見出し画像

なぜ人は先送りしてしまうのか。

いつやるか?今で(ry

 先日、学生時代に発行したSuica(記名式)の払戻しをみどりの窓口にて行った。年度末で都会暮らしから離れて、地方で暮らすため、使っていないSuicaをJR東日本に返却するのが、物理的に面倒になるからである。

 そもそも私はApple PayのSuica、ビックカメラSuicaカードと、既にSuicaが2つもある状況下で、更にJR東日本が発行するものを、わざわざ所持する必要性がない。

 最初からこの環境なら、発行しなければ良い話だが、高卒で社会に出たが故に、学生時代にクレジットカードが作れた訳でもなければ、iPhone 7以降の機種を使っていた訳でもなかったため、当時はカードタイプのSuicaが必要だったのである。

 しかも私が民鉄で駅員をしていた頃、PASMOは無記名式であれば、払戻しの申請書の記入が不要で、窓口で申し出れば即座に払戻しできた。

 しかし、記名式の場合はカード発行時に入力した情報と、申請書の整合性をチェックした上で、本人確認で公的証明書の提示が必要と、何かと面倒だったことも、先送りする一因となっていた。

 ましてやJRの場合、改札の窓口では対応しておらず、みどりの窓口で取り扱うルールとなっている中、コロナ禍で加速した合理化施作の影響で、みどりの窓口そのものが徒歩圏内の駅から無くなって久しい。

 残っている窓口も、長蛇の列となっているイメージが強かったことから、いつか払い戻そうと思いSF残高をゼロにしておきながらも、数年くらい放置してしまい、移住目前になって重い腰を上げて払い戻す運びとなった。

 ようやく面倒ごとのひとつを消化し終えた今、やはり思い立った時に即座に行動すべきだと、今の自分に言い聞かせている。

 Apple Payに取り込んでから、自分で払戻し操作をした方が、窓口に出向く必要がない分スマートではあるが、システムの都合上Apple Payに取り込んだ時点で、Suicaの発行事業者がJR東日本からAppleに移管し、デポジットの500円がSF残高に移行されることから、その500円をちょうど使い切るのも中々に面倒で、結局JR東日本に返却して、デポジットを現金で受け取った。

短期的な成果が現れないと先送りしがち。

 日頃から、資産形成で先送りは悪だとか、モノに関して紙袋や空き容器などの「いつか使う」の「いつか」は来ないと記しておきながら、Suica一枚の払戻しを数年も放置している体たらくなのは、即座に行動する労力と、それによって得られるであろう成果が釣り合っていないからだろう。

 私は列に並ぶのも、人混みも嫌いな性分で、しかも並んでまでやることが、元駅員が旅客の立場として、ICカードの払戻しを行い、過去に預かられたデポジットの500円を返して貰うだけと、別に利益になる訳ではない。

 JR関係者ではないため、みどりの窓口を担当した試しはないが、鉄道員の経験則として、私のように窓口でしか取り扱っていない用件を済ませるために、仕方なしに窓口に出向く人は少数派である。

 大多数は新幹線や特急券の購入など、個人が指定席券売機やえきねっとで十分買えるものを、よく分からないから係員に対応して貰おう的な、リテラシーの低い他力本願な層が中心に列を成していることが圧倒多数である。

 係員側の経験がある私は、先客の対応を耳に挟んでは、内心ググレカスとイライラしながら並ぶ光景が、容易に想像付くため、なかなかJR東日本に預けていた500円を取り戻せずにいた。

 恐らく資産運用や整理整頓を先送りする人の感覚もこちらに近いのだろう。短期的に掛ける労力(インプット)と成果(アウトプット)が釣り合わないからだ。

 しかし、知識や経験、教養を深めることで視野が広がると、物事を中長期的に捉えられるようになり、たとえ一時的に費用対効果が釣り合っていなくても、様子見ができるようになる。そうなりたいと思うなら、今から自分の認識を変える他ない。

漠然とした願望よりも、具体的な目標を。

 「いつかはレクサス」はフルラインナップ戦略で、軽自動車から大衆車、スポーツカーから高級車まで扱うトヨタらしい言葉である。最初は軽自動車でも、いつかは最上位モデルのレクサスを所有するのに見合うよう、勤め先で出世して高給取りになってやる的な、ガツガツしたバブルのしょうもないノリを「いつかはレクサス」の一言で体現しているのだろう。

 生まれてこのかた不景気しか生きていない、ロスジェネ以降の世代には縁のない話だが、そんな熱狂的なトヨタ車ユーザーのうち、そのいつかが到来した人は、果たしてどれ程の割合なのだろうか。

 割合、高級外車が停められている都内某所でも、公道を見渡せばミサイル塗れでレクサスは滅多にお目にかかれないことからも、実現できている人は少数派と思われる。

 願うのは個人の自由だが、どうせ願望を持つなら、漠然とではなく、実現するためには具体的に今から何をすれば良いのか、逆算して現実的な目標として落とし込んでみた方が、何かしらの学びが得られる可能性が高い。

 そうやって徐々に長期目線で物事を判断できるように、自分自身の認識を書き換えていくと、いつか〇〇ではなく、〇〇のために今、△△しているに変わる。それが継続できるようになると、「いつか」が到来する日は近いかも知れない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?