ミステリ読書歴 41〜50冊め

[映]アムリタ 野崎まど
螢 麻耶雄嵩
さよなら神様 麻耶雄嵩
狂人の部屋 ポール・アルテ
第四の扉 ポール・アルテ
ターミナル・エクスペリメント ロバート・J・ソウヤー
高校入試-シナリオ- 湊かなえ
犯罪の重 重箱のカド
一の悲劇 法月綸太郎
異邦の騎士 島田荘司

2016年〜2017年1月に読んだ本。2017年4月に読んだ51冊目の「アリス殺し」から第二次ミステリブームが始まったと定義しているので、50冊めのここまでがちょうど一区切りと言える。

「[映]アムリタ」は非常に良かった。サプライズだけでなく、「人間ってそうだよね」みたいな納得感があった。「魍魎の匣」や「人格転移の殺人」を読んだときに、心身問題や心脳問題についての考察がミステリで出てきた場合「おっミステリという器の上でこの辺の問題を扱うことによって面白い答えが提示されたりするのかな」と期待してしまうのだが、そういった問題は本の主テーマではなくあくまで舞台設定、前提として扱われているに留まり紋切り型の説明になりがちで新しい解釈や見え方を提示したりするわけではないんだな、ということを感じ、その辺をミステリに期待するのは違うのかなと思っていたのだが、このアムリタは「その辺も面白いじゃん!」と思うことができた。
なのでアムリタ以外の野崎まど作品も買って読んだのだが、それらはなぜか文体が合わなくて、数十ページでやめてしまった。アムリタは文体も含めて好きだったのだが……。

「螢」は麻耶雄嵩初読み。2016年2月あたりに読んだ。ミステリを熱心に読みはじめたのは2017年4月なのでタイムラグはあるが、この作品は第二次ミステリブームが到来する遠因にあたると思っている。
この本は前評判は知らず、図書館を徘徊していて見つけ、麻耶雄嵩という名前は知っていて(いい加減な知識で何となくラノベ寄りのミステリを書く方だと思っていて読んでなかった)、かつ薄かったので借りた。
「時計館」の感想のときに書いた「真相を一部当てたが一部外した作品は印象に残りやすい」にピッタリ当てはまる作品で、序盤早々に仕掛けのアタリがついて中盤で伏線を看破し「面白い趣向だけど見え見えでしたなあ」と勝利宣言までしたが、実はもう一個仕掛けがあってそちらは完全に不意打ちで「うわ、失礼しました」と思った。こういう心の動きをした読書はたいてい印象に残る。
読んでいるときの心境は高揚とは無縁だったため(ベタベタなクローズドサークルものだなあ、なんかわざと書いてるのかもなあ、みたいな感じで冷めた読書だった)、そこまで傑作だと思ったわけではなかった。ただ、二段構えの仕掛けになっておりその仕掛けが「奇妙なサプライズ」になっていた点と、謎を残すような終わり方はあざといけど嫌いじゃない、という二点が妙に印象的で、本を返却した後も「螢って実は良かったのでは?」「螢って世間的にどんな評価なんだろう」みたいなことが気になって不思議だった。

立て続けに「さよなら神様」も読んだが、こちらも良かった。犯人が最初の1行で明かされ、でもその人には犯行は一見不可能そうなのだが、じゃあ「どう考えればその人が犯人になりえるのか?」を無理矢理考えていく趣向の作品で、趣向さえわかれば難易度がそんなに高くない短編も入っており、短編集ではあるものの「当たったり外れたり」が味わえるという意味では「よい勝負」として印象に残りやすいかもしれない。

ポール・アルテ作品をなぜ読んだか記憶が曖昧なのだが、たしかミステリ感想サイト「黄金の羊毛亭」で紹介されているのを見たから、ではないかと思う(このサイトの存在は前から知っていて、ミステリを読み終わった後によく拝見していた)。殊能将之が熱心に紹介しているのを知ったのも羊毛亭からの逆引きである。ではなぜ数ある羊毛亭のミステリ感想文の中からアルテを選んで読んだのかだが、その辺が曖昧で、おそらく「羊毛亭で見たことのある本を図書館で見つけて、薄かったから借りた」だと思う(今ちょっと思ったが、「螢」の感想を羊毛亭に見に行って、そのときたまたまアルテの項も読んだのではないか)。
「狂人の部屋」「第四の扉」は、仕掛けや真相に真新しいものはなかったもののどちらも面白く、「Yの悲劇」や「グリーン家殺人事件」で感じた「海外ミステリ読むときの疲れ」がまったくなかったのに好感を持った。もしかすると、「海外ミステリ疲れる」ではなく「昔の海外ミステリ疲れる」なのではないだろうか。「最近の海外ミステリ」をもっと読むことによってこの説が補強されるだろうが、しかしこれ以降一冊も読んでない。

「ターミナル・エクスペリメント」は、「イリーガル・エイリアン」が破格の面白さだったためソウヤーをおかわりしたもの。エイリアンを貸してくれた人はソウヤーでエイリアンが一番面白いと言っていたと思うので、過度の期待はせずに臨んだ。しかし前述のとおり、心脳問題系を扱った作品は新規面白解釈をどうしても期待して読んでしまうらしく、まあまあという感想に留まった。

読書記録を見ると、この辺の時期に平野啓一郎「空白を満たしなさい」を読んでいる。ミステリカテゴリではないと思ったが、思い返してみると主人公の死因を追うミステリとも読める気がしてきた。とはいえあえてカウントはしなくていいか。先に進みます。

さらにどうでもいい情報だが、「ターミナル・エクスペリメント」を借りる際に図書館のメール通知サービスを申し込んだので、ここから先はいつ何を図書館で借りたかの記録がメールで残っており、正確な情報をもとに読書記録がつけられるようになった。逆に言うと、ここまではかなりいい加減な記憶を元に書いているので、読んだ順番や時期は実際と違うかもしれない。

「高校入試」はその頃脚本/戯曲形式で書かれたものを読むブームが来ており「生きてるものはいないのか」「幸せ最高ありがとうマジで!」などと一緒に借りた。テレビドラマの脚本の形なのだが、読みやすく、この形で一向に問題ないなと思った。高校入試自体はそれほど印象に残らなかったが、脚本形式のミステリというのはありかもなあと思った。

犯罪の重の感想は昔書いた。ミステリ的な作品も収録されているのでミステリにカウントします

「一の悲劇」「異邦の騎士」は古本で買った。どちらもドラマ向きという感じで、一の悲劇は実際に2016年秋に長谷川博己主演で2時間ドラマ化された。

次は、ここまでの50冊の振り返りを総括したり反省したり前言撤回したりしたい。

あと、法月綸太郎作品はちょくちょく出てくるのにほとんど言及していない(「11~20冊め」以降すべてのピリオドに登場しているのは法月綸太郎だけなので、けっこう特別な存在だ)ので、その辺もどうにかしたい

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