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どうしても大人になりたくなくて

みなさん、こんにちは、Reruです。
少し気分が落ち込んだ時に考えてしまったことを今回は書き留めておきたいなと思います。

それは、”大人”というカテゴリーに入りたくなかったのにという叶わない願いです。私の他の記事を読んでいる方はどのような過去があったかを知っていると思います。(ここで特にリンクを貼ったりはしません。)

あの頃からずっと、大人、身近な大人に不信感を抱いていました。今振り返っても仕方がないことかなと思います。
つらい、心が痛い、助けてほしい、やめてほしい、、、
そう思ったときに、実際に助けてくれる大人がどれほど少ないか、痛感してしまいました。
正直なことを言うと、その事実もつらかったです。

このように感じたときから、大人の仲間入りなんて、あんな人たち(実際は少数派かもしれないが)と一緒の枠にはまるなんて、嫌だと思い続けてきました。

年齢というカテゴリーだけで見れば、日本の社会的には成人(大人)の枠に入ったわけですが、実は、なってから感じたもう一つの理由があります。

それは、現在 当時の私と同じような思いをしている子たちにとって、敵になるカテゴリーに分類されることになってしまったことです。
子どもの時の社会(social)は学校になりがちですし、実際はもっと多くの大人がいて寄り添ってくれる方がいることも知っていました。
それでも、今苦しい思いをしている子に対して、そんな大人ばかりではないなんて伝わるわけがない。
伝わるなら、だれか一人でもそう言ってあげられる大人が近くにいるなら、若者の自殺者数なんて増えているはずがない。そう思う。
私だけは敵じゃないよ、なんて誰が信じるんだ、、、

そんな葛藤を一人でしていました。私もこれに関して受け入れがたくてつらかったし、今後どうやって傷つく子を減らしていけるだろうと悩みました。

子どもだからこそ、子ども同士言えることってあったな、って思いました。

誰かが決めた枠にはまる必要なんてないと思うのに、勝手に属されてることには抗えないんですね、私だけはそうじゃないなんてとても言いにくいです。私が不信を抱いてしまったときでさえ、カテゴリーで人を判断していたと気づいてしまいましたから。記事内ではわかりやすさのために使うこともありますが、読者さん一人ひとりを見たときには、ーーさんはーーさん、私は私、あなたはあなたとだけ、純粋に向き合っていけたらいいなと思います。そう、心がけていきます。

最後に、印象に残っている今日のTwitterで見た画像を添付します。韓国の制度が変わることによる、各国の比較です。

リプライに日本の批判はたくさんあったけど、
ずっと変わっていないよね

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。人生100年時代であるならば、明らかに成人年齢が昔に比べて低いですから、18歳までに何ができたかと考えると、これでも十分動いている、動き始めている方なのかもしれないですけどね、どうしても悔しくて葛藤した、そんなお話でした。

余力があれば、他の記事に飛んでみてください。今後も私の考えを聞いてくださるという方は、よかったらまたいらしてくれると嬉しいです。

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