早すぎた推し活
こんにちは
中野です。
推し活とは何だろうか?
ここ10年以上、好きな作品やアーティストはいたとしても、スパチャを投げたり、グッズを買うことはない。
最近では推し活のための口座の宣伝もみかける。
僕は推せるものもない、冷めた人間なのだろうか…?
自分の記憶を辿ると、あった。
唯一ドハマりしてグッズを買いまくったものが。
「鋼の錬金術師」
出会いは小学校の高学年。
TVアニメ第一期を見て、錬金術のかっこよさに衝撃を受けた。
それからすぐに単行本を買い、あらゆるグッズを求めアニメイトデビューもした。その時は下敷き、筆箱、シャーペン、消しゴム、財布、すべてハガレンで揃えられた。ハガレンの連想ゲーム鉛筆みたいなのも買った。コロコロ、ボンボンを買い続けたが、ガンガンに鞍替えした。ひな壇のようにそれらを並べていたこともある。メモ帳には人体錬成の材料を記していた。これは中二病だ。
今思えば随分早い推し活をしていたのかもしれない。
そんな推し活に釘を刺された出来事がある。
中学の理科の授業。僕は教卓の一番近くで授業を受けていた。
ハガレングッズを使いたいお年頃で、下敷きを複数枚駆使して授業を受けていた。それに見をつけた先生は、地震のプレートの説明のために僕のハガレンの下敷きを使っていいか尋ねられた。真面目で特に目立つことのない僕は断ることはできない。結果、上半身がはだけたエドワード・エルリック(主人公)の下敷きがクラスの注目を浴びていた。何事もなく授業は進められたが、僕は何故か滝のように汗を流していたことを覚えている。
持ち歩いてる時点でそのリスクはあるのだが、いざ公衆の面前でそれを明かされるととても恥ずかしい気持ちを感じた。
それ以降、僕の推し活が徐々に衰退へ向かった気がする。たぶん。
推していた時の気持ちは、ハガレンを誰よりも詳しくなりたい。
誰よりもハガレンへの愛を形にしたいという欲があった。それが、かっこいいと思っていた。
そのことを思い出した時、現代の推し活というのも理解できた。グッズを飾って眺める楽しさは唯一無二だ。純粋に推せるものがあるということは幸せだったと思う。
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