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案外自分が見つからなかったインド生活から3年経って<続編1>

※前編(まえがき)はこちらをご覧ください
https://note.com/rereyuki52/n/n6c891101b1fc

 ふとメールボックスを見ると、black pantherこと例の社長から「今週帰国するから会おう」と。さらに「"Parenting"について話したいんだ」とも。
この状況下でよく帰国の段取りができたなといった驚きはさておき、何の脈略もなくこういったメールが来るときは大抵「怒ってる」何かがあった時である。
 "Parenting"とは、直訳すると「子育て、養育」といった意味合いがあるが、ここでは"Parenting for mothers and fathers "つまり「親の教育」といった意味合いが強いと思われる。会ったときにどんな怒り心頭エピソードが出てくるのかは不明だが、「親の教育が必要だ」という話を連日朝の4時まで繰り返し聞かされたことのある身からすれば何となく想像はつく。
 とはいえ自身が親になったことも、ましてや配偶者も居ないような身としては軽々しく「親の教育」などと高らかに持論を展開するのは恐れ多い。
 まずは自身の「親」との関係について振り返ってみたいと思う。
前述の通り、自分は12歳以降実家に住んだことが無い。
原因は至って単純で、「家が嫌だったから」である。教育熱心で箱入り思想の強い祖母を中心に「文化的教養に長け、〇州大学(某.旧七帝大)に通い、〇通に就職して地元に貢献することが一番の親孝行よ」という地元エリート志向教育を受けてきたものの、ダイエー(現.ソフトバンク)に入団して斎藤和・新垣・和田・杉内に次ぐ5番目の柱として先発ローテを守り抜くことを目標としていた当時の自分が「ピアノ教室と塾に行かせるから」という理由のもと少年野球チームにすら入れてもらえない状態に満足できる訳もなく、中・高は「寮のある県外の学校に行く」と言い出し、大学受験は「地元を離れることが目標」と逃げるように本州の大学へ進み、現在に至るまで進路や悩みについて実の親に心の内を打ち明けることすら無いまま育ってしまったのである。
 結果的に親の意向を無視したとはいえ、自分の進みたい道を勝手に好き放題進んできたわけだから後悔は無いものの、未だに親を前にしても他人行儀でしか接することのできない自分にもどかしさを感じるとともに、一抹の寂しさを覚える。
以前は「あのまま箱入りで育ってたら親離れもできない世間知らずな人間になっただけだし、あんな親から離れて正解だった。自分が1人でここまで道を切り拓いたんだ。」という考えだったが、今では「あれだけレールを敷かれた人生プランを見せつけられてたことが、今の行動力の源だ。最終的には見守ってくれたことが最大の教育だったんだ。」と感謝するようにもなってきている。
紆余曲折はあったものの大学まで無事卒業し、それなりに名の知れた企業で働くことができているが、果たして自分の親は「子育て」に成功したのだろうか。そうであってもあの「一抹の寂しさ」は埋められることはないのか。

Black Pantherの語る"Parenting "像が、この答えのない問いに対して一石を投じることを期待して来週の食事を待ちたい。

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