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小説|ハロゲンワークス(9)

「わり、けっこう遅くなっちまったな。帰ろうか、紫苑」
「あ、はい」
「あら、私も居るのに」
「……いや、お前は端(はな)から一人で帰る気ないだろ?」
「ふふっ、そうね」

クスクス笑って、フリージアは頷く。まだ太陽は頂上付近にいる時間帯だが、紫苑達は家への帰路を歩き始めた。
話をしながらゆっくりと歩くこと数分、フリージアが突然思い出したように両手を合わせた。

「そうそう!飛燕に聞きたい事があったの。紫苑さんと一緒に来た理由を忘れるところだったわ」
「聞きたい事?」
「えぇ。……ね?紫苑さん」
「あ……」

そうだ。フリージアや飛燕との会話が楽しくて忘れてしまっていたが、本来の目的はそこだったのだ。
紫苑は飛燕に向き直る。

「あの、私……。フレアさんから、私の能力について聞いたんです」
「え……」

キッ、と、飛燕はフリージアを見る。余計な事言いやがって、と視線で問い詰めるが、フリージアはにこりと笑って受け流す。
飛燕はため息をついて、紫苑へ視線を戻した。

「ごめん、紫苑。それで?」
「はい……。それで、その……この森に来てからずっと、声が、聴こえるんです……」
「……声……?」

紫苑は頷く。

「何て言ってるのかは、上手く聞き取れないんですが、でも、何か伝えたいみたいで……」

声が聴こえる、と言った時から徐々に、飛燕の表情が真剣なものに変わる。暫く考える素振りを見せた後、真っ直ぐな瞳を紫苑に向ける。

「紫苑」

真剣な声で、紫苑の名を呼ぶ。飛燕のエメラルドグリーンの瞳が紫苑を映す。

「たぶん、その声の主は、"俺の近く"にいる奴らだと思う。自分の意志で声を届けられるっていうのは、植物の中でも力がないと出来ない。……あそこは俺の力の影響をもろに受けてるから、普通の植物より上位の精霊が宿りやすいんだ」
「…………」
「……あいつらはたぶん、俺に直接言わないから……。だから、ついてきてほしい」
「ーーーー……」

飛燕は植物達にとって、最上位の存在だ。そんな彼に直接言の葉を伝えるのは無礼だと考えられているのかもしれない。でも、それはとてもーー……。

「……飛燕は、寂しくないですか?」

返事よりも先に紫苑の口から出てきた言葉は、これだった。誰にも声が届かず、誰からも話しかけられる事がない。
それは、とても孤独ではないだろうか。
紫苑からの問いかけに、一瞬驚いた顔をした後、飛燕は表情を崩して笑った。

「今は、お前が俺の声を聞いてくれるから、寂しくないよ」

今度は、紫苑が目を見開いた。
フリージアが隣で、不満そうに呟く。

「あら、私達も居るのに」
「あー……そうだな、お前らも居るいる」
「私、飛燕のそういう所嫌い。今の言葉、菖蒲にそのまま伝えておくので、そのつもりで」
「……それはマジでやめろ。…………悪かったよ」
「ふふっ。ちゃんと反省してね」
「………………」

フリージアと飛燕の会話を聞いて、紫苑は無意識に微笑む。ハロゲンワークスは飛燕にとって大切な場所なのだと改めて思った。

「飛燕」
「ん?」
「私、その声の方に会いたいです。……案内お願いします」
「うん、分かった。ちょっと距離があるから、急ごうか。暗くなる前に帰れるように」
「はい」

《ーーーーない、で》

また、声が聞こえた気がした。だが、風の音が強く、紫苑の耳に届かず消えてしまった。

* * *

工場から歩くこと約30分。
森の奥へと入り、周りには人の気配もなく、神秘的な雰囲気の空間へと空気が変わっていくのを肌で感じた。
飛燕とフリージアの後ろを歩いていた紫苑は、ふと足を止めた。

「……紫苑?」

一点を見つめたまま、紫苑は動かない。……そこには、一輪の百合が咲いていた。

「ーーーー……声、が」

《ーーーー助けて》

今度はハッキリと、聞こえた。

「……貴女が、私を呼んでいたの?」

紫苑が話しかけると、百合が揺れる。フワッと風が吹き、白髪の少女が具現化した。
少女は紫苑の質問には応えず、ただひたすらに、同じ言葉を繰り返す。

《……助けて。助けて欲しいの》

「……はい。声、聞こえました」

《……時間がない。早く、助けて》

少女の切実な言葉に、紫苑の瞳から自然と涙がこぼれる。
……すると、今まで焦点の合っていなかった少女の瞳が、紫苑を映す。紫苑が自分を見ている事に、ようやく気付いたみたいだった。
それもそうだろう。本来精霊とは、人の目には見えないものだ。

《……助けて》

再び、少女は同じ言葉を繰り返す。

《ーーーー私達の主を、助けて》

「……え?」

主。私達の主とは……。
少女は百合の精霊だ。百合は植物。植物達の主。この森の主。それは、つまりーーーー。

「飛燕……?」

紫苑が名を呼んだ瞬間、ドクンッ!と心臓が大きくなり、急激にそれが強く締めつけられる感覚がした。

「……っ……!!」

あまりにも強い痛みに、息が出来ず、紫苑は堪らず地面に崩れ落ちた。

「紫苑さん!」

フリージアが慌てて紫苑を支える。

「か、は…ッ!」

苦しそうな声が聞こえ、紫苑が必死で目を向けると、飛燕が己の胸を抑えて地面に片膝をついていた。

「飛燕!どうして……」

フリージアは何ともないのか、突然倒れた2人に動揺しているみたいだった。
徐々に痛みが引いてきた紫苑は、まだガンガンとなる頭を必死で抑え、飛燕の元に手を伸ばす。
……これは、私の痛みではない。私は何ともない。これは、飛燕の痛みだ。彼の痛みが私にも伝わってきている。

「うっ……ッ……!」

グラッと体が傾き、飛燕が地面に倒れる。先程の苦しみが今も続いているのだと考えると、このままでは飛燕が死んでしまう。

「……行かなくちゃ」

どこに、とは言わなかった。どこへ、とも聞かなかった。だが、紫苑は迷わず走り出す。

森の奥、"飛燕"のいる場所へとーーーー。


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