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SaaS企業のCPOになりました(自己紹介)

はじめまして、もりかつ(@morika_2)と申します。
「IT投資のモノサシを再発明するSaaS」digsasで、CPO(最高プロダクト責任者)という職務を担っております。

digsasの紹介はCEO石井が書いています。お時間があればぜひ。

CPOとは、Chief Product Officer の略で、最高プロダクト責任者、と日本語訳されます。ご存知ではない方も多いかと思います。
私もそうでした笑

プロダクトの責任者と言っても範囲が広すぎます。
プロダクトマネージャー(PdM)のような動きがメインそうですが、プロダクトマーケティングマネージャー(PMM)のように講演活動があるかも。プロジェクト管理(PM)の側面もありそうです。経営にも参画することになります。

一体何なんでしょうね、このポジション。
(CPO仲間がいたら教えていただきたいです)

そんな背景もあって、不明瞭すぎるポジションなので、私の中でCPOという存在を定義をしてみました。


CPOが全うすべき職務(仮説)

当たり前の話ですが、組織設計の面でも業種の面でも、CPOに何を求めるかは、組織によって異なることが大半だと思います。

まずは、ポジションを立てることになった意思決定の背景を知るべきでしょう。企業毎に解決したい課題背景があったはずです。

その上で、大抵の場合、CPOに求められそうなことを書いてみます。

①プロダクト企画

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当たり前ですが、これ、めちゃくちゃ大事です。様々な方向から寄せられるフィードバックや要望がありますが、基本的にはそれらとは別次元で、市場におけるポジショニングやシェアを見た、未来的な観点での企画です。

例えば、不動産業界において、「住居の居心地」をアンケート等で定量化し、同年代同性が良いと思う賃貸をスコア化し、AIを用いてリコメンドしてくるような機能は、まだどこも持ってない(ハズ)です。

業界内で、この機能のあるなしで、どれだけキャッシュインパクトがあるか、どれだけブランディングに貢献できるか、やるならいつどのタイミングでリリースするか、そもそも業界としてAIはナンセンスなのか。

こういった類のアイデアは、フィードバックや要望からはほぼほぼ得られず、プロダクトを大きく左右する企画になるはずです。しかも、デカイものが多そうなので、検証を進めるスコープの設計次第で、コスト感が1桁2桁変わることもありそうです。

②ロードマップ策定

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上の企画と、フィードバックや要望を合わせ、プライオリティを考える。

また、開発やマーケ等、準備にかかる工数感を洗い出して、概ねどういう計画になるのか、ロードマップに組み込むべき順番を決定していくタスク。

資金が足りなければ調達するのか、先延ばしにするのか、アライアンスでなんとかするのか、みたいな意思決定の中心にもなるはずです。

③進行の意思決定、進行管理、調整・通達

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進行を決定したあとは、進行管理をPMに依頼していく。小さいうちはそれも自分でやる。

また、ステークホルダーや社内への通達や調整も必要になります。
社内ではマーケ、セールス、開発、財務、とは特に関わることになります。特に、って書きましたが概ね全部署ですね()


っと、書いてみましたが、主要なところだけでも、まあまあ広い気がします。

SaaS企業として、組織の理想図は、CPOとCTOのチームに、R&D、ブランド、PMMがいるのが良いかと思いました。

仮説検証をR&DとPMMで、計画時にはブランドの知見で統一、PMMに広げてもらいつつ、進行管理をCTO。
これで1スプリントとして、CPOはそれらのスプリントのもう一層上の年間計画を見ていく、といった体制が適切そうな気がしています。

SaaS企業において、プロダクトは命そのもの。
この最高責任者たるや、企業の生命線。私一人の一存ではリスクなので、仕組みは作っていきたいですが、ここの裁量を持つことはとても楽しみでもあります。


CPOになるまで(以下自己紹介です)

CEO石井とは、当初CTOとしてジョインするつもりで話をしていました。そこから転じて、CPOというポジションをメインとすることを決めたのには、私の特異な経歴もありました。

