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これは君にとって、冴えたやり方だったかな。~ゲーム【撓むイーコール】感想※理性なき感想以下ではネタバレを含みます


理性ある感想・紹介

「撓(たわ)むイーコール」のあらすじ

妹の病院へ朗読ボランティアとして通う尾花は、担当医より同じ病棟のこともたちの話し相手になって欲しいと頼まれる。

そのこどもたちは皆それぞれ事情を抱えて最近まで昏睡状態にあったという。

病院に定期的に通っており、年の近い尾花ならこどもたちの心のケアにつながるだろう、とのことだった。

静かな病院。

穏やかな交流。

惰性で進む時間と、劈くようなイーコール。

上記HP(https://www.dogmetyasuki.com/i-call/)より

病院内を歩き回って、いろんな人と話をしたりいろんなものを調べたり。人物以外にもある様々な物ひとつひとつにも丁寧にテキストがつけられているところが印象的でした。「さいしょのむら」から全住人に話しかけるタイプの人にも、もちろんそうでない人にもピッタリの内容でした。

上のページから無料でDLできます。「Windows版(ムキムキPC向け)」の表現がかわいい。うちのパソコンはたぶんムキムキなんですけど、自信がなくて一般用をDLしました。問題なく動いてくれました!

とにかく歩き回って、物を調べて、人と話す。

難しい操作は特になく、気になった個所や気になった人を調べて、話をして、本を読みます。そのうちにぼんやりとわかってくる真相のようなものが……あったりなかったり。

マップ自体は病棟のある1フロアのみと広くはありませんが、どこを調べても大量のテキストにあふれてる! 特に図書室はこのゲームを遊ぶにあたって知っておきたい細かな知識のオンパレードで、とても楽しかったです。情報量はかなり多いのですが、ここをしっかり見ておくとその後の会話のちょっとした一言に含まれた意味を味わうことができたりするので要チェック。

写真は公式HPから。うばらくんめっちゃかわいい。
歪んだ線で描かれたテキストボックスの不穏さも魅力的。

あらすじにある通り、入院しているメンバーとの交流が主になります。全員の話を聞きたいけれど、主人公の尾花くんだって、当然疲れる。タイムリミットはみんなが退院する一週間後。日に日に話しかけられる登場人物が限られてくる中で、(たぶん)一番好感度の高かった登場人物によってエンディングが分岐します。

魅力的な登場人物たち

みんな見た目がカワイイ!!!!!!!!! 本当にみんなかわいいんだ。見た目だけなら白髪赤眼が大好物なので唐紙丹鶴(からかみ にかく)ちゃんが一番好きでした。ただ、話しているうちに上で紹介した「うばらくん」が気になり始め、結局彼に大きくかかわることになるエンディングへと進みました。

おめめがぐるぐるしてるところが本当にかわいい

彼、彼女たち以外にも話してみると一癖も二癖もある登場人物ばかり。名前のないモブキャラにも、それぞれのストーリーが存在することがうかがい知れます。病院の、それもひとつの病棟というとても狭い空間で進行するゲームでありながらも、散りばめられた小さな物語たちを取りこぼさないよう拾い上げる過程が宝探しのようでとてもワクワクしました。

エンディングはかなり多め。でも大丈夫!

公式サイトには攻略情報も掲載されている親切仕様です。時間がない方でも自力で前年度回収が叶います。でもでも、はじめの一回はなんにも見ないで楽しんでほしい。


理性なき感想(以下はネタバレを含みますし文字がマジで多い)

終わってみての第一声

「これでよかったのか?」という気持ちと「これでよかったんだ」という気持ちが半々、そしてそれらと同じくらいの「これじゃあだめだ、だめだったんだよ」という気持ちがありました。(さっきまで以下のURLで配信しながら遊んでいたのですがこの通りのことを言っていたはずです。)

理性なき感想ということであの、こ、ここからはなんかもう遠慮はないぜ、すべてに言及するいやまだエンディング一個しか開放してないからすべてではないけど。
ネタバレなんて怖くない! またはこのゲームを遊びつくしたぜ! という方が先にお進みください。私は、私はとても後悔しています今。尾花くんよお、本当にごめん、申し訳ない、ごめんな、ごめん本当に、怖かったよなあ。

精神疾患や自殺を扱うゲームに思うこと(このゲームを遊び始めた理由にかかわる日記の代わりのようなものでありつまりゲームの内容にはほぼ関係はありません読み飛ばしておっけ!)

