ミステリ読書歴1〜5冊め その2

1〜5冊めを再掲する。

テロリストのパラソル 藤原伊織
殺人交叉点 フレッド・カサック
迷路館の殺人 綾辻行人
葉桜の季節に君を想うということ 歌野晶午
時計館の殺人 綾辻行人

4冊めの「葉桜」も「殺人交叉点」と同じく姉の推薦図書であった。なぜ(ネタバレになるかもだけど「これは書いてもいい」と判断したので書いていきますが)叙述トリックばかり薦めてくるのかわからないが、「すごかったので読んで」というより「反応が気になる」みたいな感じだったのではないかと思う。もしかしたら他にも色々薦められたが私が読まなかっただけかもしれないが。

「葉桜」は、ネタばらしまで仕掛けに気づかなかったが、あまり感心できなかった。ただそれでこの本が駄目だというつもりはなく、自分の読書歴とこの本の関係から、この評価が生まれてきたのだと言えるだろう。
まず、「金田一少年」を含め触れてきたミステリ作品は、暗かったり陰惨だったりするが、この作品は全体的に明るい雰囲気が漂っていたため、うまく馴染めなかったという記憶が残っている。「ミステリは暗くなければいけないのでは」という思い込みがスムーズな読書を邪魔したのだ。「サンプル数の少なさからくるジャンル性質の認識間違い」と言えるだろう。
また、こんなに読んでいる冊数が少ないのに、叙述トリックを含むものばかり読んでいるのもマイナスに働いたかもしれない。「またかよ」みたいな。「その1」でもちょっと書いたが、叙述トリック=ミステリの醍醐味、ではないので、初心者に叙述トリック(「最後の一撃」とは別概念だが、しばしば被るので一緒くたにしてしまっている、雑で申し訳ない)ものばかり薦めるのは「ミステリに興味を持ってもらいたい」という目的があるとするなら得策ではないかもしれない(何冊か読んで終わりになる気がするから)。
「葉桜」については、以前に書いた以下の文章で「毒がない」とマイナス意見を書いているが、これもまあ、ちょっとあると思う。

しかし、もっとミステリを読んでから読むとか、逆にミステリ一冊めであったとか、出会い方が違えば印象も違ったはずで、「毒がない」という意見は「あえて作品自体に難色を示すとすれば」というものに過ぎない気がする。「感心しなかった」のは事実で、「僕はこの作品に毒がないと感じた」も事実だが、「毒がないと思ったので感心しなかった」が事実である確証はなく、因果関係の捏造である可能性も否定できない。

5冊め「時計館の殺人」は、母方の実家に遊びに行くとき、行ってもやることがないだろうと思って道中で厚めの本を買い、実家の居間でずっと読んでいた。たぶん浪人時代。
この読書体験には、後で思い起こしてみると、ミステリの楽しみ方が詰まっていたので書き残しておきたい。

まず、この作品は犯人が名指しされる前に「こいつが犯人なんじゃ?」と思い、実際にそいつが犯人だったので、「犯人を当てた」小説である。自分史上、初正解だ。しかし、根拠が明確にあったわけではなく、いかにも怪しいと思っていたら本当にそいつが犯人だった、というだけである。普通はそういうとき「やっぱりそうかよ」とマイナス評価に転じそうなところだが、この作品は違った。なぜなら、「いかにも怪しいが、どう犯行を行ったのかがわからなかった」からである。つまり、この作品のサプライズの主眼は(徐々にネタバレを書いていくので、未読の方は「読んでみようかな」と思った時点で「時計館」自体を読もう)「誰が犯人か」ではなく「その人物がいかに犯行を行ったか」なのである(その人物を怪しいと疑うところまで、作者の手の内だったのだ)。
読書中面白かった作品は、ぜひとも真相を当てたいと思うので、真相がバラされそうなページになると極端に読むスピードが落ちたり、読むのを一旦やめたりするのだが、僕はこの作品では(実家でヒマだったこともあり)かなりの時間、真相開陳前で読むのをやめて考えていた。しかし、全然わからないので、おそるおそるページを進めていた。結果的には、真相がモロに書いてある箇所の1ページ手前で真相を当てることができた、のだが、それはもうヒントが99%まで書いてあり、答えを読んだのとほぼ変わらない状態だったので、敗北感を味わうには十分だった。

というわけで、この一冊で「真相のうち一部は当てることができ、優越感を覚えた」「どうしてもわからない箇所について『当てたい』と強く願い、考えた」「結局負けて、素晴らしいプレイに感服した」という、ミステリの楽しみを盛りだくさんに味わうことができた。前述の通り、犯人が見え見えなのも作者の仕掛けなので、犯人を当てた、勝ったぞという優越感も偽りの優越感であることを考えると、結局全部負けなのだが、それでも「何から何までわからない、負けです」というのとは違って、(作者の誘導とはいえ)少しは自分もまっとうに頭を働かせることができた、という満足感はあった。

このあとミステリを読んでいくことになるわけだが、印象に残っている作品の多くはこの「一部当てて一部わからなかった」パターンに該当する、ということが読書メモによってわかっている(犯人はわからなかったがトリックはわかった、仕掛けには気付いたが実はもうひとつ仕掛けがあった、などのバリエーションがある)。もちろんミステリの楽しさはそれだけではないが、いい勝負だった、という体験はスポーツでもゲームでも良いものになりやすいし、一部は読者に当てさせるというのは作者としても良い戦略ではないかと思う。

この調子で1冊ずつ思い出話をしていくのかどうか、全然決めてない



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