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小説|不思議の国のカギ(10)

しばらく走った所で、アリスは足を止めた。目の前には小さな扉がある。
アリスは、その扉をゆっくりと開けてみた。
「……違う」
扉が閉まると、アリスは再び歩き出した。『鍵』が見つかるまで、これを永遠と続けていかなくてはならないのか。
それを考えると、気が遠くなった。
「でも、やらなきゃ」
アリスは自分の頬を叩き、気合いを入れる。
白ウサギ達に助けてもらうだけじゃダメなんだ。自分が決めた事なんだから、自分の力でやらなくちゃ。


それから、幾つもの扉を開けては違うの繰り返し。
死の森は木に遮られて太陽の光が入って来ないので、今が何時頃なのかも分からない。
アリスの足は、限界に近かった。だが、目の前に扉が1つだけある。
それを調べたら、今日は終わりにしようと心に決め、アリスはドアノブに手をかけた、ーーその時。

バン!
向こう側から扉が開いて、アリスの顔面を直撃した。
アリスは、あまりの痛みに顔を押さえてうずくまる。
「いーー…っ!」
「あ、わり」
あまりにも能天気な声音に、アリスは半ば拍子抜けしてその人を見上げた。
この森の暗さにもだいぶ慣れたところだったので、相手の顔はある程度認識出来た。
こちらを心配そうに覗くその青年の顔はとても誠実そうに見えたが、その頭に被っていたのは、上の部分が破れてしまった、何とも言えないヘンテコな帽子だった。
「……立てるか?」
そう言って手を差し出されたので、アリスはその手を取って立ち上がる。
「ありがとう、ございます」
アリス礼を言うと、青年は嬉しそうにニカっと笑った。
「良いって!こっちこそ悪かったな。まさか人が居るとは思わねーからさ」
「いえ……こちらこそごめんなさい」
「詫びにこれやるよ。俺の店の新作なんだ」
そう言われてアリスが受け取ったのは、赤いスカーフのようなものだった。
「それ、頭に巻いてくれ」
言われた通り、アリスはそれを後ろ髪に通して頭の上で結んだ。シンプルなデザインだが、カチューシャみたいに身に付けられ、なおかつ可愛かった。
「ーー…ありがとう」
青年はアリスの嬉しそうな表情を見て優しく微笑んだ。
「やっぱりな。それ、あんたに似合うと思ったんだ」
自分の見立てに自信があったのか、青年は満足そうだった。
「あ、わり。俺もう行かないと」
自分の目的を思い出したのか、青年は慌てて言った。だが、数歩進んだ所でふと立ち止まる。
「そういえば、お前名前は?俺はイカレ帽子屋」
「あ、アリス……です」
すると、イカレ帽子屋は瞳を見開いた。
「ーー…お前が、アリス……?」
それは、確認にも近い声音だった。
アリスは小さく頷く。
「ーーーー……」
アリスに対し、口を開こうとしたイカレ帽子屋の言葉は、すぐに遮られた。
「やあ、帽子屋さん?こんな所で何してるのかなあ?」
ばっと後ろを振り向くと、チャシャ猫が木の上からアリス達を見下していた。
イカレ帽子屋の表情が険しくなる。
「……チャシャ猫」
チャシャ猫は視線を横にずらす。そこに居るのがアリスだと分かると、ニイッと口端を吊り上げた。
イカレ帽子屋がスッとアリスの前に出る。その行為にチャシャ猫は笑みを消した。
「……邪魔だなぁ」
「黙れ、くそ猫。……おい、アリス」
アリスは顔をイカレ帽子屋の方に向けた。彼もアリスを振り返る。
「お前はこの森の中央を目指せ。このくそ猫は、あそこへは行けない。……ここで会ったのも何かの縁だからな。こいつは俺に任せろ」
「っ、でも!」
「アリス、」
アリスの言葉を遮って、イカレ帽子屋は諭すように名を呼んだ。戸惑い気味のアリスに、イカレ帽子屋は微笑んで見せる。
「……出来るな?」
アリスは泣きそうになった。
だが、その気持ちを押し殺す。
「う、ん……っ!」
「よし。じゃあ、走ったら止まるなよ。……行けっ!」
その言葉に背中を押されて、アリスは走り出した。そんな光景を眺め、チャシャ猫はイカレ帽子屋を睨み付ける。
「俺、帽子屋さんってほんと嫌い」
「……同感だな。俺もお前の事は嫌いだ」
「アリス逃がしちゃってさー。君の敬愛してる女王様が許さないんじゃないの?」
へっ、とイカレ帽子屋は吐き捨てた。
「お前なんかの思い通りに行動するより、陛下の大切なアリスを守ったほうが、陛下も喜んでくれるだろうさ」
「………………」
チャシャ猫はたいそうつまらなそうに髪を弄ると、手に残った髪を見つめる。
「……ま、どうでもいいや」
チャシャ猫はそのまま、イカレ帽子屋を無表情に見下ろした。
「とりあえず…ーーここで死んでね?帽子屋さん?」
2人は殺意の籠った瞳で睨み合った。イカレ帽子屋は片手で帽子の位置を直す。
「……それはこっちの台詞だ」
刹那、死の森に銃声が鳴り響いた。

