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たかがロックバンドと出逢えたことを、本気で誇りに思っている

音楽なんて興味なかった。

ましてやそれが、自分の命運をにぎる大切なものになろうとは、露ほども思っていなかった。

音楽にたいする憧れも、流行りのものを聴きたいという欲求も、なにひとつ関心がなかった中学二年生の自分に、これまで感じたことのないまったく新しい風を吹きこんだバンドがいる。

恋愛ごとにおいてしばしば流れる論説であるが、出逢いというものを、ひとは選ぶことができない。しかし、そういう意味では、ただただシンプルにニュートラルに、音楽を好きでいたあのころの気持ちというのは、恋愛とよく似ているのかもしれない。心臓をはしる鼓動を、首筋に流れる血脈を、すべての興奮として体験していた僕は、あのころたしかに、音楽に恋をしていた。

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中学二年生のとき、たまたま親に譲ってもらったCDラジカセがあった。メーカーもろくに憶えていないが、キッチンで母が聴いていたものを、どういういきさつだったか僕がもらい受けることになった。

ただ、CDラジカセをもらったものの、肝心のCDを僕は一枚も持っていない。

部屋を見渡しても、あるのは英語のリスニング教材くらいで、音楽のCDなんて見つからない(買った憶えがないのだからあたりまえだ)。当時の僕は、音楽といえば合唱曲とか、お昼の校内放送で流れる知らない歌とか、そういうタイプ。モーツァルトも、ビートルズも知らない。楽器も弾けない、わからない。本当に微塵寸分の興味もない凡々たる中学生だった。

だから、CDショップに行ってもなにを買ったらいいのかわからなかったし、友達に貸してもらうにもリクエストのしようがなかった。母親は歌が好きだったけど、子育てを機に流行から遠ざかっていて、父親に至っては音楽なんて一切聴かない。ラジカセなんてもらっても……。

そのラジカセを、持て余すからという理由でもなく、使いたいからという理由でもなく、本当にただ「ラジカセがあるし」という漠然とした気持ちだった。少しだけ能動的に音楽を探してみようと思ったのは、考え返せばあのときが最初だった。

とはいえ、CDショップに行くのはなんだか緊張する。っていうかCDっていくらくらいするのかもわからない。レンタルだったらハードルは低いかもしれないけど、やっぱりなにを借りたらいいのかもわからない。とにかくわからない。だったら、家のなかにCDくらいあるだろ。

そう思って、自宅の納戸でホコリをかぶっていた古いCDを見に行った。両親がむかし車のなかで流していたような、いまはもうただの肥やしになっているCDだ。

ずらっと並べられた背表紙を見て、ピンとくるものはなかった。吉田拓郎、安全地帯、松任谷由美……全然わからない。だれひとり知らない。サザンオールスターズ……名前は聞いたことある。ZARDって……あぁ、「負けないで」のひとか。大袈裟ではなくその程度だった。

もうなんでもいいかな、そう思いかけていたときだった。一枚だけ青いCDがあるのを見つけた。ジャケットとか背表紙が、ではなく、ケースそのものが、深い青のスケルトンみたいな材質でできている。

透明じゃなくて、青……。

このCDにはひょっとして、ものすごくいい歌が入ってるのではないか。

だから、特別に青いケースでつくられたのではないか。

無知ゆえの安直な思考で手にとったのは、『REVIEW』と書かれたCD。GLAYっていうのはたぶん、グループ名かなにか。青い透明のケースは、むかしよく遊んだゲームボーイカラーみたいだなと思った。そのケース越しに透けて見える、男のひとの眼差しが鋭くて、なんかカッコいい音楽なのかなとぼんやりと直感した。

GLAY、グレイ、ぐれい……聞いたことがあるような、ないような、そんな印象の名前だった。有名なひとならどこかで聞いたかもしれない。そんなに売れてなくてもよくある名前な気もする。そんなことを考えながら部屋に戻って、CDラジカセにディスクをセットした。ドキドキしたのをいまでも憶えている。「変な音楽だったらどうしよう」そんな不安もあったかもしれない。

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1曲目、歌詞カードには「グロリアス」とある。なんだっけ、栄光とかそんな意味だっけ? 中学二年のボキャブラリーで思い出そうとするが、それはすぐに遮られた。

