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ガザのジェノサイドと「申命記」「ヨシュア記」

2023年10月7日のハマースの襲撃の目標の一つは、この日ガザ近くの砂漠で開催されたブラジル発祥のレイヴ(フェス)のイスラエル版だった。

その日は、ユダヤ教の「シャバド」(安息日)で、祝日、「律法感謝祭」であった。

イスラエル人と世界から集まった人々、数百人が殺戮され人質となった。220万人のガザという「絶望の監獄」からのパレスチナ人の絶望的「蜂起」と残虐な殺戮。

映像では、パラグライダーで降下するハマスの兵士たちとそれを知らず、楽しく舞い踊る女性たちの姿が見えた。

旧約聖書の「ヨシュア記」の「奉納物として滅ぼされた町エリコ」を想起した。そこにはこうある。「彼らは、男も女も、老いも若きも、牛、羊、ろばに至るまで、町にいるものはすべて、剣の刃にかけ、奉納物として滅ぼし尽くした」。

ユダヤ教の経典の『モーゼ五書』(ヘブライ語では「トーラ」)は、キリスト教の旧約聖書では、「創世記」、「出エジプト記」、「レビ記」、「民数記」、「申命記」)である。「ヨシュア記」は含まれていない。しかし、「申命記」と「ヨシュア記」は、ヨルダン川を渡る、ひとつながりのものであり、「申命記」にも「「降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。 あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。 ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられた敵の分捕り品を自由に用いることができる。」という記述がある。

これは「聖絶」(ヘブライ語でへーレム)と呼ばれ、「神への奉納物として、異教の神を拝むものとそれに関連する事物をことごとく滅ぼし尽くす」こと、全ての戦利品を滅却することを意味した」(Wikipedia)とされている。

「聖絶」はなぜ必要なのか。それは「イスラエルに聖なる生き方をさせて、彼らが先住民の宗教からの誘惑に負けて神に対して罪を犯さないためである」とされている(申命記7:1-6、20:16-18)。

ガザの映像を見る限り、この「聖絶」が行われているように見える。パレスチナを、「踏み潰す」ように。

「ヨシュア記」にはこうもある。

「お前たちの中に奉納物として滅ぼし尽くすべきものがある。・・・奉納物として滅ぼすべきものを持っていると指摘された者は、全所有物とともに火で焼かれなくてはならない」

事実、翌朝、それは行われた。

旧約聖書「ヨシュア記」では、さらに翌日からもイスラエルの民たちの無限の殺戮が続いたことが記述されている。

約束の地は、数千年、憎しみにまみれた残虐な殺戮により流された血で赤く染まっているのか。さらにこれは続くのか。

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