小説|ハロゲンワークス(21)最終話
ーーーー光を放つ大樹。かつての姿にホッと息を溢す菖蒲と橘の近くで。
ローブを剥がされた青年は、スゥ、とその金色の瞳を開いた。
綺麗で透き通るようなその瞳が橘を捉えた、その時ーーーー。
「ーーーー!っ、……橘!!」
「!!」
続いて、一瞬遅れて気付いた菖蒲が叫び声を上げるよりも先に、青年は橘を蹴り飛ばしていた。
「っ……!」
為すすべなく地面に倒れ込む橘に、上から容赦なく蹴りを喰らわす。
「ぐぁ……ッ!」
バキバキ、と肋骨が砕ける音が聞こえた。
「やめてッ!!」
橘の元へ走り出そうとする菖蒲を横目で見ると、青年は彼女に己の手の平をかざした。
「!」
すると、菖蒲は、凍りついたようにその場から動けなくなってしまう。
それを見て、橘は口を開く。
「の、……りょく、は……、無かった、んじゃ……」
それが聞こえたのか、青年は橘に視線を戻すと、もう片方の手を己の胸元へ置いた。
「……飛燕に能力を封じられていたのは、彼女だけじゃないって事だよ」
「…………あ、んた……まさか」
橘は、予感がしていた。
飛燕と契約を交わしているという紫苑。飛燕と紫苑は繋がっているから、彼の能力が封じられれば、紫苑も能力が使えない。それが今、目の前の男にも起きているという事実。それは、つまり……。
橘が続きを言うより先に、青年は橘のおでこに自分の指先を触れさせた。
「ーーーー"これ"、君に返すね」
「……ッ!!」
刹那、橘の体に凄まじい痛みが走る。
と、同時に、青年の体から毒素が消えていた。自分の中の毒素を、橘に移したのだ。
「……ッ!ごほッ……か、は!!」
急激に体に毒素が入ってきたことで、彼は堪えきれずに吐血する。
苦しげに息をしながら、その場に倒れ込んだ。
そんな橘を見ながら、青年は立ち上がる。
「レイドのやつ、僕の能力も封じて、あわよくばこの森ごと、僕を消そうと考えてたみたいだけど。……まったく。純血の能力者だからって今まで大目に見ててあげてたのに……もうダメだねあれは」
そう言う青年の瞳が翳りを帯びる。
だがそれも一瞬の事で、くるっと体を回転させると、菖蒲に真意の読めない笑みを向けた。
「ーーーーじゃあ僕は帰るけど。あとで紫苑に『また会おうね』って伝えておいて」
「………………あんた、何者なの……」
「……僕は、"アスター"。ーーーー紫苑の……兄、……だよ」
「え……」
スゥッと霧が彼を包み込み、次の瞬間には、青年の姿は何処にもなかった。
菖蒲は呆然としていたが、橘の苦しげな咳を聞き、ハッと彼に駆け寄る。
「橘!橘、死んじゃダメよ!!ねぇ!」
「…………なんて顔、してんのさ、菖蒲……」
「うるさい!!あんたが死にそうなのが悪いんだからね!!」
「…………理不尽、だなぁ……」
ポロポロと大粒の涙を流しながら喚く菖蒲の表情を見て、橘は目を震わせる。
手を伸ばして、その手を握り返したいのに、もう、体に力が入らなかった。
「菖蒲…………ごめ……」
もう、眠い。
その言葉を伝えるよりも先に、橘は瞳を閉じた。体から力が抜ける。
菖蒲は、その場に立ち尽くした。
ーーーーその時。
「…………菖蒲!」
ビクッと菖蒲の体が揺れる。聞き知った声に、また、涙が溢れ出した。
「菖蒲?」
返事のない菖蒲を不思議に思ってか、その人物ーーーーフリージアは彼女の隣まで来る。すると、瀕死の橘が目に入り、現状を把握する。
「ーーーー大丈夫。まだ治せる」
「………………たち、ばな…………」
いつも気丈な彼女とは思えない、可哀想なくらい動揺していた。それほど、橘の状態が深刻なものだと窺える。それに、橘と菖蒲は双子だ。ずっと一緒に成長してきた存在が無くなる恐怖は、いかほどのものか。
フレアは自分が羽織ってきた布を、橘に被せた。すると、布が緑色の光を帯び、橘の体を包み込む。少し、彼の顔色がよくなった気がした。
「この傷だと時間はかかるけど、橘は強い子だから。このくらいじゃ死なない。大丈夫」
「…………フレ、ア……ッ」
ポロポロと涙をこぼし続ける彼女に視線を合わせると、フリージアは微笑む。そうして、そっと彼女の頭に手を伸ばし、優しく触れる。
「ーーーー……大丈夫、落ち着いて。……大丈夫だからね、菖蒲」
「……ッ」
そのまま涙を流し続ける菖蒲。そんな彼女をそっと抱き寄せ、フリージアは、菖蒲が泣き止むまでその背中を擦り続けたーーーー。
* * *
一方その頃。城で力を取り戻した飛燕は、レイドを座わらせた状態で手足を雁字搦めに拘束していた。
