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案外自分が見つからなかったインド生活から3年経って

近くのマックでいつものアイスコーヒーを飲みながら涼んでいると、ぞろぞろと女子高生の軍団が端の席を陣取り、少し離れた場所に男子高校生のグループがいくつか陣取ってきた。「やばーい」や「かわいいー」という多くの同音無意味語が飛び交う高校生にありがちな風景だと思いながらもそれといった懐かしさを感じなかったのは、自分の出身校がド田舎の全寮制の高校で、マクドナルドはおろか、コンビニすら徒歩20分圏内に存在しないような環境で育ったからである。
そうは言っても彼らと同じように青春時代は過ごしてきたわけで、その頃の自分と今の自分を比較しないでもない。
 自身の高校生活は至って単純で、大して活躍できもしない部活に高校生活の9割を注ぎこみ、残りの1割を陳腐な恋愛と中途半端な受験勉強で補った。何せ山の中の学校であるが故に、大抵の情事が山で行われていたこと以外はそれと言って特記することもない。
 大学になったら何かが変わったかと言えば、進路という意味では劇的に変化したものも無く、漠然と考えていた「教師」への道をぼんやりと進んでいた。しかし不勉強が祟り採用試験にも落ち、卒業してから何かを埋めるように就職先や留学先を探し、卒業して数か月後にたどり着いた地がインドであった。
 大学を卒業してから就職先を見つけ、更にそれから就職するまでの8か月間のモラトリアムを異国の地で過ごすことになった自分は、同級生と違う道を歩んでいるというだけで優越感に浸り、根拠のない自身に満ち溢れていた。
 とはいえ金がないニート状態の自分は結局インドで「メシと家は出すからあとはひたすら死ぬまで働け」スタイルのただの日系ブラック企業(学習塾)で過ごすことになる。しかし、小5にして家出癖があって12歳以降一度も実家に2週間以上滞在したことのないような人間がいきなり缶詰めで働き続ける環境に耐えられる訳もなく、当然入国直後からロクに連絡もせずに1人でパキスタンとの国境の街に行ったり(旅行会社を名乗る詐欺集団に騙されただけ)、隙間時間に無断でスラム街やクラブに通ったり、バレてるもの・バレてないもの含め相当数の掟は破ってきた。(法治国家と言えるかも危うい途上国において日本人の軽率な行動はご法度であり、かなり反感をくらう)
そんなこんなで社長にも最初の3か月くらいは本気で無視され続けていたが、「悪いことして無視されても貫きつづけたぜ」といった中二病の物語をつらつらと書き綴るのではなく、案外自分と真摯に向き合ってくれた残りの5か月間と現在に至るまでの社長(何故か自分のことをblack pantherと名乗るので、以下black pantherとする)との対話をこれから記事にしていきたい。


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