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「雑草」からJ1優勝。 武岡優斗が振り返る、12年間のプロ生活


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シーズンが始まり2ヶ月近く経とうとしているが、開幕前から直後までに多くの引退発表を耳にした。その中には「まだまだやれるのに」と思わせる選手も少なくない。

横浜FCや川崎フロンターレで活躍し、最後の2年は甲府と山口でプレーをした武岡優斗もその一人だ。

彼とは自分が川崎フロンターレの番記者を務めていたときに親交が深まり、特にこの1年で連絡を取るようになった。そんな彼の口から「まだまだやれる」という言葉も聞いたが、今シーズン開幕前に12年間に渡る現役生活にピリオドを打った。

今回は彼の引退インタビューをお届けする。その決意の裏側、そして12年間の現役生活を振り返ってもらった。

「リミット」が来た

--まず、引退を決断した理由を教えて下さい。
 リミットがきたから。自分の中でここまではオファーを待とう、ここまでにこなかったらやろう、ここまでにこなかったら引退しよう…と線引をしていたんです。1年前に甲府をアウトになったときも同じでした。そのときは最初のウィンドウが閉まるまで。そこで運良くレノファの練習参加の話がきたんです。

今年、レノファをアウトになったときは、コロナもあって今回は難しいだろうとは思っていました。

--多くのクラブが若手選手の獲得に重きをおいた印象がありますよね。
 市場を見ていても若い子がトレンドだなと。例えば(年俸)1,000万で名のある中堅を取るなら500万の若い子2人を取る。J2からJ1へ移籍した選手も、そこまで金額も高くなっていないと聞きました。J1のクラブからしたらJ2で活躍した年俸400万の選手を1,000万の提示で取れるという感じですね。

 J2で勢いのある若手を取れてチームとしても若返りが図れますし、良い買い物かなと。あと、今年は4チーム降格というのが移籍にも影響していましたね。夏の補強のために予算を取ってあるということも聞きました。

--そういう状況もあって、ある程度覚悟はしていたんですね。
 自分の中では開幕1週間前までと決めていました。そこまでに(オファーが)無かったらもう無いだろうなと。そして、その日が来た。残り1週間でオファーが来る可能性もあるにはあると思いましたけど、同じポジションの人が2~3人大怪我するとか、そういう状況しかない。だから、この時点で99%引退を決めていました。

残りの1週間で気持ちの整理をつけながら、発表したのが3月1日。その前日くらいから色んな人に連絡をし始めました。(中村)憲剛さんにも連絡をしましたが、電話したタイミングはDAZNの解説だったので出てもらえず、LINEで伝えました。あとは西部洋平さんにも電話をして、カズさん(三浦知良)にもLINEをして。イナさん(稲本潤一)、中澤聡太くん、甲府のときお世話になったオミさん(山本英臣)にも。

あとは歴代の監督にも…と思ったのだけど、風間さんの連絡先だけ知らなかったからしていません(笑)。霜さん(霜田正浩)、モトさん(山口素弘)、岸さん(岸野靖之)には連絡しました。

モトさんに「あそこでモトさんがサイドバックで使ってくれなかったらこういう人生に変わってなかったですわ」って伝えました。あ、あとはオニさん(鬼木達)も連絡先知らなかったので出来ませんでしたね。

練習着を自ら洗濯していた鳥栖時代

--ここまでプロ人生を歩めると思っていました?
 22歳で夢に満ち溢れてこの世界に入ってきたけど、外から見たプロの世界は綺麗にコーティングされているなと。内部を何も知らないですからね。いちプロサッカー選手にあこがれて、自分の中で「サッカー選手はこういうものだ」と思いながら将来の道を描いてきたけど、現実はそんなに甘くはなかった。

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