ミステリ読書歴 6〜10冊め

読んだ順に

重力ピエロ 伊坂幸太郎
容疑者Xの献身 東野圭吾
春期限定いちごタルト事件 米澤穂信
ZOO 乙一
奇偶 山口雅也

浪人〜大学2年あたりに読んだもの。このエリアはミステリの枠を越えた話題作が並んでいるといった印象だ(最初の二冊だけ?)。それにしても奇偶が浮いている。

奇偶は大学の授業で先生が紹介していて、興味を持って買って読んだ。
今から考えてみると、ミステリをもう少したくさん読破した状態で読んだ方が楽しめたかなと思う。上下巻あってかなりボリューミーなのにも関わらず最後まで読めたので、つまらなくなはかったと思うのだが(打ち間違えた)、(ネタバレ一歩手前のことを書きますが)ミステリ的に反則なことをやっているのに当時の自分はあまり反則だと思わなくて、よくあることだと思って読んでしまった。掟を知らない状態で掟破りを見ても掟破りだと思わないというやつだ。例として相応しくないと思うが、村上春樹「羊をめぐる冒険」を読むような感じで読んだら特に反則は起こっていないように読める、という感じである。うん、相応しくなかった

奇偶は、そういうミステリ的真相は印象に残っているが、それに至る道中でも印象に残っていることがある。

「あるカジノのルーレットで局所的に、たまたま十回連続で赤が出ることもあるだろう。しかし、世界中のルーレットの出した色は限りなく赤と黒の半々に収束していく。それはなぜなのか。全てのルーレットを掌握し、出目をコントロールしている見えざる存在がいるのか?」

という話で、当時(今もだが)「あれ?なんで半々になるんだ?でも神的な存在がコントロールしているわけではないと思うけど、じゃあ半々になるのはなぜかをどう説明すればいいんだ?」と思った(思っている)。簡単な話だと思うんだけど、なぜなんだったっけ……改めて言われると何でなんだっけと思ってしまう。なお、十年以上前の記憶なので上記のような記述が本書に本当にあったかどうかもあまり自信がない。

順番が前後したが、「重力ピエロ」は面白かったと思ったが、伊坂幸太郎は二冊目を読んでいない。なんだろう、面白かったと思うのだが、「二冊目を読んでいない」という歴史上の事実が何かを裏付けている気がする、と今しみじみ思っている。本を読んだ順に思い出してゆく試み、面白いぞ

「容疑者X」は、すっかり騙されたし面白かった。当時(今もだが)「話題作」って斜に構えて読んじゃうよねというきらいはあったが、素直にこれは良かった(100%素直ではないが。というか100%素直に読めるミステリはあまりない)。本格ミステリ界隈でずいぶん話題になったようで、容疑者X論争に関する文章は今に至るまでけっこう読んでいる(主にネットで。面白い議論とつまらない議論がないまぜになっていると感じたが、総じて興味深かった)。
(ネタバレ気味のことを書きますが)自分は一読後、「石神が恋をしたのはXXではなくXXなんじゃないの」と思っていたら、その説を二階堂黎人がネット日記で披露していて、だよねと思った(「そうも読めるよね」というだけで、積極的に推すほどではないが)。
「ジャンル論争(本格なのか)」「出来論争(傑作なのか)」「難易度論争(簡単じゃないか)」「人倫論争(ひどいじゃないか)」など、さまざまな切り口で語れる作品となった(なっている)ことは確かで、自分もこのまま容疑者Xについて思いついたことをたらたらといくらでも書き続けられそうなのが、この作品のすごいところだと思う(たぶんネットで読んだことを繰り返すだけになりそうなのでやめておくが)。
あと、東野圭吾はこの後何冊か読んでいる……と思ったら、あと一冊しか読んでなかった。あれ……。

「春季限定〜」は、読んだが「夏季限定〜」以降読んでいない。牛乳のやつだけ覚えている。

「ZOO」は印象的な短編が多く、今でもだいたい内容を覚えている。映画も観たからというのもあるだろう。映画は普通だったが、主題歌の THE BACK HORN「奇跡」のPV(映画バージョン)が超好きで、100回は観た(そんなに観てないな、50回は観た)。「奇跡」はその後バンドでもコピーした。

ところでこの大学生くらいの頃、ミステリと言われる小説を読んで、ミステリ的な仕掛けや、小説内でのオチの付け方、みたいなところに感心はしても、読後何かぐるぐると残るものがあるか、というと、特にない、ということが多いので、そういうのを徐々に期待しなくなっていった、という変化がこの頃に起きていたと思う。中高時代は村上龍ばかり読んでいたのだが(勇気のいる告白だ)、一冊一冊の重みが自分としては相当にあった(軽いのもままあるが)。「重力ピエロ」には、いい人や、いいメッセージや、感動はあるが、自分が小説を読むときに(時間を掛けて小さい文字を一生懸命に追うという疲れることをして)得られるのではないかと期待していた何かはないのであった。ないので、これはエンタメだ、エンタメとして書かれている、読み込もうと思えばいろいろあるかもしれないが、まずは読んでいるあいだ楽しめたり感動できれば読者も作者もOKなやつなのだ、という考え方に徐々にシフトしていった、という感じだろうか(そのまま「純文学は深くて、ミステリとかは浅い」と言っているように見えるが、特にそういう意図はない。掘っている方向が違うのだ、とは言えるかもしれない。大学2年までで、ミステリは10冊だが、本全体でも125冊しか読んでおらず、読書はとにかく重労働でできればやりたくない行為だったため、相当な対価を求めていたと思う。そして、その「読書という苦行から得られる対価」にどんなバリエーションがあるのか、読書体験が偏っていたために知らなかったのだと思われる。自分が今まで読んできたような本から得られるタイプの「ぐるぐる考えさせられる内容」を過大評価し、それ以外を過小評価する、という事態に陥っていたとしても不思議ではない。なお、読んでいるときのスリリングやサスペンス、驚愕の瞬間風速が弩級のエンタメで、後に何も残るものがない作品があったとして、それは非常にすごい作品だと思う)。

「ぐるぐる残るようなもの」は、ミステリジャンルとしてカウントした、ここまで登場した10冊にはなかったと思う。たぶん次回は一冊以上そういう作品が出てくるはずである(お楽しみに)。しかし、今日はいつにも増して何回書き直しても思ったように書けなかった





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?