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優しい世界ってここのことかも〜ゲーム【トイボックスの夢の中で】感想※ネタバレ注意


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「トイボックスの夢の中で」を知ったきっかけ

先日「東京ゲームダンジョン3」というインディーズゲームの展示会に行きまして、そこでチラシをいただいたのがこのゲームを知ったきっかけでした。展示ブースにたくさん人がいたためグッズや展示をゆっくり拝見することはできませんでしたが、ひとつ前のこのイベントのレポで書いたように
・ドット絵
・ホラー
・ADV
・絵がめちゃくちゃ可愛い
などなど、私がゲームを買う時の基準にしている好みド直球要素が盛りだくさんでしたので「これは帰ったら絶対やる!」とその場でひっそり誓いを立てました。誓い、安易に立てていきましょう。楽しみややるべきことは多い方が人生充実する、そうだよね。

イベントレポを書くにあたって当日いただいたチラシを整理する際にも、チラシ全体のパステルカラーな色遣い、なによりも白髪猫耳男性という好きにならざるを得ない欲張りセット(それをまた一見シンプルなボブカットの女の子が対照的で見事に引き立ててるんだあ!)みたいなキャラデザにやっぱかわいいよね〜と一人納得していました。

ゲーム性についての感想

「トイボックスの夢の中で」のストーリー部分については別途考えたいこと・言葉にしたいことがあるのでこの項目ではゲームとしての操作性や仕掛け、登場キャラクターたちについての感想を書きます。
今まで私が遊んでいたゲームというのは基本的に「任天堂が開発し、販売したゲーム」を指します。ゲームボーイカラーを小学生の時初めて手にしてポケモンクリスタルでスイクンを追いかけまわし、今では日夜Switchでスプラトゥーン3のタコとハイドラを愛でる日々。インディーズのゲームに触れたのは、実はつい最近……ここ1年くらいのことです。それまでは自由に使えるパソコンを持っていない幽霊でした。初めてSteamでゲームを買った時のことは今でも覚えています。

というわけでいわゆる「WASD操作」というものに慣れていませんでした。キーボードを見ながらでないとどこに何があるのか分からない浦島状態。そんな中冒頭わりとすぐ「逃げる」イベントが始まったため、アーカイブを見ていただければ分かると思いますが何度も秒で捕まっています。しかしそんな私にもこのゲームは優しく「低難易度モード」の手を差し伸べてくれました。ありがとうございます。たぶんこのモードがなかったら私はあそこで30分は足止めを喰らったはず。ありがとうございます。

自由に動けるマップは「家」「公園」「学校」の3箇所。ひとつひとつのマップは迷うほどの広さもなくシンプルな作りでしたが、ちょっとした小物に触った時のセリフや説明が進行度に合わせて変化するので村人全員に話しかけるタイプの私にとってはとても楽しいものでした。全員の反応を見るならこのくらいの広さがむしろちょうどいい。個人的なお気に入りは「学校」にある1-1、つみき村のマップです。ゲームボーイカラー時代に「とっとこハム太郎2 ハムちゃんズ大集合でちゅ」というゲームがありまして、私はこのゲームのハムスター視点を描写するにあたり普通に存在する普通の場所が全部大きく、迷路のように描かれている部分が好きでした。それを彷彿とさせる広い教室の描写、気に入っています。ハム太郎のゲームが好きだったことを思い出せたのも嬉しかった。

舞台である「優しい世界」について

このゲームは主に二人の登場人物「琉夏(るか)」と「シロ」が
①それぞれの「兄」を見つけること
②おもちゃの世界から脱出すること
を目的に、おもちゃの世界を探索します。はじめの琉夏とシロの会話だけで、この二人が「ありがとう」と「ごめんなさい」を素直に伝えられる性格であることが伺えます。大人になってみるとこのふたつを躊躇なく口に出す姿勢が、なんて言ったらいいか非常に迷いますが、その……とても貴重……は違うな、うーん、私の持っている語彙では「尊い」が最も近いのですが、この語も最近ではかなり軽く扱われるようになっているためズレを感じます。が、本来の意味での尊い、すなわち貴重で、文字通り有り難いもの(存在することの困難さ故に感謝の対象となる、の意)として彼らの姿勢がとても好きです。そして主人公二人だけでなく、このゲームの舞台に登場するすべての存在が、この姿勢を持っています。一見意地悪だったり悪意を持っているように思われる存在も例外なくそのような態度をとったことを謝り、それでも自分のわがままに応えてくれたことに感謝を述べます。

