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小説|ハロゲンワークス(4)

部屋に案内されてベッドに横になると、今日の疲れがどっと噴き出してきた。
慣れない土地にいる落ち着かない感覚が、疲労感を更に高めている。
紫苑は一度ベッドから降りると、部屋を眺め渡す。外から見ると卵型の建物だったが、中はそれを感じさせない空間だった。基調となっているのは白だが、床は黄色やピンク色をした丸い絨毯が二つ、対角線上に敷かれている。タンスの上やベッドの側にある小さな机の上には、オシャレなランプも乗せられており、窓際にはこの街に来てから見かけた珍しい花々が瓶に挿され、いくつか並べられていた。他には目立った荷物もなく、一見シンプルだが、女性らしい部屋だなと感じる事が出来る。
そこへ、この部屋の主である菖蒲が食料を入れた籠をもって中へ入ってきた。籠の中からパンを取り出すと、その一つを紫苑に渡す。

「それ、今日の夕食。食べて寝なさい。明日は早くから仕事だからね」

言いながら、自身もパンを一つ取って口に運ぶ。

「飛燕からあんたの事頼まれてるから、一応仕事はあげる。けど、余計な真似は絶対しないで。指示された事だけ忠実に作業すること。分かった?」

厳しい口調でそう告げる菖蒲に、紫苑は若干気圧され気味に頷く。

「は…………い」
「あんたはもう、ハロゲンワークスの一員なんだから。その自覚を持って行動して!あんたの失敗は私達の失敗になるんだから!」

紫苑は小さく頷くと、手渡されたパンを一口食べる。カチカチに冷えきったパンしか口にした記憶のない彼女にとって、ふわっと柔らかい食感のパンは初めての経験だった。

「……………………あ…………の、」
「何よ」

いつの間にか着替えの済んだ菖蒲は、紫苑と同じようにベッドの上に腰を降ろした。紫苑は飛燕が運んできたベッドを借りているので、現在この部屋には二つのベッドが並べられている。
紫苑は菖蒲が横目でこちらを見ている事を確認して、ゆっくりと口を開いた。

「…………ハロゲンワークスって、何ですか?」
「…………は?…………あー」

一瞬の間はあったものの、紫苑がその存在を知らなくて当然だと思い直したようだ。それを説明しようとして、はたと思い至ったように動きを止めた。
紫苑をじっと見つめ、その胸の辺りを指で差す。

「……あんた、自分以外の能力者にあったこと、ある?」
「ーーーー、え……」

紫苑の思考も一瞬止まる。

「能…………力、者……?」

初めて聞く単語だ。しかも、菖蒲は自分以外の、と言った。つまり、自分も能力者であると言外に示している。だが、心当たりは全くない。
その事を正直に告げると、菖蒲は心底驚いたようだった。

「…………信じられない。能力者の事も知らないでこの森に来る奴がいるなんて」
「……………………ごめんなさい」
「別に謝る事じゃないわよ。飛燕が連れてきたんだもの。言いたくない事もあるだろうし、ここに来た経緯については詳しく聞かないから。……能力者についてだけど、簡潔に言ってしまえば、普通の人間では不可能な特殊な能力を使える人間のこと」

その能力者については様々で、人によって違う。そして、能力者の力の度合いは、髪の毛の色やその純度によって変わってくる。
能力者の始まりは今から数百年前。不思議な力の宿る樹から、二人の赤子が産み出された。その二人は別々に飛ばされ、眩い光を放ちながら地上へ降り立つと、一帯を焼け尽くすほどの閃光を放った。それから数年。人々の間で、稀に特殊な力を持つ人間が産まれるようになった。だが人々は、二人の赤子によって大地が一瞬で焼き消された、あの地獄のような光景を忘れておらず、能力を持った子供達を忌み嫌い、差別や暴力を繰り返した。
それに耐えかね、絶望の淵に瀕した子供達は、ある一つの噂を耳にするようになる。

ーーーー能力者だけの世界がある、と。

「それが……」
「『ハロゲンの森』のこと。ここは、元の世界と違って、第十七族元素であるヨウ素やフッ素が通常より多く空気中に存在しているの。それがたまに化学反応を起こして塩を降らせるわけ。それで、塩を作る森、『ハロゲンの森』と呼ばれていて、そのハロゲンの森の工場で働く私達四人を、"ハロゲンワークス"って街の人達は呼んでる」