私がゲームで遊ぶとき、それも文字数の多い会話が主体のゲームを、配信しながら遊ぶとき。これはほぼ100%「めちゃくちゃ精神が参っているとき」です。
今日も在宅での仕事が終わった後に「雨だ、しかし健康のために散歩へ行かねばならないしかし行きたくない雨じゃなくたって行きたくないしかし行かねばならない玄関を出た寒いやっぱり部屋に戻ろういやしかし体を動かすべきだそう健康のためにうわあ雨が横殴りだ最悪だもう何もかもが嫌だ運動なんか知るかいいや運動せねばならんう、う、うわーーー!」などと考えつつ2,3回玄関と自室とを行き来した後に、ようやく「そういえばこの間おすすめされたゲームあったな……、雨だし。雨の日は配信するって決めてるし」というのを思い出し、コートを脱いでスンと椅子に座って無言でYouTubeStudioを立ち上げました。

「撓むイーコール」は、そんな私にちょうどよい温度感のゲームでした。
精神疾患や自殺に関する過激な表現を含むことはそれらを誘発するような、時には取扱注意なものであることは確かです。ですけど、その触っただけで離れられなくなってしまうような冷たさ、あるいは全身を焼くような熱さによってしか救ってもらえない瞬間も人生の中には(意外と、無数に)存在していて、そしてそんなことができるゲームを作るのってたぶんとても難しくて(繊細な感情の表現と物語の丁寧な遷移がきれいに噛み合うことによってはじめて生まれる存在ではないでしょうか)、だから私は今日このゲームを遊べてよかったです。

しかし取扱注意なのは変わらない! もし、もし今このゲームによってでなくともなにか自分を自分で殺すことに関する表現に憧れたり、それ以上生きなくていいのうらやましいな~とか思っていたとしたらそうだなあ、まずなにかふわふわしたもの(なるべく大きいものがいいです。クッションとか、ぬいぐるみとか、バスタオルとか、毛布とか)を抱きしめて、深呼吸をしてみて。指先は冷たくありませんか? 部屋は明るすぎませんか? 飲んでいい薬を、飲んでいい量だけ、飲みましたか? 余裕があったら立ち上がって、なにか暖かい飲み物を準備して飲みましょう。それからもう一回深呼吸。

横道にそれちゃった。でも必要な脱線だった気がするからいいや。てか私も今指先冷たいわ。湯たんぽ作ってから続き書くね。気が向いたら続きを読んでくださると嬉しいです。

『私』というものの曖昧さと切実さ(主人公の葛藤を理解するための準備運動)

ゲームの終盤(もう終盤の話するの!? と思うかもしれんけどする、だってここが私にとっては一番重要だしここは私の自由なブログだから)でテーマになるのは私というものの存在でした。

・そもそも私とはなにか
・同じ身体と記憶を持ったままとはいえ、私の意識に別の私が上書きされたとして、それは私が生きていると言えるのだろうか
・私は私でなくなったとしても生き続ける選択をするべきかどうか

ピッピッピーーーーー! 「私」警察です! 上記の設問に使われている「私」という語はそれぞれ異なるものを指していてなんもわかんないよ! 私(今この記事を書いているひと、わけわかんなくなるので以下「れれ」と名乗りますね)もよくわかんなくなってきた!
だけどこの『私』に関する問題が共有できていないとゲーム終盤の主人公の葛藤を読み解くことができない、とれれは考えます。なので、以下では少し「私」という概念について、ゲームからまたまたそれた話をします……が、すぐに戻りますのでご安心を!