「……さて、どうすっかな」
全く身動きの取れないレイドは、項垂れて吐き捨てるように言葉を放つ。
「……殺るならどうぞお好きに。あちらに戻った所でどうせ殺される……抵抗はしません」
「……………………」
飛燕はじっとレイドを見た後、不意にその拘束を解く。彼は訝しげに飛燕を見上げた。
「………………何を……」
「ーーーー……お前には、この森に居てもらう」
「は?」
チャリ、という音と共に、飛燕の手に鍵のようなものが現れた。それは、レイドがポケットに入れていたこの森の出入口の鍵だ。
「これは俺が預かる。お前の事は、俺が見張っとく」
「…………何を言ってーーーー」
「ーーーーお前が、この森に能力者達を連れて来たんだろ?」
飛燕は片膝を地面に付けて、レイドと視線の高さを合わせた。
「……確かに俺は、お前達を苦しめてる元凶だ。あの事がなければ、能力者はそもそも産まれなかった。……でも、お前が能力者達をハロゲンの森へ連れて来た事で、ここは、能力者達の逃げ場となった」
「………………」
「お前に救われた奴らが、ここにはたくさんいる。そいつらが今、この森で、どんな風に暮らしているのか、ーーーーお前のその目で、ちゃんと見ていろ」
「ーーーー」
レイドは目を見開く。そのまま彼は、目を逸らさず、飛燕を見ていた。
「…………俺は必ず、お前らにーーーー」
飛燕から発せられた言葉を、レイドは黙ったまま、聞いていた。彼が、何をしようとしているのか、レイドが、何を思っているのか。2人以外には分かる筈もなく。
飛燕が言葉を放ち終わると同時に、レイドは震える瞳を静かに閉ざしたーーーー。
* * *
あれから10日後。
雷によって大破した建物の復旧も進み、今はほぼ元通りの街並みに戻っていた。
ハロゲンワークスの仕事は以前よりも倍以上に忙しくなったものの、紫苑も手伝いながら、なんとか通常業務にまで落ち着いてきた。
五日眠り続けた橘の様態も安定し、やっと動けるようになって、全てが良い方向へと進み始める。
そんな中、紫苑は街外れの川の畔で、一人、水の流れを眺めていた。
ーーーー紫苑の……兄、って言ってたわ。
それは、先日の戦いの後に菖蒲から聞いた事。
"アスター"
彼女(紫苑)と同じ名前の花の、別名だ。
それを名に持つという青年は、金色の髪と瞳をしていたという。
『ーーーー……あぁ。まだ、こんな所に居たんだ』
紫苑が記憶している、声。彼の、記憶。
その時はフードを被っていたし、橘達と戦っていた青年を見ていた訳でもない。
でも、その2人が同一人物である、と。何故だか、紫苑には確信に近い直感があった。
「アスター……」
飛燕に能力を授かった、始まりの双子。
その、もう一人が、あの青年なのか。
……紫苑の瞳が震える。
「…………私は、……貴方の、敵……ですか……?」
川に映る自分は、何とも情けない顔をしていた。
自分は飛燕の巫女だから。彼の側を離れるつもりはないし、これからも彼と生きていく。
でも、アスターにとって、飛燕は己を産み出した憎むべき相手であり、その存在を滅ぼそうとしている。
双子でも、全く違う価値観で飛燕を見てる。
きっと彼とは、わかり合えないのだろう。
「…………一緒に、居られなくて……ごめんなさい」
昔。本当に幼い頃は、あの洞窟で、2人で過ごしていた気がする。
ハッキリとは思い出せないけれど、いつも笑顔で接してくれた記憶が残ってる。
それが、いつの日か、隣にいなくなって。
彼の存在を、忘れていってしまう程の長い年月が過ぎて。
ーーーー再開した彼は、凄く、貼り付けた笑みを浮かべる人になっていた。
あんなに、無邪気に笑う人だったのに……。
何が彼を変えてしまったのか。それは……私には分かり得ない事で。けれども私が、原因な気がした。
『ーーーー紫苑、大丈夫か?』
すぐ側で、飛燕の呼ぶ声がする。直接脳裏に響くその声は、何とも言えない優しさを秘めていた。
「ーーーー……」
"彼"も、本当は、違う名を持っている気がする。そこだけ靄がかかったように思い出せないが、確かに、彼は、"アスター"という響きの名ではなかった。
いつかきっと……本当の名を。
「ーーーー……ううん。大丈夫。今行くね」
紫苑は振り向いて、飛燕達の家へと駆けていく。今はまだ、これだけで。
手の届く幸せを、護る為にも。
少女達はまた、ハロゲンワークスとして、この森で働き続けるーーーー。
END.
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