能力者ではない人間は、ハロゲンの森では息が苦しくて生きていられない。故に、能力者達だけが暮らせる空間として、この世界は存在している。

「ハロゲンワークスの主な仕事は、森の監視と見回り。能力者達が安心して過ごせるように街の治安を守ること。それと、街の人達だけじゃ対処しきれない仕事を分担して早急に処理することの二つ。分かった?」

紫苑は菖蒲の説明を聞きながら小さく頷く。

「じゃ、もう寝て。明日私が起きた時に寝てたら叩き起こすからね!」
「………………はい」

紫苑はまだ手に持っていたパンを出来るだけ急いで腹中に収めると、ふかふかのベッドに横になった。かけ布団を口元まで引き上げ、目を瞑る。
暖かな布団に包まれ、紫苑の意識は徐々に遠のいていく。
眠りの淵に落ちる間際、また、あの声が紫苑の脳裏に響いた気がした。

《ーーーー助け、て……》



満天の星が夜空に輝く。月はもうすぐ空の頂点に達しようかという時分。飛燕はすぅっとその瞳を開けた。
ゆっくりと起き上がり、旋毛(つむじ)の辺りを掻くと、だるそうに視線を扉に向ける。

「…………こんな夜遅くに何の用だ、フリージオ」

些か不機嫌そうな飛燕に対し、フリージアはふわりと微笑んだ。

「ちょっと眠れないからお話ししに来た。飛燕も、僕に話したい事あるでしょ?」
「……………………」

フリージアの問いに対し、暫く重い沈黙が降り立った。飛燕がフリージオと呼び掛けた事に対しても、フリージアが自分の事を僕と呼んでいる事に対しても、特にどちらも否定や疑問を浮かべる気配はない。二人の間ではむしろ、それが自然な会話のようだ。フリージアも、先程まで紫苑に見せていたふわりとした穏やかさはなく、どちらかというと、どこか緊張した面持ちだ。長過ぎる沈黙の後、飛燕が徐に口を開く。

「…………お前も、気配、感じたか?」
「………………」

今度はフリージアのほうが沈黙した。ふっと息を吐くと、扉に寄りかかる。

「…………うん。僕が感じたのは三人。一人はあの子だよね。飛燕があんなに焦って飛び出して行くなんてただ事じゃないもの」
「…………うるさい」
「へへ、ごめん。もう一人は近くにいたみたいだけど、飛燕が現れたと同時に気配が消えてる。元の世界に戻ったのかな。…………そして、最後の気配は……」

そこで言葉を止めると、フリージアは視線を窓際へ移す。そこには、籠の中に入れられ、目を閉じている龍がいた。
飛燕の視線もそちらに向けられる。
龍は本当に眠っているのか、はたまた起きているのかは分からないが、二人の視線を受けても微動だにしなかった。
暫く龍を見つめていた飛燕だったが、ふと、窓の外に視線を投じた。無意識に、握った拳に力が篭る。フリージアからでは、飛燕が今どんな表情をしているのかは分からない。

「…………こいつらも、俺を、恨んでんだろうな」

ぴく、と龍が小さく反応した。だが、二人はそれには気付かない。フリージアは少しだけ、目線を下に向けた。

「…………さあ……どうだろう。僕に言われても分からないけど……。でも、一つだけ、僕が言える事は…………」

フリージアは一度言葉を止めると、飛燕に顔を向けた。そしていつものように、ふわりと微笑んでみせる。

「ここに暮らす人々の中で、飛燕を恨んでいる人なんて一人もいない。むしろ感謝してる。……きっと、紫苑も。…………それは忘れないで」
「………………フリージオ」

飛燕がフリージアを見る。フリージアはもう一度、にこりと笑った。

「さて、そろそろ僕は寝ようかな。おやすみなさい」

フリージアは、扉を開けて出ていく。ガチャン、と扉が閉まって、飛燕は唐突な訪問者を見送りながら呆れたように笑った。

「……おやすみ、フレア」

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