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オバケはだれだ!

家から徒歩1分のところに小学校がある。つい先日は入学式があり、前日の雨で桜が敷き詰められた道路をピカピカのランドセルを背負った新一年生たちが親の手を握って登校していた。

徒歩1分の距離といってもほぼ小学校の裏に家があるので、昼間には風に乗ってチャイムや校内放送が聞こえたりする。グラウンドで遊ぶ声も、また。

今日なんかは、先生と思しき男性がマイクもなしに大声でなにかを叫んでいるのが聞こえた。おうむ返しのように、その後に続いて子どもたちの声も聞こえる。

耳を澄ませて聞いてみる。

先生:「こんにちは!」

キッズ:「こんにちはっ!!!」

先生:「〜〜〜〜!」

キッズ:「〜〜〜〜!!!」

時折こもって聞こえなくなり、最後に聞こえたのが

先生:「オバケはだれだ!」

キッズ:「オバケはだれだっ!!ギャーーー!!」

思わず耳を疑ってしまった。だって昼間から男性と子どもたちの明るい「オバケはだれだ!」が聞こえたのだから。

「オバケはどこだ?」ではなく「オバケはだれだ!」と言うくらいなのだから、きっと人間の見た目をしたオバケがその場に紛れ込んでいるんだろう。社会のメタファー…と思ったが、そう書くのはやめよう。

自分が小学生の頃、いちばん楽しかった遊びはケイドロと缶蹴りだった。ケイドロは警察と泥棒のケイドロ。関東ではみんな「ドロケイ」と言っているらしい。

もちろん足は速くなかったので、ケイに速攻で捕まるダメ泥棒だった。だから足が速く、ケイの隙をついて助けに来てくれるエリート泥棒たちがそれはもう、輝いて見えた。

缶蹴りもそうだった。誰かが助けてくれるのをずっと待っていた。待つことしかできなかった。
わたしが住んでいたのは、広島の山を切り崩した団地。家が建てられているのも坂道、小学校も坂道の途中にある。

そんな場所なので公園もゆるやかな傾斜になっていて、土地の特徴をいかした缶蹴りは隠れるところがたくさんあった。それなのに逃げ足がおそくてすぐに見つかってしまう。とてもじゃないけど缶なんて蹴りにいけない。

そんな時、いつのまにか近くまで来て様子を伺っていた足の速い友達が、こちらを見て合図をしてくれる。隙をついて、気持ちよく缶を蹴ってゲームをリセットしてくれた。

小学生の時、ずっと誰かを待っていたなぁと今思う。助けてくれる人、自分を見つけてくれる人を。小さい頃は無邪気だったから、遊びがヘタでも楽しかった。無邪気に参加していた。

もっと言うと、かっこいい見せ場のある人に自分も強く憧れていた。運動も苦手で、足も遅く、絵も字もうまくかけない。お勉強も得意じゃない。なんの取り柄もない、さえない小学生だったなぁと。

大学生になってからそんな自分をある程度諦めることができ、東京でMONO NO AWAREというバンドに出会った。わたしが大学2年生の時に発表したアルバムの中に、「普通のひと」という曲がある。それを聴いて、「これはわたしだ」と強く思ったのを覚えている。

優等生は褒められるけど

ヤンキーは怒られるけど

ずっと私は宙ぶらりん

先生が優しくしてくれる方法は
知っているけど

ありのままいることが
私の最後の砦なの

MONO NO AWARE 『普通のひと』

初めて自分を認知されたような気持ちになった。なんの取り柄もなかったわたしのことを。先生から、良いとも悪いとも言われなかったあの頃の自分に言ってあげたい。なんとかなるよ、と。同じような感覚を持つ人はいるし、あのとき助けられてばかりだったけど、いまなんとか生きていけてるよと。

というわけでわたしの小学生時代はあんまり良い思い出がないのだけど、現役の小学生たちはどうか幸せにたのしく暮らしてほしいなぁ、と思う。オバケでも人間でも、もうなんでもいいよ。

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