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はじめまして、愛とは何かを知っています

ここ最近は更新が途絶えてしまっていたので、オムニバス方式でまとめてみる。

*はじめまして、愛とは何かを知っています

Twitterで何かつぶやくたびに、海外のスパムアカウントだと思われるユーザーにフォローされる。

ユーザー名は決まって英語で、フォロワー数も5人以内。どのアカウントも、1,2ヶ月前につくったばかりだという。つぶやきと一緒に投稿されている写真を見ると、写りこんでいる言語がバラバラだったりするので、すぐにネットからの借り物(もはやパクリ)だと気づく。もう、怪しさぷんぷんなのだ。

私のフォロワーはそう多くないので、フォロワーが増減するとすぐに気づいてしまう。増えるといっても99%の場合はスパムアカウントなので、それを毎日ブロックするのがここ最近の日課になった。

前まではエロアカウントからの見当違いなお誘いが多かったのだが、最近のスパムは妙に進化していて、なぜかプロフィールが詩的なのだ。自動で翻訳させたのをそのまま貼り付けたような雑な日本語なのだが、その荒削りな言葉に、新鮮な響きがある。

そして私はそれを、スクショする。

ブロックをするついでにアカウントへ飛び、何かグッとくる詩的なスパムツイートをしていないかざっと読んでみるのだ。そして、不覚にも心が動いてしまった言葉を残す。それが最近の遊び。

このアカウントもしっかりブロックしたが、思わずグッときたので保存してしまった。

「大事なものが 後から遅れてくることもあるのよ 愛情だって 生活だって」

わかるような、わからないような言葉だ。愛情はまだわかる。しかし、「遅れてやってくる生活」とは……?
早寝早起きして、ちゃんと栄養のあるものを食べることが、のちのち健康な体という資本をつくってくれる、ということだろうか。

そんな妄想をしながらスマホのアルバムに保存している。

このシリーズで一番グッときたのが、タイトルにもなっているこちらだ。

「はじめまして愛とは何か知っています」

ずいぶん大きく出たなぁ、と思いながらも、なぜだかこの言葉が心のひだに絡まって取れない。ちょっと、衝撃的だった。

「はじめまして」から続く、急な宣言。
少なくとも初対面の人に言うことではない。それなのに、なぜこうもピュアな感じがするのだろう。スパムアカウントのくせに、動物や、赤ちゃんみたいに無垢な存在を思い浮かべてしまう。

最初から愛とはなんなのかを正確に知っていたら、たいていの人間は迷わないし、間違えないよ、と言いたくなった。知っていたら、それはたぶん、人間ではない。少なくとも大人ではないんじゃなかろうか。

まぁ、だからこそスパムなのかもしれない。

*パンチャパンチャな夜

先週、韓国のアイドルグループNew Jeansの東京公演に行った。

高校生の頃からKPOPはひそかに愛聴していたのだが、ライブまで観にいくのはこれが初めてだ。

韓国のアイドルのライブに行けるほど、私は大人になってしまった。故郷を離れて上京をし、けっして安くはないチケット代とペンライト代を購入できるという点で。ここに来るまで、思えば長かった。

生でみるNew Jeansは、森に生きる妖精のように清らかだった。5万人を収容できる東京ドームを、人ではなく光で埋め尽くしていた。最新のペンライトは音楽と共に連動するらしい。運営側で細かくチューニングされたペンライトは、色や点滅時間を自ら鮮やかに変えていく。ぜんぶが人工的なのに、なぜか川辺でひかる蛍よりも胸にくるものがあった。そう言うと非情だろうか。

ステージ上で、歌い舞い踊る妖精たちを観ていると、ついついこれがアイドル=偶像であることを忘れてしまった。この子たちは自然発生ではない。事務所やプロデューサーといった大人たちのもとでしたたかに巧まれ、世に送られてきた子たちだ。実際、このステージを迎える数ヶ月前までは事務所絡みの大人の事情に、彼女たちは振り回されていた。

けれどもパフォーマンスからは、そこをなんとか乗り越えてやってきた者の重み、格を感じられた。それを齢17,8の子に背負わせるのも酷だと思うが、その危うさがまたファンを含む周りの大人たちの意識を、彼女たちの方へ向かわせていたのかもしれない。この片棒を担うのだ、という自覚、責任。

ステージには、裏で見守っているであろう大人たちのとファンの愛情がたっぷりと滲み出ていた。いろんな人から守られ、愛されていることがたたずまいから伝わってくる。

これがアイドルなのだ。これが、現実と空想が複雑に入り混じるアイドルという形が持つエネルギーであり、パワーなのだ。

彼女たちのエネルギーで充たされた会場はあまりにも輝いていて、ポジティブで、やさしいものだった。その感動で、後半からは涙が止まらなかった。生きた人だけが織りなせるしなやかな力を垣間見た。

かの有名な『Ditto』がアンコールで流れてきたとき、妖精たちが抱えているだろう生々しい思いや不安、悩みが一瞬だけ漏れ出てきたような気がして、それもまた大いに涙を誘った。やはり、最後はアイドルではなく人間なのだ。

公演最後の締めくくりに、メンバーのひとりであるダニエルがその夜を「パンチャパンチャ」と評した。「パンチャパンチャ」は韓国語で「きらきら」という意味だ。

きらきら、Sparkle、パンチャパンチャ。

文字通り、あの日の東京ドームは本当に光っていた。ペンライトだけではなく、人間の美しい心の結晶(清濁併せのむからこそ、生まれるもの)がちゃんと輝いていた。生きていて何度も見れるわけではないものを、私はあの日見れたと思う。

思い出すと、また涙が出そうになる。
人の力、人の美しいものを信じられなくなった時は、この夜を何度でも思い返そうと思う。

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