世界

目覚めた時、やけに静かだった。8月も半ば、大学生にとっては長すぎる夏休みと暑すぎる夏がうざったい。時計を見ると11時過ぎであった。寝ぼけたまま携帯に手を伸ばし、いつものようにTwitterを開く。昨日の夜見たものとほぼ変わらない内容を流し見してから、インスタグラムを開く。いつもよりも少ないストーリーを見る。しばらくベッドでゴロゴロしてからやっと起き上がって、リビングに向かう。誰もいない。今日は同居している祖父母がディサービスに行く日ではなかったはずなのにと思いながら顔を洗い、静寂に耐えきれなくなった私はテレビをつける。とたんにCMの音が流れ出す。インスタントコーヒーを作りながら朝ごはんでも昼ごはんでもない時間に何を食べようか考える。再び静寂が訪れる。静寂?不思議に思ってテレビを見る。え?思わず声が出る。CMが終わったテレビには昼のニュースバラエティ番組のスタジオが映し出されていた。だが、映るのはスタジオの風景のみである。そこには誰もいなかった。人がいない。リモコンをとってチャンネルを変える。CMやドラマを除いて全てのチャンネルが同じであった。生放送のスタジオには人が映っていない。なんだ?戸惑いながらも誰もいないスタジオを映すテレビの写真を撮る。アイスコーヒーを飲みながら再びTwitterを開く。ここは東京だ。テレビも全国ネットのものが流れる。全国で流れているテレビに誰も映っていないとなるとTwitterで必ず話題になっているはずだ。トレンド欄を開く。様々な言葉が並ぶ中にテレビ関連のものは一つもない。テレビ おかしいと自分で検索をかけても出てくるのはずっと前の日付の投稿しかない。なんだ?心でつぶやいたつもりが声に出ていた。少し焦りながら二階の祖父母の寝室を開ける。いない。自分の部屋に戻ってハーフパンツと適当なTシャツに着替えて日焼け止めを塗る。その間に母親にどこにいる?とLINEする。5駅ほど離れた実家に帰ろうと思い、必要最低限のものだけバッグに詰めて家を出る。夏の暑い日差しが容赦なく降り注ぐ。暑い。そう思った瞬間に気づいた。静かである。昨日までうるさいほどだった蝉の声も車の音も何も聞こえない。歩きながら習慣的にワイヤレスイヤホンを装着しようとして、やめる。なんとなく、音楽を聴きながら呑気に歩いている場合ではないのだろなと思った。家の前の坂を登りきって大通りに出る。愕然とした。車が一台も走っていない。人も自転車もバイクも。見渡す限り動いているものは何もなかった。通りの向かいには交番がある。だが中には誰もいない。平日の昼間だというのに。だだっ広い通りの交差点で私だけがポツンと立っていた。背中に嫌な汗が流れる。真夏の匂いがする。ムシムシとした不快な暑さがまとわりつく。だが、蝉の鳴き声はしない。幼い頃から夏の匂いと蒸し暑さと蝉の声はセットだったのに。駅へと急ぐ。改札を通る前に駅前のスーパーマーケットに入った。涼しい店内に人影はない。それでも近くの水を手に取ってレジに行き、すみませんと叫ぶ。すみません。すみませーん、誰かいませんか。応答はない。諦めてレジに小銭を置き、店を後にする。駅の改札を通ってホームで電車を待つ。次の電車は3分後だった。いつの間にか喉がカラカラだ。先ほど買った水を飲んで母のLINEを開く。未読のままだった。家族のグループチャットを開いて、みんな今どこにいる?と送信した。あとは普段からよくLINEをする友達やグループに今朝の誰も映っていないテレビの写真と何これ?とだけ打って送信する。次はインスタグラムだ。数日前に撮った綺麗な空の写真をストーリーにのせる。Twitterを開いて今朝のテレビの写真とテレビやばいとだけ打って投稿する。あとは適当なワードを検索して、最新の投稿欄を見る。どうやら昨日の深夜がここでの“最新“らしかった。英語、中国語、韓国語でも検索をかけてみる。結果は同じだった。ここでハッとして顔を上げる。ホームに着いてから20分以上経過していた。その間に電車は一回も来ていない。仕方がないので駅を出て帰宅する。家に着くやいなや、車の鍵を持って外に出る。エンジンをかける。電車がダメなら車で行くしかない。実家まで20分ほどの道を走りながら頭を忙しく動かして周囲を見る。誰の姿も見かけない。コンビニの中、美容室の中、公園の中、誰の姿も無い。明らかに緊急事態なのに、律儀に信号を守る自分に少し苛立つ。やがて実家が見えてきた。車を家の前に雑に止め、運転席から飛び出す。汗ばんだ手でガチャガチャと鍵を開ける。ただいま。半ば叫ぶようにして帰宅を告げながら、玄関を入ってすぐのリビングの引き戸を開ける。視界に黒いものが動くのが見えた。クロだ。尻尾を勢いよく振りながら私に飛びかかってくる。あ。あー。脱力して床に座り込む。今日初めて自分以外の生き物に会えたことに安心しながらも、手は習慣的にクロの頭を撫でていた。甲斐犬で真っ黒な見た目だからクロ。単純な名前だ。しばらく泣きそうな愛しむような目で愛犬の頭を撫でていたが、耐えきれなくてクロを思い切り抱きしめた。何も知らないクロは尻尾をぶんぶん振り、私の顔をべろべろ舐めたが、私は黙って抱きしめ続けた。涙が出た。一度流れた涙は堰を切ったように流れて、私は嗚咽した。クロは泣いている私の顔を今度は嬉しさからではなく、心配からぺろぺろと舐める。悲しいのか安心したのか、はたまた怖いのか。なぜ泣いているのか自分でもわからなかった。しばらくして落ち着くとクロを抱き抱えながら家の全ての部屋をのぞいて回った。やはり誰もいない。クロに首輪を着け、家から出る。近所の家のインターホンを何軒か押す。ピンポーン。ガラガラの空間にインターホンの音が響く。どの家からも人は出てこなかった。地元の友達の家にも行った。インターホンを押す。誰も出ない。すみませーん。そう言ってしばらく待つ。変化はない。少し躊躇ってから、門を開けて敷地内に入る。裏庭に回り込んで家の中を覗き見る。人影はない。嫌になって家から出て道路まで走る。誰かいませんかー!叫ぶ。誰かー。誰かいませんかー!汗が道路に落ちた。おーい。誰かー。入道雲に私の声が吸い込まれていって、何度叫んでも残るのは静寂のみだった。

#私小説 #小説 #2000文字前後

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