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苦痛のない方へ

 過去七万年間の自然状態において、ホモ・サピエンスが生涯で得るカロリー、栄養素は極めて少なかった。
 その摂取量を、現代日本人で33歳の俺はとっくに超えているだろう。ただ毎日三食ご飯を食う、それだけで、俺は世界と時空を旅してるるとも言える。米、パン、じゃがいも、にんじん、ピーマン、トマト、キャベツ、鶏肉、豚肉、塩、胡椒、ニンニク…。文明以前ならば、世界中を旅しても手に入らない様々な食べ物を毎日当然のように胃袋に納めている。こんなにカロリーが高い穀物も、栄養が豊富な野菜も肉も、かつてなら存在さえしなかった。薬味やスパイスなどは、文明後でも高級品だった。さらに、俺は最近、暑くて、毎日アイスを食っている。夏場に凍った甘いお菓子を食うなど、近代に入ってもなお、王族ですら殆ど叶わぬ贅沢だった。
 食べ物だけではない。娯楽についても、俺は随分たくさんの本を読んでしまった。
 1800年なら、1時間読書に必要な灯りをもたらす蝋燭代を得るには、6時間の労働が必要だった。
 1880年はランプが普及したが、それでも1時間分の明かりは、15分の労働賃金に相当した。
 今では、1時間分の電気代(読書に必要な)は、時給換算すると0.5秒分にまで圧縮された。<※1>

 電気もあるし、本も安くなり、俺は1800年の庶民(つまり人口のほぼ全て)に比べると、明らかに読んだ本が多い。漫画に至っては、当時はそもそもなかったが、俺は大量の漫画も読んできた。

 またネットフリックスやAmazonプライムのおかげで、俺が生涯で視聴する映画の作品数は、10、20年産まれるのが早かった人とさえ、圧倒的に差が出てくる。

 女性関係についても、マッチングアプリのおかげで、二十代後半は自分でも呆れるほど、遊んだ。当時は群馬に住んでいたから、毎週末、埼玉、栃木、東京、千葉、神奈川と、色んなところに住む女性に会いに行っていた。
 これも、マッチングアプリが普及する前ではできなかったことだろう。光源氏でさえ、都という狭い世界で遊んでいただけだというのに。

 そうして、俺は一人の個体が受容できる贅沢を、味わい尽くしてしまった。とっくに致死量を超えている。
 もちろんもっと無限に贅沢しても飽き足らない人もいるだろう。だが俺は、今までがもう幸せすぎて、お腹いっぱいだと感じる。

 苦痛さえなければ、もう。

※1  https://www.ted.com/talks/matt_ridley_when_ideas_have_sex

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