無くしモノ

無くしモノが見つからない。

今日はまつ毛美容液。
なんてことないまつ毛美容液ではない。
私の推しアイドルがコラボして
オリジナルステッカーのついた、見た目もかわいいまつ毛美容液。

つい先日まであったのだが、
軽く掃除でもするかーとモノを動かした途端これだ。

これだから掃除なんてするもんじゃない。
どこに何があって、問題なく生活できているならば
散らかっていようがいいじゃないか。

まつ毛美容液のまえはモバイルバッテリー。
これも無いと気が付く2日ほど前までは使用していたのに
外出のたびにカバンを変えて入れ替えて、
時々家に置いて行って…

さあ今日はモバイルバッテリーが必要だぞ、どこに置いたかな。

私は無くしものの天才なのだ


昔からよく無くしものをしていたが、母はよく場所を言い当ててくれた。
幼い子供の行動範囲なんてわかりきっているからだなあと今では納得がいくが
当時はなぜこんなに見つけられるのか、母ならなんでも知っているのではないかと怖くなった時もあった。

ちなみにこれを書いているのは、
上記二つとも探すのを諦めた2日後のこと。

モノを無くすのはモノが多いからだ
と言われる。
一時期流行った断捨離ブームや、海外の方は服の所持数が少ない…などの記事にのっかり、心がときめかないものは捨てる!を実行した日もある。
なんなら今でもそうしてモノを減らすのだが、
まあそれに見合わないほど買い物をしてしまうのだ。

出会ったものは一期一会。
逃すと後悔する。
しない後悔よりする後悔。
時間換算したら今が一番安い。
様々な理由をつけてモノを買う。

正直こうして文章にしてしまうとなんだかとてもチープな言葉たちに感じるし、世間に踊らされている気がするが
人様に迷惑をかけているわけではないし、経済を回すことで世の中が回ると考えて、ポジティブに考える。


新しいものは、すでにあるものを捨ててからでないと
手に入らない。
これを言葉にするには…と初めて検索して
「吐古納新」とこのうしん
という言葉と出会った。
意味はそのまま、
「古いものを捨て、新しいものを取り入れること」(三省堂より引用)

(この原理なら、家のモノが一定量より増えることはないはずだが、
一度隣に置いておくことにする。)


この言葉、去年の秋ごろから周りの人が私に言ってくださる言葉の中で
とても出てくる回数が多く、私の中で大きなものになっている。

もちろんモノもそのままの意味だが、
人との出会いや、好きなこと嫌いなこと、やりたいことやるべきこと、
そんな生きている全てのことに対して当てはまると感じている。

人の持ちうるべきものの量は決まっている。
人に自分のないものを見て羨ましがったとして、
そんなあなたは誰かの持っていないものを持っているかもしれない。

カフェで働く私は、アパレルで働く人を羨ましいと思ったことがある。
事務仕事の母は、カフェで働ける私を羨ましいという。
長年勤めているカフェでの楽しさや安心を捨てれば、知らないことだらけのアパレルで働ける。
事務仕事での安定した給与を捨てれば、不安定な給与だがカフェで働ける。
行動すればできることを、いつも取捨選択して生きている。

モバイルバッテリーも、まつ毛美容液も、
次のモノに世代交代するためにソッと姿を消したのかもしれない。
彼らを捨ててまで新品に変えられない私のために…


安心を捨てれば、緊張が生まれる。
その先にまた別の道が開いていると思う。

今年の私は、もっと挑戦して、いろいろなものを捨てていきたい。
色々なものと新たに出会いたい。

モノを無くした話をしたかっただけなのに、なぜこんなに大事になってしまったのか…、
文章能力を得るために、時間と引き換えに活字と向き合おう…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?