タカタカタッタ、タッタ。
タカタカタッタ、タッタ。

文字にしてみればあまりに安っぽい、ギターの音。しかし、深く脳裏をよぎり、確実な爪痕を残していく鋭利なサウンド。一瞬、宙に浮いたようなふんわりとした感覚があった。なんだろうこの感じ。とても息がつまる、熱っぽい。

イントロからすぐにはじまる伴奏、歌。その音色、声。なにもかもが初めてで、どう呼吸したらいいのかがわからない。そのくせ覚悟のようにゴクリと飲み込むなにかがあった。楽器の技術なんてわからない、歌の上手い下手もロクに聴きとれなかった当時の僕に、確かに感情的に訴えてきた音楽だった。

こういうとき、音楽は待ってくれない。それはいまでもそう思う。まったく新しい風を感じたと思っても、息を飲むその瞬間、まばたきをすれば吹き去ってしまうのだ。

「グロリアス」でHISASHIが弾いた、マルチタップディレイのかかったイントロ。2005年、世間の流行から遅れることおよそ10年、ここにひとりのGLAYファンが誕生する。

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いまだに考えることのひとつに、このとき選択がある。もし、僕が青いCDを見つけずに、ZARDとか、安全地帯とかを選んでいたら、いまの僕とは似ても似つかない人生になっていたかもしれない。ギターもベースも弾いていないかもしれない。音楽なんて思春期で飽きて、ジャズとかクラシックとかを好んだかもしれない。音楽なんて金輪際、聴かなかったかもしれない。

もちろん、百歩ゆずって、音楽の入り口がサザンや吉田拓郎であっても、その後GLAYを好きになる可能性はゼロじゃない。それでも僕は思う。人生で最初に選んだ音楽が、人生で最良の音楽になったことは、誇ってもいい。一生涯の自慢に値する。

最初に選んだミュージシャンを、15年先も愛することができるというのは、ほかでもない幸せだ。15年経ったいまも新譜が聴けて、ライブに行けて、カッコいいすがたで演奏してくれる。その幸せを、僕はこれ以上のない宝物だと思っている。過去のものではなく、舞台に立ち続ける彼らを、現在最上級のポテンシャルを更新し続けるGLAYを、いまもこうして見ることができる。音楽の神様が、偶然僕にくれた最高のギフトだ。

中学生の自分が選んだ、最初にして最大の選択となるGLAYとの出逢いを、密かながらこんなに本気で誇りに思っている。2番目じゃないんだ。結局のところ、今後どんなに素晴らしいバンドと出逢おうと、僕は人生でいちばん最初に出逢った音楽であるところのGLAYを、息絶えるその日まで、世界でいちばん愛する自信がある。25年にわたる彼らのキャリアを、15年におよぶ僕の愛を、そんなに軽々と超えられては困る。

たくさんお金を使った。たくさん時間も使った。これでもかってくらい勉強した、愛した。この牙城に迫るバンドがどこかにいるなら出てきやがれ。ビートルズさえ及びのつかない高いところに、僕にとってのGLAYがいるんだ。

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サブスクリプションでありとあらゆる作品にワンタップでアクセスでき、ストリーミングで世界じゅうの演奏にアプリひとつで手が届くいま、自分の好きな、アイデンティティを支えてくれるような音楽は、いくらだって選ぶことができる。

でも、ことその音楽との出逢いだけは、神様の思し召しでしかないのだ。時として運命と呼ばれ、内実それは偶然の袖すり合わせである。ドラマティックでエモーショナルな、一生モノの出逢いは、望んだところでそのとおりには手に入らない。

僕は、その微々寥々たる「一生モノの出逢い」を、偶然にも持ちあわせている幸せ者だ。

GLAYは、今月26周年目の誕生日を迎えた。中止・延期になったドームツアーはおうちでゆっくり妄想するし、いつか世のなかに安心して呼吸できる日がきたら、そのときは、また素敵な演奏を届けてほしい。

ありがとう。あいしてる。いってきます。いってらっしゃい。数えきれない言葉の数々を、GLAYをとおして学んできた。

26周年、本当におめでとう。

またあいましょう。

あいにいきます。

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