まずはこの先のために「私」に関する定義を固めておきますね。
とはいえれれは哲学のまだ味もしないところをペロッと舐めた程度の知識と思考しか持ち合わせていないので、ちゃんと定義できるか不安です。
「永井均の『私』に関する文章を読んでくれ!」とぶん投げることもできるんですけどせっかく楽しいゲームを遊んだのだから、それに絡めつつ話をしたいのです。ちなみにマジで永井均の「私」に関する文章を読むとこのゲームはいっそう面白くなると思います。(もし今初めて永井均の名前を知ったとしたら、おすすめはちくま文庫『翔太と猫のインサイトの夏休み ─哲学的諸問題へのいざない』です。が! 個人的なおすすめは岩波現代文庫『転校生とブラックジャック』です。)

えっと、私という概念の定義でしたね。頑張ります。この記事における私という語によって指し示される概念を3つに分類し、それぞれの定義を以下とします。

・「私」あるいはただの私:一般的な用語
自分自身を指す語。第一人称単数の代名詞。
・『私』:視点を世界にひとつしかない自分の意識に固定した際に、自己言及の形で指し示すことができる唯一の私
自分(ああまたややこしくなる! グ……ごめん私イコール自分、でお願いします)にとってこの世界にたったひとつしか存在しない、真に「私」という語によって指し示すことのできる意識のこと(意識なのか? 意識、うーんここで意識と言う言葉を使うのは不誠実な気もするしかしごめん今その話を始めたら感想が書けなくなるから意識って書いちゃう)。
・【私】:『私』以外の『私』、他者にとっての『私』
『私』以外の、「私」という語によって指し示すことのできる意識のこと。『私』は世界にたったひとつしか存在しない(ごめんここも異論あると思うけどそれは「世界」の話になってまーた長くなるから飛ばす!)が、【私】は意識を持つ存在(田中さんも村田さんもいや人間に限らず犬や猫、果ては宇宙人に至るまですべての意識ある存在を含む可能性がある)なら持っている(と仮定します!)ので、無数に存在する。つまり、他者にとっての『私』が【私】である。
言い訳いっぱいでごめん、いつかもっと丁寧に話そう『私』について。

この図には世界にたったひとつしかないはずの『私』がふたつ登場するが、間違いではない。
AにとってはAの『私』が、BにとってはBの『私』が世界にたったひとつの『私』なのである。
そして相手の「私」に言及する際の「私」は、互いに【私】となる。
AにとってBの『私』は【私】であり、
BにとってAの『私』は【私】である。
申し訳ないがここで前言撤回。厄介なことに、この図は筆者れれからすると間違っている。この図に登場する私はすべて【私】であり、れれにとってはこのれれ自身の私という意識を指し示す時に使用できる語が『私』である。そしてそれは、今これを読んでいるあなたにとっては【私】である。

イーコールを前にした尾花の葛藤を読み解く

準備運動おーわりっ! お疲れさまでした。

いや待って待って! 「イーコール」の説明してなかったわ。「イーコール」と言うのはこのゲームに登場する治験段階にある薬のことで、脳細胞を再構築することによって脳死や植物状態である人間の回復が見込めるだけでなく、なんとついでにあらゆる身体的な病気も治してくれるそりゃもう素晴らしいお薬なのです。飲みてぇ~。
しかし脳細胞を再構築することにより人格も書き換えられます。これが重大な副作用。記憶や経験は引き継がれつつも、おそらくアイデンティティの連続性が失われます。置き換わった性格は基本、明るく楽観的。しかし以前の『私』との齟齬に苦しみ、自殺という最悪の結果に至るケースもあったようです。ちょっと飲みたくねぇ~。これはSCP-4560「万事順調」に少し似てる感じという説明でよりわかりやすくなる人が存在する、かもしれない。

とにかく。この薬を飲むかどうかの決断を迫られるのがこのゲームのクライマックスです。これにて本当に準備運動終わり!

