ミステリ読書歴 61〜70冊め

遠海事件 詠坂雄二
セカンド・ラブ 乾くるみ
美濃牛 殊能将之
黒い仏 殊能将之
消失! 中西智明
誰のための綾織 飛鳥部勝則
犯罪 フェルディナント・フォン・シーラッハ
電気人間の虞 詠坂雄二
塔の断章 乾くるみ
クラリネット症候群 乾くるみ

2017年6月〜7月あたりの読書。梅雨時であり気温も不安定なため毎年あまり調子がよくないのだが、それが読書にもあらわれ、途中で読むのを放棄したりしがちだった。天気のせいにするのと本のせいにするのとではどっちが不遜な態度だろうか

「遠海事件」はかなり好きだった。この本の副題は「佐藤誠はなぜ首を切断したのか?」で、その答えを一言で言えば「◯◯を◯◯するため」なのだが、今回挙げた他の9冊の中に偶然、これと同じ理由で首を切断した人物が登場する。無意味なネタバレをしてしまった。

「セカンド・ラブ」は現時点までに読んだ乾作品の中でもトップクラスに好き。「イニシエーション・ラブ」を通過した読者たちVS作者、という戦いは圧倒的に読者(たち)が有利では?と思うのだが、私個人に関して言えば、今回も負かされた。しかも、読み終わってから意味がわかるまで数分かかったというところもイニラブのときと同じだ。相当身構えていたのにその上をいかれ、正直イニラブのときよりも感心した。なお、こういった叙述トリックは(叙述トリックと言ってしまった)「だから何?」と言われる危険性を孕んでいるのだが、では自分はなぜ「だから何?」と思わずに「やられた」と思ったのか。それは、何回も同じことを書いてしまうけど「相当身構えていたから」だと思う。つまり、叙述トリック作品であることを知っており、どこが仕掛けなのかを推理しながら読んでいたことが驚きにつながったのではないかと。うーんあまり理由の説明になっていないような、うん、今ちょっとお腹いっぱいで頭がはたらかない

「美濃牛」これは長かったが、序盤から話に乗っかることができ、終始楽しい読書だった。殊能将之の文章はバランス型で、読みやすいが(乾くるみや小林泰三のようには)過度に読みやすすぎることもなく、美文とまではいかないが悪文ではない、言わば良文である、という印象がある。

「黒い仏」は長編というよりは長めの短編という感じで、小粒だったが楽しんで読めた。けっこう好き。

……というだけで「黒い仏」の感想を終わらせるのが2018年のアーバンスタイルだと思ったのだが、何が2018年のアーバンスタイルだ!という気持ちもあるのでもう少し書く。

つまり、毀誉褒貶激しい反則本であるという事前知識を持った状態で読んだのでバイアスがかかってしまったと思うが、そんなに反則でもないのではと思った。それは書かれてから17年経って読んだからというのもあるかもしれない。
ただ、これを読んで怒った人がいるならその心中察することもできなくもない。特殊設定のミステリは色々あるが、この本がそれら(西澤保彦のSFミステリとか山口雅也作品とかを想定している)と違うのは、中盤まで特殊設定であることが明かされないことだ。看板に偽りあり、ということである(でも講談社ノベルスの背表紙にはちゃんと普通の本じゃないですよということが書いてあるが)。そして「ハサミ男」という本格ミステリの話題作をものした作家の新作ということもあってか、おそらくその中身は読者の期待していた方向性ではなかったのである。動物園だと思って入ったらドイツ村だった、みたいなのはたしかに怒るかもしれない。
類例として「正解するカド」を挙げたい。 Amazonのレビューを見るとこちらの会場でも激しい怒りのポエムを鑑賞することができるが、この怒りは乱暴に言えば物語の入り口と出口が違い、さらに悪いことには、この入口看板を見て入ってくるような客がたいてい嫌っているような出口を用意してしまったことだ。得られるはずだった喜びを奪われただけでなく嫌なものを見せられるという「相手を怒らせる技法」の実践みたいなことになっている。自分はこの作品を全部見たが、後半部分のような展開をする他の作品は山ほどあると思われるので、この展開自体は悪くない、ファンも大勢いるのではないかと思った。ただ、正解するカド1話〜5話のあとにやる9話〜12話ではなかったのではないか。想定ターゲットの転換、または想定ターゲット詐欺ともいえるかもしれない。

