かんげきろく。4『舞台 文豪とアルケミスト3 綴リ人ノ輪唱』※ネタバレしかない

アニメと地獄を張り合うな。


文劇3は配信で千秋楽のを見ようかな、そう思っていた私のTLに中々の火力の悲鳴がごろごろと飛んできたこと。

そして空いてる日にまだチケットが残っていたことから、急遽見に行くことが決まった。

場所は『科白劇』を見に行った品川ステラボール。

9/20の昼公演であった。


見終わって最初に抱いた感想は、上に書いた「アニメと地獄を張り合うな」であった。

一応、私は大学の時に日本文学を学び、司書の資格も取っている。だから、文アルの世界観は馴染みのあるものだった。

……忘れもしない、大学一年の時の近現代文学概論の担当教授がいる。

授業の名前が一応『近現代文学概論』でありながら、この教授、江戸川乱歩の話しかしなかったのだ。教科書として買ったのは『江戸川乱歩  傑作選』で、江戸川乱歩以外の話をするとしてもそれは推理作家やミステリーの話であり、最終的には江戸川乱歩に通じる話であった。例えば『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』のような倒叙モノ(犯人が先に視聴者に提示してあり、その上で刑事と対峙させるタイプのミステリー)の話をしていた時も、それは最終的に『屋根裏の散歩者』に繋がる話であった。ミステリーが好きな私には楽しい授業だった。

図書館司書の資格を取っても働き口がなく、今はまったく関係のない仕事をしている。学んだことは完全に無駄になってないが、本に関わらない仕事に就いたこともあってか、本を読む量と速度は確実に減っていた。

でも、もう一度読もうと思った。手に取れるうちに、文学を手に取ろうと思った。そう思ってしまう衝撃的な舞台だった。

館長が悪であるというのは、見に行く予定がなかったときに見てしまったために知っていた。けれど、リアルタイムに生で見に行ったことに後悔はない。

私は文劇の1と2は見れずに3を見たものの、もしかしたら話がわからないかも、とは何故か思っていなかった。実際にわからなくてもなんとかなったが、戯曲本の形で1と2を見た今では感想が変わるかもしれないので、早く3の円盤が出てくれないかと待っている。

OPで全員が倒れる演出があり、嫌な予感はしていた。していたのだが、本当に、ここまでだとは思わなかった。誰が地獄より文アニより地獄的にしろと言ったの??

二魂は小鳥のようにほぼずっと一緒に行動していて、師である北原白秋のことをとても尊敬しているのがよくわかった。詩の分野にはあまり明るくないため「白さんは弟子を取らないだろ!」という室生犀星の言葉は一瞬わからなかったが、弟子でなくとも自分たちを引き合わせてくれた憧れの詩人と『北原一門』として認識されるほどに一緒にいた、彼らの在り方がわかったような気がした。

犀星先生の後ろでその動きを真似る朔太郎先生だったり、二人でお耳を塞いだり、戦闘中に生前のことで喧嘩してる彼らは大変にかわいかった。ギャグを外すのも。私が見に行った時は「ソバーシャルディスタンス!」とタイムリーなネタを披露して見事にはずしていた。

テーマそのものも、不要不急のことをやめさせる今に文学について、芝居という形式で演じさせる今に相応しいものだったと思う。

全体主義にとって文学とは、個とは、忌むべき消し去るべきものである。
しかし文豪を皆殺しにしたとしても、新しくその息吹はどこからか誰からか生まれる。
例え魂を砕いたとしても、その想いは、表現形式は、きっと車輪のようにまた誰かが作り出す。そうやって一抹の希望を見せてはいたけれど、館長のような全体主義の存在もまた、全体であるがゆえにきっとまた現れて、終わらないのだろうと思った。


すべての戦いが終わった後、太宰治と芥川龍之介はまた転生する。劇場では「もしかしてこのシーンは、我々のゲームの図書館に彼らが来たということなのかな」と思っていた。勧められていた戯曲本を読んだとき、あまりにも既視感のあるやり取りに震えた。

彼らは繰り返してしまうのだ。1、2、3と来て、また1へ。そしてもう一度破滅のこの3へ。そりゃあパンフレットで、3で一区切りするという言葉があるわけである。

なるほど仏教的な『輪廻転生』だ。悟りを開いてその環から脱出するまで、彼らはそれを繰り返す。

『刀ステ』と『TRUMP』が頭をよぎった。ここにも円環ができてしまったのだ。芥川龍之介はいつ、太宰治の本を読んでくれるのだろうか。それとも描かれてないだけで、そんな優しいループはどこかにあったのだろうか。

本も、公演も、円盤も、物語を終えても『始めに戻って』『もう一度やり直す』存在だ。公演だけは多少の揺らぎがあるが、それでも大筋は変わらない。彼らはいつか、この円環から出られるのだろうか。


気になる存在といえば、劇館長もまたそうである。彼は最期まで館長であって司書ではなかった。それはそのはずだ。館長が行った焚書行為は、司書に許されることではない。(実際にはやらかしてる現実の司書さんもいるが)

『図書館は資料収集の自由を有する』

『図書館は資料提供の自由を有する』

『図書館は利用者の秘密を守る』

『図書館はすべての検閲に反対する』

図書館司書がいかなる思想を持とうと自由だが、自らの思想のために図書館の蔵書を勝手に除籍することは重大な違反である。だから彼は司書ではないし、逆にゲームのプレイヤーがタイトル通りのアルケミストだけでなく司書を兼ねるのは、このルールで縛るためではないかとも思っている。

検閲に反対して絶筆した徳田秋声が最初の文豪なのもまた、アルケミストの暴走への抑止力としての面があるのではないかとも思った。

……それにしても、館長はなぜあそこまで国に傾倒したのだろうか。江戸川乱歩と室生犀星が転生してる時点で、太平洋戦争からかなり時間が経っているはずなのだが。

他の人の感想を見ていると、『文劇3』自体がひとつの有害書であるという説を見た。

また、劇館長を学校の先生なのではないかとする考察も見た。

子供にとって最初にしっかりと接する『国の意を受けて教育してくる大人』となると、小学校の先生だからだろうか、と私は思う。

一緒に配信を見た友人は、劇館長が腰から刀を抜かないのを見て、もしかして素人なのではとも言っていた。

色々と考えるために、早く円盤には発売してほしいものである。

あとOP以外にも普通に劇中の曲を納めたサントラもくださいよろしくお願いします。

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