というわけで上で一度書いた「私」を巡る問題を、このゲームの枠内でより具体的に、適切に書き換え・追記しつつ、ゲームのテキストから読み取れる尾花の認識を回答として書き足すと以下のようになる、とれれは考えます。(ややこしいので追記・書き換え部分を太字にします。)

・そもそも尾花にとっての『私』とはなにか
→現に今ある『私』という意識そのものである

・同じ身体と記憶を持ったまま尾花にとっての『私』に尾花にとっては尾花ではない、つまり新しい(しかしこれもまた尾花である)が上書きされたとして、それは『私(=尾花)』が生きていると言えるのだろうか
→そうは言えない

『私』である尾花現在の尾花にとっては【私】であるような『私』になったとしても生き続ける選択をするべきか?
→わからない(ここでエンド分岐が発生するのかな?)

・尾花にとって、上書きされた『私』は『私』なのか? 
→『私』ではない

 ・上書きされてしまった場合、尾花の『私』はどこへ行ってしまうのか。それは尾花の死を意味するのではないか?
→消滅する。つまり死と同義である。

・尾花にとって【私】であるような存在を、周囲はそれでも尾花であると認めてくれるのか?
→わからない(おそらく親密度の高いキャラクターによって回答も分岐する)

尾花には選択肢が二つありました。
ひとつは、「イーコール」を飲んで、『私』ではない尾花として生きてゆくこと。
もうひとつは、「イーコール」を飲まずに『私』として死ぬこと。

ねえ、私が選んだ道は尾花にとってどうだったのかな。

イーコールを前にして私はめちゃくちゃ迷いました。当然。そして以下のように考えました。

尾花は妹のことが気がかりだ。だって、ただでさえ両親の死を受け入れられず精神的な問題を抱えて入院生活を送っているにもかかわらず、兄である自分も死んでしまうなんて苦痛を重ねさせたくない。そんな兄弟二人の主治医である先生も、自分が死ぬのはつらいことだろう。(私はうばらと毎日話す選択をしていたため)せっかく仲良くなれたうばらだって、自分が死んだら悲しいだろうし、もしイーコールを飲んですっかり違う自分になってしまったとしてもそれを尾花であると認めてくれるし、妹の面倒も任せろなんて言う。

でもそれらは全部全部「誰かのため」であって、尾花自身はなんて言っていた? 『私』が消えてなくなることを恐れていなかったか? なんにせよ『私』は死ぬんだから別に【私】になってもいいか、なんて楽観的なことを言っていたか? いいや言っていない。言ったのは『私』が死ぬことが怖いってことだ。じゃあさ、尾花にとってはイーコールを飲むのってものすごく怖いことなんじゃないか?

というわけで私は「飲まない」を選択し……したかったのですが!!!!
時すでに遅し、どうもうばらと仲良くなった場合には「飲む」の選択しかできないようでした。でもさ、でも、飲むとき、その薬を飲むときの尾原の心情描写。あれは死を目の前にした時の生物としての根本的な恐怖で、それで、そんな怖い思いをさせてしまって、そんな怖い思いをしてほしくなかった。もちろん飲まなくたって死ぬことには変わりないんですけど。でも、でもあれはものすごく怖かっただろうな。本当にごめん。

でもその後の尾原は元気に妹とうばらと一緒にお出かけしててさ。それはたぶんまぎれもなく楽しい経験で、私、何が正解かわかんなくなっちゃったよ。ゲーム内で「これだって正解があったらいいのにね」という意味の発言があって、本当にそうだったらよかったけれど、でも、世界はそうじゃないんだよね。そうじゃないんだよなあ。

というなんとも言えない、杏仁豆腐味の飴を食べる直前のような気持になりましたし、人生生きているだけじゃ味わえないこの感情を堪能できた余韻を楽しみつつ、この感想記事を結びます。

ところで私が見たエンディングって、どれだったんだろ? あとで全部回収しに行く。待ってて。


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