ざっくり書くと、

作曲家→集客コンサル→Webマーケコンサル→Web開発CEO→IoTメーカー経営戦略

という経歴です。(自分で書くたび謎すぎて草生える)

クリエイティブ路線だったはずが…

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(高校時代の部屋がこんな感じでしたw)

私は根っからの創作家でした。
気がつけば筆を取り、イラストや物語を書く幼少期を過ごしていました。物心ついた時には、吹奏楽をはじめ、チューバという楽器に惹かれて低音KAKKEEEEE宗派に。

「いてもわからないけど、いなくなった時に重みがわかる。」
そういうポジションが、私にとって天職なんだと自覚していました。

高校生になり、ベーシストへの道を歩みます。
作曲家としても評価いただくことがあり、楽曲提供したり、インディーズバンドのサポートとして加入したりしていました。

音楽のプロになるんだ!と意気込んでいましたが、転機は突然やってきました。

16歳で体験した怒涛の下剋上

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当時やっていたバイトがチェーン飲食で、接客態度・提供速度・衛生などをモニターがスコアリングするのですが、私のいた店舗は全300店舗のうちワースト1位でした。

売上も少なく、いつ閉店か分からない危機の中、若いお兄さんが新しい店長としてやってきました。
いわゆるフィクサーです。

詳しくは割愛しますが、そこからの半年が怒涛。
メンバーのモチベーションがみるみる上がり、メンバーの裁量でパッケージメニューが作られたり、全員で旗振りやポスティング、DRMを実施したり。

今思えば皆本職や学業がありながら、スタートアップさながらの勢いとスキルを培っていたように思います。

気がつけば、たったの半年で、全国スコア1位でした。

都内の駅前店を、田舎のロードサイド店舗だった、自店舗が圧倒的に追い抜いていたのです。その軌跡を3000名ほどのキャパのホールで、全国の店舗に向けて登壇発表するなんていう機会も体験しました。

並行して続けていた音楽経由で、ライブや打ち合わせで繋がった経営者等に売上が300%上がった!なんて話をすると、教えてくれ、手伝ってくれ、と依頼され始めます。
飲食店や学習塾の販促活動をお手伝いする日々が始まりました。

これが初めてのビジネス(お手伝い)です。
私は、若干16歳にしてビジネスの魅力に気づいてしまったのです。

Web界隈に飛び込み、デザイナー→エンジニアへ

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高校卒業後はPCを手に入れ、浪人時代や大学時代を過ごしながら、WEBマーケティングというものにも出会い、自分でもブログを書きながら、生身の実践スキルで戦い始めました。
(同時にゲーム好きが悪転し、オンライン廃人ゲーマーにもなりました)

ある日、自分にはデザインの知識が乏しい、ということに気づきます。
マーケティングには必要不可欠、とそう思い、本を読み漁り、AdobeCCを契約して猛勉強します。
デザインも請け始めたことを伝え始めると、名刺やビラ等の依頼が増えてきました。

そして、WEBエンジニアへの道の第一歩。HPデザインという依頼が飛び込んで来ます。
HTML/CSS/JS の存在までは知ってはいても、ブログで使ったくらいで書くにはとても労力を要しました。
ただ、これがめちゃくちゃ面白かったのです。

プログラミング自体ももちろんですが、クライアントワークで必要となる要件定義、プロジェクトマネジメントも、私自身の全てを出しているようでした。稚拙ながらにこなしていくうちに、いつしかNPO法人や大手芸能事務所などからHP制作の依頼を請けることになります。

起業、EXIT、初の会社員になる

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界隈の方々ともお付き合いが増える中、私はビジネスパートナーと出会います。
意気投合し、2016年、WEB開発や集客コンサルを入り口に、企業のIT課題を解決する会社を設立します。

ITに困ってる企業は案外多く、私のような若輩者の提案が刺さっていく感覚はとても魅力的でした。

私は主にデザインとフロントエンド、パートナーがバックエンドとインフラ、という担当でした。お互いがお互いの分野を教え合いながら、足りないスキルがあればプロを呼んだり、メンバーが増えはじめると社内での教育もはじまり、さまざまな業種業態に出会いました。