「人間に対する悪意を持つ者がいない世界」として「(ゲームの舞台である)この世界は優しい世界である」との言及がありますが、私は以上のような姿勢をすべての存在が当然のように持っている、という点に優しさを感じました。テキストを打った作者の方もきっと優しい方なんだろうなあと勝手に思っています。今これ書いてて感想ってめちゃくちゃ勝手な行為だなってびっくりしちゃったよ、でも勝手だから続けます。

「名付け」について※これまでよりいっそうネタバレを含みます

「名前をつける」という行為は基本的につけられた側を縛るものである……と私は思っていますが、終盤でそうではない関係性が示唆された点が好きです。いやあの「自分はこれから消える存在だが、その前に名前をつけてほしい」というのは名付けた側に強力な縛りを与えるもので「おお……エグいことをさせるな」と正直思ったんですけど、けど、ううん……いやそうなんだけど……あの、「お前に名前をつける! 今日からお前は〇〇だ!」という押し付けではなく、いつだって名前をつけられる側が了承した上で、シンプルな名付けをしていたのが好きでした。もっと具体的に言いたいね。そうだな……いやうーん、その……どう……

私は、自分が感じたことをすべて言葉に落とし込めると信じています。これは個人的なスタンスとしてそうであるという意味であって、実際にどうであるか、規範としてそうすべきかどうかといった要素を含みません。なんですけど、本来そのままの形であるべき「想い」を言葉という枠に当てはまるよう成型せざるを得ない場面もあると思っていて、こうして感想を書くことによってこぼれ落ちてしまうとても大切な何かがあることを消極的に諦めています。

えっと、「このゲームには言葉にならないよさがあったの!!!」と地団駄を踏みたいだけです。地団駄を踏ませてください。あの名付けのシーンには言葉にできないよさがあったんです。物語の分析を積み重ねることで説明できるかもしれませんが、私にはそれをできるほどの能力がないし、それをするのは野暮だと感じます(野暮=やってはいけない、ではないです)。

私はあの終盤の名前をつけてあげるシーンが好きでした。鏡の向こうに琉夏を送り出すシーンが好きでした。言葉少なに琉夏と一緒におもちゃの世界を歩き回ったシロのあの、琉夏の選択をそっと包むように肯定する姿勢の優しさが好きでした。バッドエンドに行き着いてしまった時、それでもイルカのぬいぐるみを背負って歩き続けるシロの覚悟が好きでした。愛だった。あそこにあるのは愛だった。愛だったよ! 言葉が足りない! うわーーーーっっっ!!!


まとめる

大人なのでね。スッと冷静にまとめに入ることができます。

「ゆめかわ」「ホラー」とありましたが、私にとってはこのゲームの優しさがめちゃくちゃ身に染みました。定期的にこういう真冬のこたつみたいな(?)ぬくぬくな物語を一身に浴びたい。チラシを頂いた時には「ウッヒョヒョ〜! 絵が好みじゃ!」と脳みそからっぽドアホ反応しかできませんでしたが、遊び終えた今ではしみじみといいゲームだったなとこれまた頭からっぽで余韻に浸ることができています。同じからっぽでも違うと信じたい。

最後にもう一回リンク貼っとこ。これね。あの、ダウンロードして解凍すると一番下に「最初に読んでね」ってテキストファイルがあるから、それ読めばすぐできる! やろうね。

どうも「一方その頃行方不明のお兄ちゃんは……」的なゲームも制作が進んでいるとのこと。とても楽しみです。寿命が伸びるね。

それじゃまた。




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