漠然と20歳で死ぬと思ってた話

いつ頃からだか、20歳で自分は死ぬのだと思ってた。

小学生の頃にはそう思ってたと思う。病気だとか自殺とか具体的なことはなくてただ根拠もなくそう思ってた。

虫歯になりかけても、入れ歯になるような歳にはならないから…。多少太っても、燃やせばみんな骨になるから…。親に理不尽に怒られても、この人たちとの付き合いも長くはないから…。

何か嫌なことがあっても、まぁあと10年…5年…と指折り数えているようなところもあったからこそ、小さい頃から自分の雑な性格の事も嫌わずにすんだように思う。

死にたいわけではなく、はっきりと終わりが見えていた。はー終わった、と早々にキリをつけたかったんだろう。(死にたいとの違いについてはよく説明できない)

小さい頃からすると20年なんて決して短くなく、途方もなく長い時間だと思ってた。それは今でもまだそう思える。


だけど19歳の自分は病気も夢もなくなんとなく生きてた

20歳になる数ヶ月前からメンタルがとてつもなく揺らいだ。終わりの日に期待して全て放り投げてきたツケみたいな揺らぎ方だ。

このままでは当然くると思ってた終わりがこない!自分で手を下すか悲劇的な事故にでも見舞われない限り!!なぜ!葬式費用も墓を新しく作れるくらい貯めておいたのに!!

どうしたらいいのか必死で考えた。やっぱり自殺しかないかもしれないと毎日布団にこもってやり方を調べた。


遺書もお金も方法も揃えて迎えた20歳の誕生日。

今日という最期に誰かと会おう思って、仕事終わりに友達とご飯に行った。

だけど帰り際に寄った実家でたまたま親と久々に顔を合わせると、あなたが生まれた時に見繕った、と20歳の誕生日プレゼントを渡された。

今更こんなもの貰って何になる。ふざけるなと思った。それほどまでに親との関係は修復できないと思ってたし実際今もする気もない。(あっちがどう思ってるかなんて知らない)

一人暮らしの家に帰って真っ暗な玄関でびっくりするほど泣いた。プレゼントが全く嬉しくないことが悲しかった。こんな待ち望んだ日にそんな悲しい気持ちにされたことが悔しかった。一人きりの玄関があまりにも居心地が良くて安心した。

その部屋は紛れもなく自分で勝ち取った最高の場所だった。誰にも何も邪魔されなくて終わりに相応しい場所だ。

プレゼントを投げ捨てて、終わりの方法を握りしめて部屋の真ん中で、ふとこれが1番正しかったのか分からなくなった。

誕生日はあと1時間もない。今が1番そうなる時だ。

その日ご飯に行った友達からの何気ないLINEを見た。気がついたら電話をかけていた。

友達に誰にも話したこと無かった今日まで思ってた事を全部話した。どうすればいいんだろうって泣きながらたずねた。「死にたいの?」って聞かれても死にたいわけじゃなくて、今日で終わりだから終わりとしか返せなくてどんどんわからなくなっていき、ついに日をまたいだ。

絶対にこないと思ってた、想像もしてなかった20歳2日目。

迎えると呆気なくて、勝ったような気持ちになった。終わりがなくなってしまうと先がどうにも果てしなくて怖くもなった。今日から何をすればいいのか本気で分からなかったけど、また明日もそうやって考えられることに気がついた。

場所とお金と時間がたくさんある。とても嬉しい気がして、おやすみと寝られた。


今でもよくあの日の事を思い出す。考えることを放置してきたツケはまだあるけど、なんとかやっていけてる。

終わりがないと不安で仕方なくなるのと同時に、なぜか死にたくないって気持ちがほんの少しわかった。

世の中の人もいつでも終われるのに生きてる。すごいなあ…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?