免許返納に至らない的な報道に終始しがちだが、そもそも18歳未満で運転免許が取れない子どもには焦点が当たらない。子ども達は選挙権がないことから、往々にして政治的意思決定から除外されがちだ。

 日本国憲法第22条に「居住・移転および職業選択の自由」が明記されていることからも、移動は国民に与えられた権利の筈である。

 しかし、車社会な地方では、ある種の特権とも捉えられる、免許を取得できる人と、自家用車を調達できるだけの経済力を有する人しか移動できない。

 元通産官僚で、団塊世代の名付け親でもある故・堺屋太一氏は、地方社会の衰退要因のひとつに、飲酒運転の罰則並びに取り締まり強化を挙げている。

 「飲んだら乗るな」が徹底されてしまうことで、不幸にも車が必須な地方では、飲み会のコストが高くつくため、家飲み以外の選択肢がなくなり、コンビニで売っているような、既製品の酒と肴しか消費できない。

 酒が売れない以上、飲食店も夜間営業する旨みがなく、夕方には閉める形で経済がシュリンクしていくのは、コロナ禍で誰もが体験した筈だが、地方社会は飲酒運転の罰則強化に踏み切った2007年以降、そんな状態がずっと続いているとイメージして頂ければ、衰退して然りだろう。

 無論、飲酒運転を容認しろと主張したいわけではなく、自力で運転できない人たちが、低コストで移動できる公共交通があることで、経済が回る側面は多く、モータリゼーションでそれらが失われているということだ。

 それに気づけば、利権となっている道路に公金を注ぎ込む一方で、大した補助金もなく自助努力を迫られては、廃線危機に瀕している地方鉄道の冷遇度合いの異常さも見えてくる。

 脱クルマ化が進むと、これまで国の基幹産業で経済を引っ張ってきた自動車業界は壊滅的になるかも知れない。しかし、代わりに公共交通が発達することで、交通弱者を含めた全員が低コストで移動できる優しい社会となる。

 クルマが生活必需品ではなく、贅沢品の色合いが強くなれば、ガソリン税の補助金も不要になるだろう。飲みの場に参加する機会が増えれば、消費も増加して税収も増える。沿線の地価が上がれば固定資産税も増える。企業の設備投資が増えれば、雇用が生まれ、将来的な増収につながり、最終的には税収増につながる。

 そんな思考実験をしていると、自動車産業一本足打法よりも、LRTが走る脱クルマ社会となって、色々な税目から広く薄く徴収した方が、トータルで弱者にも優しい良い社会に繋がると考えるため、宇都宮に留まらずLRTが波及した方が、未来の日本社会のためにもなる気がしてならない。


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