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涙について

だんだんと涙が出なくなってきている。涙はストレス発散の手段のひとつだと思っているので、泣けなくなることは非常によくないことだと個人的に思っている。

今もどちらかというと涙もろい方ではあると思うが、むかしに比べれば泣かなくなったほうだ。むかしは共感性みたいなものが強かったので、自分の知っているひとが泣いていたらすぐにもらい泣きしてしまうタイプだった。卒業式とか、先生の離任式というお涙イベントは本当に本当に嫌だった。毎年、息ができないほど絶対に泣いていたから。悲しくても泣いたけど、苦しくて泣くこともあれば、悔しくて泣くこともあった。感動して泣くことも色々あった…気がする。

ところが大学生になってからは、悲しかったり嬉しかったりでオウオウと声をあげて泣いたことがない。あるとしたら韓ドラの感動的なシーンでポロポロ静かに泣いたり、ふいに母親が死んだ時を妄想してメソメソ泣くくらいだ。その2つしかほぼない。

今ふと思ったけど、私たちの瞳の奥に涙はどれくらいストックされているのだろう。しばらく泣かなくても、こぼせば常に新鮮な(?)涙が出てくるのだろうか。あるいは滅多に泣かない人もいるけど、そんな人の涙はいつもどこにしまっているのだろう。そもそも涙など、しまってあるものなのだろうか。

まあそんなことはさておき、急に涙について語ったわけはなんと今日、電車に乗っているときヘッドホンからふと流れてきた音楽に感動して涙が出そうになったからなのだ。目頭が熱くなってきて、「うわ、あぶない、泣きそう」と思いながらそっと静かに寝たふりをした。目を閉じて興ざめするような現実的なことを思い出して、泣きたい気持ちをかき消した。ああ、ここが自分の部屋でひとりでぼーっと聴いている時間だったらなあ。気の赴くままにボロボロ泣いて、余韻に浸れて、カタルシスを起こせたのになあ。そんなことを思いながら、泣きたい気持ちを鎮火した。

そんなわけでやや消化不良のまま目的地の駅で降り、誰にもバレないうちにそそくさと地上へ出た。急に真夏になった都心の昼間の空気にうなされているうちに、気づけばさっきまでの泣きそうだった気持ちは跡形もなく消えていた。

その例の「泣きたくなった歌」がなにかはひみつだ。カッコいい歌ではないから。

これではないですが、今更ながらAIの『アルデバラン』は泣ける歌だと思う。もう少し長く生きるともっと染みるのかもしれない。ちなみに『カムカムエヴリバディ』は見たいと思いつつ見れてません。NHKオンデマンドに入っているので、いつかは見たい。



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