我らの国籍は天にあるから
伝聞:顔(北ノ庄町)
祖母の友人が自宅の階段から転落し、顔以外動かせなくなったらしい。
国内旅行が好きな祖母は、この友人とよく旅に出かけていた。
帰省の折、祖母から北海道旅行の写真を見せてもらったことがある。
「そこに写ってた、一番若い人や。すごいしっかりした人や。」
祖母が言うが、一通り思い返しても似たような顔の老女が横一列に並んでいるという印象しか残っていなかった。
テキパキと自分のことも周りのこともこなし、大好きな旅行に赴く。そんな彼女が顔しか動かなくなったものだから、完全に生きる気力を失っているという。
祖母は、あまりお見舞いに行かない方がいいのか、それとも毎日駆けつけて話をした方が気が紛れて少しでも元気になってくれるのか、どちらが正しいのかわからなくて迷っていた。
「毎朝ボランティアでお寺の掃除に行くような人なのに、(神さんも仏さんもなぁ、、)」
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そういうわけで、私は祖母の友人が入院している病院に向かうことにした。
特に明確な目的があるわけではないけれど、彼女が今見ている景色を自分も見てみたいと思った。
山と畑しかなかったこの土地には、最近バームクーヘンが美味しい洋菓子店が大型の店舗を構え、平日休日問わず車が列を作っている。
バームクーヘン施設の中心には2.5反ほどの田圃がある。昨年の春、とある仕事でここの田植えをした。
大量の紙袋を持つ人、ソフトクリームを食べるカップル、家族連れが田圃を中心にぐるぐる歩く。その真ん中でひたすら手で苗を植える。プチ6次産業を経験するかのような、泥に紛れた小さな石が体勢を変える毎に皮膚に当たってヒリヒリ痛む。
この洋菓子屋は、明治5年から営む和菓子屋から始まった。「たねや」は1951年から洋菓子の製造をはじめたというが、売り上げは全体の1割と、当時さほど力は入っていなかったという。
この菓子屋の向かいには、青い目の近江商人が住んでいた。
菓子屋の主人は青い目の近江商人の「お茶会」にお呼ばれしていた。昼の3時になると庭にテーブルを出してお茶を入れる。クッキーやイチゴのケーキ、リーフパイが並ぶ。それを菓子屋の主人はみていた。
向かいの家でアメリカの文化を学んだ主人は「これからは洋菓子の時代」と銘打って、終戦からわずか6年足らずで洋菓子の事業拡大を決断した。
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自分が泥にまみれているちょうどその頃、山の向かいには、顔しか動かせない祖母の友人がいた。
バームクーヘン施設を超えて西に進み、すぐ左の角を曲がって山に向かって奥に奥に進むと、ヴォーリズ記念病院がある。関係者以外は入ることができなかった。
青い目の近江商人、建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した近江サナトリウム(近江療養院)は、日本初の私立結核療養所である。
ヴォーリズのクリスチャン精神に基づき作られた病院は、大きな窓から明るく陽が差し、風がそよぎ、日光浴室なども設けられ、その奉仕的医療・看護とともに、当時疎外されていた結核患者の肉体と精神を救い続けた。
その後、ヴォーリス記念病院として急性期一般病床、地域包括ケア病床、回復期リハビリテーション病床、療養病床が設置される。
病院の横に、八幡福音教会の納骨堂「ベテル園」があった。
そこにはこう書かれていた。
「我らの国籍は天にあり」
地上に降り立った人々は皆旅人で、最後には国籍のある天を目指して帰って行くみたいなキリストの教えだ。
「旅行が好きな人」という祖母の友人は、これからどんな旅をするだろう。
今までと違う、旅の仕方が出来るはずだ。
祖母の話によると、奇跡的に驚異の早さで手が動くようになっているという。それで、最近絵をはじめたらしい。孫(私)の話をしたら、その絵を見に行きたいって。
病院周辺は音がない。しばらく病院の前で立っていたら、自動ドアが開く音がして中から植物状態の女性を乗せた車椅子が表れて森の奥へ入っていった。
現在地から先は立ち入り禁止のため、彼女が一体どこにいるのかわからない。
お寺掃除のボランティアを熱心に務めていた彼女が、今度はクリスチャン精神に基づいた病院で日々を過ごしている。
遠い存在だから勝手なことが言えるけど、どの病室にいるのかわからないけど、とにかく彼女には、旅の途中でここに辿り着き、ここで入院する羽目になった意味があると信じたかった。
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