プログラミングスクールの講師としての依頼もあり、実際にカリキュラムを作成することで、よりITへの知識が深まった時期でもあります。

実績としては、空きスペースの予約システムや数百名規模の社内基幹システム、学習塾のカリキュラムアプリ等を共同企画開発をしていました。

空き時間には、ゲームアプリの開発をしていました。運良く、シナリオを書いたり、イラストを描いたり、音楽を作ることも得意だったので、かなり楽しんでいました。生憎公開するほどには遊べなかったのですが、いつかまた作りたいと思っています。

2018年になり、会社をExitしました。
経営を2年半ほど続け、様々な契約内容や、仕訳の仕方や、採用や教育にあたりました。20代で経営のいろはを実践で学んだのはとても良い機会となりました。

Exitの理由は明確で、超面白そうなIoTメーカーにジョインする機会があったのです。
元々お客様だった同社にはIT人材が不足しており、私たちもまた、サービスを作ることがしたいと思っていました。
パートナーとも合意し、2人でジョインすることを決めました。

IoTベンチャーでの開発・経営戦略

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開発ディレクターとして、toC向け電力計測アプリのUXデザインや、OOHデバイスの映像生成・配信システムの設計・開発を行いました。

翌年には、社内にCOO的ポジションがいなかったことから、元経営者としての経験もあり、同社でCFOと経営企画室を立ち上げます。
ファンド出身のCFOからいろんな知恵をインストールしました。笑

特に私が行ってたのは、補助金や助成金、税制を活用した製品企画と販売戦略の立案です。

まだまだ社内の経営基盤がなかったので、情シスをはじめ、法務や物流、競合調査にプライシング、マーケティングまでなんでも整えながら、企画の実務プロセスを設計し続けていました。

これが功を奏し、経営企画を立ち上げてから約1年で、数倍の売上成長となります。(数値は伏せさせて下さい)

売上基盤としても、ショットのモノ売りではなく、サービスを構築しサブスク化を行いました。これも収益構造そのものを強化することに成功しました。
他にも、JVを立ち上げたり、大手とのアライアンスを拡充することで、よりレバレッジの効く商流を構築できたことも、組織に大きな変化を生むこととなります。

WEB系まっしぐらだった私には、新鮮で、貴重な経験をさせていただく機会でした。

そんな中、コロナがやってきます。
私の知見を活かしDX推進を努めました。
元々、私が主導で活用管理していましたが、この約3ヶ月の間に8つほどのSaaSを取り入れ、自社クラウドへの連携のための中間サーバーの構築を行います。

石井、digsasとの出会い

ちょうどこの頃、digsasに出会いました。

私には、digsasの発足が、時代が必要としたこと、のように思えました。
元々2020年代半ばと想定されていたDXの波は、コロナ禍により加速し、同時に、全ての企業の全部門にIT投資判断が求められています。

私自身がdigsasを必要とした最たるユーザーでもあり、この急速なDXが意味する波乱や、生まれてくる課題がとても容易に想像できました。

その日のうちにCEO石井に声をかけ、それから何度もコミニュケーションを取りました。

石井の人間としての魅力や、目指している世界観に共感し、さまざまなディスカッションを重ねた上で、digsasにジョインすることになりました。

最後に

創作もいつしか趣味になり、気がつけば6年ほどは経営と企画と開発が私の生業となっていました。

しかしながら、自分の意に反する行動を取ったり、後悔したことはほとんどありません。わりとどのフェーズを振り返っても面白い毎日でした。

SaaS界隈に足を踏み込んだこと、CPOという責任を持つこと、時代が求めるソリューションを開発していくこと、どれも楽しみに感じています。

なかなかの長文となりましたが、ここまで読んで頂いた皆様、ありがとうございました。ぜひdigsasを応援ください!

もし私にご興味が湧いた物好きな方がいらしたら、Twitter等でも絡んでくだされば幸いです。

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