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ビーフジャーキーみたいにおいしい、涙

まだ自分の老いをフィジカルで体感したことはないが、最近「これが老いというものかしら」と感じたものがある。

音楽だ。

今巷でヒットしている音楽が、もうグッと来なくなってしまった。
つい数年前まではヒットしている流行りの曲を聴けば「ああ、わかる、これは良いよな」と納得していたんだが、今は何を聴いてもグッと来ない。なぜこの曲が人気なのかわからない。それがなんだかとても切ないのだ、最近。

結果何を聞くかというと、昔好きだった音楽。10年前くらいにヒットランキング上位に入っていた音楽。両親が好きで、小さい頃よく車の中で流れていた曲。とにかく昔聞いていたものに心地よさを感じるようになった。「そうそう、これこれ」と。

放っておくと私はきっと、昔の曲ばかり聴くようになって過去に置いてけぼりになってしまう予感しかない。別にそれ自体が悪いというわけではない。つい最近までは自分が良いと思うものとみんなが良いと思うものが同じだったのに、いつのまにかそこに乖離ができている、その事実がすごく悲しいのだ。これが老いてゆくことなのか、と。

人間の一生は雑に振り分けると「若者期かそうでないか」の二つしかない。そして当然、「若者期じゃない」時間の方がうんと長い。人生のほとんどは若くない自分で過ごす。むしろそっちの方が人生の本番と言っても過言ではないかもしれない。

とうとう自分も「若者じゃない」ステージに移行しつつあるのかもしれない。そう思うと余計に切なくなってくる。なんせ私の人生で1番楽しかったのは、1番無垢だった幼稚園の3年間だからだ。そこからどんどん遠ざかっていく。

そして目の前に広がっているだろう人生の「本番」に、めんどくさいだろうなと思う。そしてそのめんどくささと同じくらい、ビーフジャーキーのようにおいしいんだろうなとも思う。噛めば噛むほど味が出てくる。酒が飲みたくなる。固すぎて歯が立たないことだってある。しょっぱい。でも噛むとほんのり甘い。このおいしさはきっと、大人にならないとわからないものだ。

その意味で、おとなの人生は子どもも食べられるような駄菓子屋のスルメではない。イカどころじゃない。乾燥させた牛肉だ。それも、アメリカのだだっ広い牧場で育った、軽自動車くらいある牛の、乾燥肉。赤い。それをビーフジャーキーと知らないと、食べる気にならない。でも食べれば美味しい。もちろんまずいビーフジャーキーもある。

仕方ない、今日も生きよう。私のApple musicの履歴は相変わらずほとんど2010年代か2000年代で止まっているけれど。

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