* * *

その頃アリスは、森の入り組んだ枝をかき分けながら、前へ前へと進んでいた。
胸騒ぎが収まらない。むしろ、不安がどんどん大きくなっていく。
何だろう。何かが引っ掛かる。
「あ……」
ふと、アリスは何かに気付いたように立ち止まった。
そして、ゆっくりと後ろを振り返る。
……そうだ。
何で、あの時すぐに気が付かなかったんだろう。
ずっと感じていた違和感。
底知れぬ恐怖。
……そう、そうだよ。
チャシャ猫が……『笑って』いないーー。


それに気付いた瞬間、アリスは凍ったように動けなくなった。
戻らなきゃと思うのに、意に反して足が全く動かない。
早く、行かなきゃ。
帽子屋を助けないと……。
早く、早く、誰か、誰か……!!
「…………け、……て」
ーーーー助けて。
「っ、白ウサギーーっ!!」
アリスの体がぐらっと後ろに傾く。
ーーーーその時。
とん……と、倒れそうになる背中を誰かが支えた。
「…………お前、何してる」
声を聞いた瞬間、アリスの瞳が大きく揺れた。
この……声は。
アリスは後ろを振り向く。
そこに居たのは、紛れもなく白ウサギだった。
アリスは喉に何かが詰まったかのように声が出ない。
ーーーー本当に、来てくれた。
呼んだら、本当に……。
「………………?」
白ウサギは不思議そうにアリスを見つめる。
アリスは目に溜まった涙を拭うと、白ウサギの胸に手を置いた。
そのまま白ウサギの顔を見上げる。
「さっき、チャシャ猫に会ったの。それで、帽子屋が私のために……」
「…………あいつが?」
「白ウサギお願い、帽子屋を助けて……っ」
「………………」
白ウサギはアリスが来た方向に顔を向ける。
確かに、チャシャ猫の気配を感じる。
だが…ーー。
イカレ帽子屋の『気配』はない。
白ウサギはその方向から目を離さなかった。
ぴたん、と水が跳ねる音が聞こえた。白ウサギの耳がぴくりと動く。
「白ウサギ……?」
どうやらアリスには聞こえないらしい。
白ウサギは聴覚を研ぎ澄ませる。
ぴたん……とまた一滴。
今度は、それと同時に血の匂いがしたのを、白ウサギは逃さなかった。
「……帽子屋……か」
白ウサギはぽつりと呟くと、一瞬だけ目を伏せた。だが次の瞬間には、元の表情に戻る。
それからしばらくの間、白ウサギは一瞬たりともそこから目を逸らさなかった。

* * *

ぴたん、ぴたん……と血が手元を伝って地面へと落ちる。
イカレ帽子屋の体には、大きな針のようなものが至るところに突き刺さっていた。
その針は体を貫通し、後ろの木の幹にまで届いており、全く身動きが取れない状態だった。
イカレ帽子屋はぴくりとも動かない。
まるで、そこだけ時間が止まってしまったかのようだった。
「………………」
チャシャ猫は何の感情もない瞳でイカレ帽子屋を見下ろす。
顔に付いた返り血を手で拭うと、再びにいっと笑った。
「ほんっと、弱いなぁ……」
チャシャ猫はイカレ帽子屋の心臓の音が聞こえないのを確認すると、その対象に興味を失った。
「あ~あ。余計な体力使っちゃったなー」
チャシャ猫は退屈そうに腕を後頭部に回した。
「さぁーてと、……僕のアリスはどーこだぁ?」

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