見出し画像

小説|ハロゲンワークス(12)

ハロゲンワークスの家にたどり着いたのは、夜も更けてからだった。
紫苑は体に力が入らず、樹の前で暫く動けずにいたのだ。
その間、フリージアがずっと隣で背を擦ってくれていた。でも、手の震えが止まらなくて。…………声が、聴こえた。

ーーーー紫苑。

飛燕の声だ。
そう認識したとき、瞳から涙が溢れ出てきた。彼は、今もあの壮絶な痛みが体を支配しているだろうに。私の心配なんて、しなくて良いのに。

ーーーー泣くな、紫苑。

でも不思議と、その声を聞いて、手の震えが止まっていることに気付いた。ゆっくり深呼吸を繰り返して、立ち上がる。
紫苑はフリージアに礼を述べて、ゆっくりと歩き出した。早く……飛燕に会いに行かなければ。

家に着いて、皆に事情を話そうとしたけど、フリージアにやんわりと止められた。

「……私が説明するから。紫苑は飛燕の所にいてあげて」

紫苑の気持ちを察してくれた彼女に感謝して、紫苑は飛燕の部屋の前にたどり着いた。
コン、コン、と軽く扉を叩く。
返事はなかったけれど、紫苑は恐る恐る扉を開けた。
ベッドに横になっている飛燕は、目を閉じながらも苦しそうな表情をとっていた。額には汗が浮かんでいる。
紫苑は静かに扉を閉めてベッドの隣に膝立ちの形をとった。
サイドテーブルに置いてあったタオルで額を拭く。

「………………飛燕」

……小さな声で名を呼んだ。だが、飛燕の瞼が震える。
暫くして、ゆっくりと瞼が開いた。エメラルドグリーンの瞳が紫苑を映す。少しだけ、瞳が揺れた。

「…………良かった」
「え?」
「泣いてなくて、良かった」

ーーーーそう言われた瞬間、くしゃり、と紫苑の顔が歪んだ。我慢出来なくなった彼女の瞳から、一粒の涙が溢れる。
飛燕は優しく目を細めて涙を拭った。
紫苑は半分泣き笑いのような表情で彼を見つめた。

「……私、飛燕の前だと泣いてる事多い気がする」
「俺が気付かない所で泣かれるより、ずっと良いよ」
「飛燕が私の事で気付かない事なんてあるの?」
「……ないかもな」
「フフッ」

自信満々に述べる飛燕に、紫苑は今度こそ笑った。紫苑は、飛燕の目であり、耳であり、手となり足となる。そういう契りを結んでいる。それはつまり、紫苑が目にしたこと、耳にしたこと全て、飛燕と共有されているという事だ。
……飛燕は気付いているのだろう。紫苑が飛燕に対して、敬語を使わなくなっている事。紫苑が、飛燕との記憶を……思い出している事を。
だからこそ、訊きたかった。

「ーーーーなんで、私だったの?」
「………………」

飛燕は紫苑を見る。2人の視線が暫く交差して、飛燕が軽く目を閉じた。

「ーーーー……最初はただ、霊力の強い赤子を連れて来させただけだったんだよ。その赤子に、巫女としての力を与えようとして、ーーでも、契約途中で失敗した」

次にその子に再開した時、自分との繋がりを渡した。

「…………その時の紫苑を視て、この子に、俺の全てを預けたいと思ったんだよ」
「…………私、」
「ーーーー俺が。……神が、人と契りを結ぶというのは、そいつと一生を供にする、という意味がある」
「…………」
「俺は、紫苑と生きたいと思っているから。お前以外と契りを交わす気はないよ」
「ーーーーーー」

紫苑は目を丸くして飛燕を見る。飛燕の真剣な瞳を見て、紫苑は少し、照れたように笑った。

「うん。私も。一緒に生きるなら飛燕とが良いな」

紫苑が飛燕の手を握る。その手を握り返して、飛燕はそっと微笑んだ。

「ーーーー……このまま、暫くここに居てくれると助かる。お前が傍にいると、体が少しだけ楽になるから」
「うん。今日はここにいるから。……おやすみ、飛燕」
「あぁ」

すると再び、飛燕は瞳を閉じる。彼が深い眠りに落ちるまで、そう時間はかからなかったーーーー。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?