ミステリ読書歴 11〜20冊め

すべてがFになる 森博嗣
十角館の殺人 綾辻行人
七回死んだ男 西澤保彦
密閉教室 法月綸太郎
倒錯のロンド 折原一
殺戮にいたる病 我孫子武丸
魍魎の匣 京極夏彦
ハサミ男 殊能将之
斜め屋敷の犯罪 島田荘司
殺人鬼 綾辻行人

11〜19冊めは、大学4年の頃に第一次ミステリブームが来て、ブックオフで超有名作品を買ってきましたよ、というラインナップ(読んだ順番は覚えていないので適当に並んでいる)。20冊めは、十角館が非常に良かったので綾辻作品をおかわりしたものと思われる。この辺は短期間に読んだ。しかし、このブームは長くは続かず、あと数冊読んだあたりで終わってしまう。

価値観を揺さぶられるようなのが良い読書体験だとするなら、「十角館」には、文学的な揺さぶられとは違うが相当揺さぶられたのを記憶している(一文に「揺さぶられ」と3回書いてしまうようでは駄目なのではないか)。この本がミステリブームを巻き起こした、という前知識はあったが、途中があまりに退屈で(今まで読んだミステリのどれよりも退屈だった)、早くオチを読んで読み終わりたいと思って読んでいたが、オチでまんまとやられてしまった。1987年の作品で、20年後の2008年に読んだ人にもショックを与えられるのはさすがにすごいなと思った。余波でこうもなのだから、震源地の人はなおさらだろう。

自分の場合はミステリ歴十数冊目に読んだ、というところも、ちょうどいい頃合いだったのではないかと思う。だいたいミステリのお約束を掴んできた頃で、かつ、フレッシュな気分もまだ残っていた、というところだ。

ところで自分は「時計館」を既に読んでいるが、「十角館」でそれを凌ぐショックを受けたのは何故なのか?発売当時の読者に対する衝撃度としては十角館の方があったかもしれないとはいえ、後世の人である自分はもう十角館的なスピリットを受け継いだミステリに何冊か触れているわけだし、たとえば時計館も十分すごかったんじゃないかと思うのだが。

同じくショックを受けた本に「夏と冬の奏鳴曲<ソナタ>」がある、と以前書いたが、これも読んでいる最中は本当に退屈で、つらかった。読んだ後の情動的なショック度では「十角館」「夏冬」読書時がツートップだと思うが、「途中死ぬほど退屈だった」という共通点がある(あくまで自分にとって、という括弧つきだが)のは興味深い。夏冬は、たしか約半分くらい非常につらくて、文章の下手さ(言ってしまった)や雰囲気に合っていない素っ頓狂な比喩表現に心は冷え切っていたが、主人公が名前の似ている著名な名探偵に間違えられる、というシーンでやっと「おっ?そういう話か?」と思い、その後、さんざん引っ張ってやっと辿り着いたあるシーンで一気に引き込まれ、そして例のアレで批評心を剥ぎ取られ、本編のラストで轟沈、という感じだった。こういう経緯は、読んだのが最近なので比較的覚えている。

十角館は、途中どう退屈だったのか、最後の最後まで退屈だったのか終盤の展開はわりと面白かったのか、というディテールは覚えてない。ただ、なんとなく覚えているのは「こいつが犯人かな、ああこっちも怪しいな」みたいなことを考えつつも「あー別に誰が犯人でもいいから早く読み終わりたい」と投げやりに考えていたということだ。何か、こういう油断した態度が心にスキを生んだのではないかと思う。あまり面白くもない結論だが、舐めてかかったからショック倍増、というのは考えられそうだ。

もう少しいろいろと考えてみたいところだが、とりあえず今までの読書歴を一通りおさらいしてみようと思うので先に進む。今回十角館と、11~20冊めではない夏冬の話しかしてないが、まあいいか

あ、もうひとつ重要な作品があるので書いておく、「密閉教室」は衝撃とは別の方向で印象に残っている。ミステリ的な仕掛けもあるのだが、なんというか、「ONE〜輝く季節へ〜」を深夜に暗い部屋でやっているかのような読後感の小説だった。全然いいたとえではない








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