で、黒い仏に戻るが、黒い仏の後半部分の想定読者も、やはり本格ミステリ愛読者でしかあり得ないのではないか、と思う(某伝奇シリーズの読者、というわけでもあるまい、あるとしてもサブ想定読者である)。つまり、入り口も出口も想定ターゲットは一緒なのである。正解するカドのような想定ターゲット詐欺はしていないのだ。黒い仏はちょっとだけ読者の先を行ってしまっただけなのかもな……という話を渋谷のエスニック料理屋でもした。黒い仏と正解するカドを併置する論法を気に入ってしまったのか

「消失!」「誰のための綾織」は途中で挫折し、現時点でも最後まで読んでいない。ではなぜこの読書リストに加わっているのか、それは、2017年から途中で挫折した本もメモするようにしたからである。「消失!」は話が全然頭に入ってこなくて目が紙面を上滑りしていたので途中で読むのを断念した。「誰のための」は、梅雨時にじめじめした女子の陰湿な行為を読むのはつらい、ということで中断した。どちらも、また読むかもしれない。ただし、問題は、もう感想サイトを読んでネタバレしてしまっているのである。現実は非情である

「犯罪」はミステリじゃないかもしれないが一応リストに入っていた。やたら読書メーターか何かでの評価が高かったので読んだ。話は魅力的で面白かったが、いまだに次作を読む機運は高まっていない(「機運が高まる」といった、微妙にネットスラング化した表現を使うことについての抵抗がある、ということを告白しつつ、好きな方のネットスラングなので使ってしまう)。

「電気人間の虞」は「遠海事件」が面白かったから読んだ、ということになるのだが、もうひとつ理由がある。前後に読んだ本を見れば、◯◯◯◯◯◯系の本が多く、中でも「◯◯の◯◯」が絡むものばかりだな……ということにお気づきであり、さらにミステリ感想サイト「◯◯の◯◯◯」の読者であれば、まんま(あのページで紹介されてるやつだな……)とわかってしまうのだが、つまり、ネタバレをある程度見た状態で読んでしまったんですよね。結果的にこの読み方はよくなかったと思います。◯◯の◯◯◯さんもその点を考慮してわざわざ伏せ字にjavascriptまで使ってネタバレをしないよう書いていただいているので、完全に私が悪い。一応弁明すると、これらの読書はそもそもその本を楽しむ目的ではなく、トリックの使われ方を言わば研究するようなつもりで読んでみたのである。しかし、その目的で読むと、本のツカミの部分を読むのがたるかったりして、あまり良い読書体験にならない、ということをこの出来事は物語っていた。というより、研究のつもりで読むのだったら研究に徹するべきで、読書のワクワク感などを同時に得ようとしたことが強欲だったのかもしれない。というわけで、さっき「梅雨のせい」などと申したが、読書姿勢自体もよくなかったのだ。と思う。書き忘れたが、「電気人間の虞」は最後まで読めたが、全く入りこむことができなかった、が、前述の通り、読書姿勢の悪さに拠るところが大きいと思うので、作品に対する評価は差し控えておく。そりゃ、ほぼ完全な形でのネタバレを読んだ状態で読んだら仕方ないよね……。

「塔の断章」については、過去の記事で触れた。

「クラリネット症候群」は「マリオネット症候群」「クラリネット症候群」の二本立て。どちらもドタバタ感が強く重厚さこそないが、面白くて好きだった。「ミステリ史に残る傑作ではないだろうな」という評価と「自分この作品好きだな」という評価はしばしば矛盾せず両立するが、そうなった場合「ああ自分はこの作家が好きなんだな」という思いに至り、晴れてファンの誕生となる、ということが往々にしてあると思うのだが、私と乾くるみについてはこの「クラリネット症候群」がその作家—ファン関係成立の立役者、ということになる(「塔の断章」でも同様の評価は持ったが、「クラリネット症候群」でよりハッキリしたので、こっちのをファン成立作品として認定させていただく)。←思いつくままリニアに文章を書いていくと、このような行き当たりばったりな長文かつ悪文になる、推敲は大事である

というわけで61〜70冊めの感想を書いたが、10冊まとめて感想を書くのがしんどくなってきたので、次からわけるかもしれない。

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