自己紹介(その2~発症~)

どうも!小3の時から中2病、沢田礼央です。

前回は17才での性の目覚めの前に、中学3年生の時に病院で「男性ホルモンが分泌されていない」と診断されたところまで書いた。

第2次性徴は17才から22才くらいまで続き、153cmしか無かった身長は171cmまで伸びたのだが、その前に振り返らなければならないことがある。

僕は当時ガチの潔癖症だった。「だった」と過去形で書いたが、現在でも社会生活に支障が無いレベルの潔癖である。

芸能人でたまに「潔癖症キャラ」を売りにする人がいるが、ガチの潔癖症に言わせればほとんどが「ビジネス潔癖」である。坂上忍なんてその最たるもので、ガチの潔癖症が室内犬を飼えるわけがない。

おっと、話が逸れた。というか、完全に流れ弾だ。坂上忍の悪口は本稿の主旨ではない。

厳密にいつ発症したのかは、はっきり覚えていないが、保健の授業での人工呼吸の練習が嫌で具合が悪くなったのは覚えている。当然、人形を使っていたが、人形の口をウェットティッシュで拭くだけ、というのがたまらなく嫌だったのだ。

真夏でも外出時は帽子を被り、首にスカーフを巻き、長袖を着て、手袋を付けていた。背丈が子供じゃなかったら完全に不審者だ。

帰宅後はまず入浴。入浴しなければ布団に入れなかった。寝室を自分だけの空間として神聖視していたきらいがある。入浴も一番風呂じゃないとダメ。たとえ家族でも、人が入った風呂には入れなかった。

トイレで用を足すたびにシャワーを浴びていた。不経済だし、何より面倒くさいのだが、どうしてもそうしなきゃならなかった。

人との接触を何より嫌い、缶ジュースの回し飲みはもちろん、握手も出来なかった。こうなると、数少ない友達との関係もギクシャクする。不登校に拍車をかけた要因の一つかもしれない。

不登校になる前、学校には開門してすぐに行って、教室の全部の机と椅子を雑巾で拭いていた。今にして思えば掃除自体が嫌そうなものだが、よく分からない。明確な基準が無かった。

教師のツバが顔や手に飛んで来たりすると、最悪だった。トイレに行きたいと嘘を吐いて洗いに行っていた。

少し恥ずかしい話だが、僕は中2の後半くらいまで夜尿症が治らなかった。ところが、潔癖になった途端、一切しなくなった。ある種の防衛本能かもしれない。

学校のトイレ掃除は、適当なクラスメイトに頼んで、教室の掃除と替わってもらっていた。他の生徒からすれば、トイレより教室の方が面倒だったらしく、交渉はあっさり成立した。

高校生になってからは、担任に事情を話して、体育の授業の時の着替えを保健室でさせてもらっていた。更衣室の中で、他人の身体や下着に触れるのが嫌だったからだ。その時の名残りなのか、未だに人に裸を見られるのに抵抗がある。

社会生活には支障が無いレベルの潔癖と前述したが、今でも男性用の小便器では用を足せない。性器を触るのに抵抗があるからだ。たまにズボンに飛び散ったりするし。ガチの潔癖症にとって、身体(特に下半身)は不浄なものなのだ。

だから、当時は仮にどんなにモテても、彼女が居ても、セックス出来なかったと思う。

つづく。

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