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進撃の巨人の能力はB系列時間

(ネタバレあり)

『進撃の巨人』は漫画ではすでに最後まで読んでいたが、先日アニメの最終話も見て、改めて感動した。漫画の完成度で言ったら『寄生獣』『ベルセルク(蝕まで)』に匹敵するし、作者の光と影をファンタジーに落とし込んだテーマ性も強く感じた。

 特にエレンの「壁の外に人類がいると知って、がっかりした」というセリフは、現代日本の子供が大人になるにつれて感じる世界への失望と重ねてしまう。平和な日本で生きていた子供が、学校に通い、歴史を学び、日々ニュースやインターネットメディアを見るようになると、身に覚えのない過去の戦争の責任を糾弾される。さらに、それに対して反論する愛国者もまたあまりに攻撃的で、現実離れした妄想癖に見える。
 これは属性を変えても同じで、例えば男の子は、ある時点でフェミニストから有害なオスだと罵倒されるようになる。

 イスラエルのユダヤ人であるハラリ氏は著書で下記のように述べている。
「私は自宅で平穏に暮らし、他者を害するようなことはいっさいしないでいても、左翼の活動家によれば、ヨルダン川西岸でイスラエルの兵士や入植者が行っている不正行為に完全に荷担しているのだという。社会主義者たちに言わせれば、私の快適な生活は、第三世界の惨憺たる搾取工場での児童労働に基づいていることになる。動物福祉の提唱者は、私の生活が、何十億という家畜を残忍な搾取体制下に置くという、史上屈指の恐ろしい犯罪と分かち難く結びついていることに注意を促す」<※1>

 どの属性の人にとっても、その属性だという理由で身に覚えのない罪を咎められる経験はあるもので、酷く当惑する。その当惑から、一気に己の属性を恥じる挙動を取る者もいれば、却って反発する者もいる。だが大抵の子供達は、その両者を見てがっかりする。そんな幻想で争い合う気味の悪い大人達まるごといなくなれば、世界は美しくなるのに、と。
 そして複雑なことに、幻想ではなく実際に、本当に加害をしている側面もあるという点だ。ならば信念を持った加害者として、どうせ贖えない罪なのだから、むしろ憎しみの連鎖を断ち切るため、いや、子供の頃に想像していた真っ新な世界を実現するため、人類を消してしまいたいと願うのもわかる。

 さて、物語の根幹に関する考察は置いといて、今回は進撃の巨人の過去と未来の記憶を見る能力について話したい。
 エレンは作中で、進撃の巨人の能力によって過去や未来を知る。そして、過去も未来も全部同時にある、的な発言をする。

 これは明らかにB系列時間の概念だ。
 哲学的には、時間に対する大きな考え方は二つあって、それはA系列時間とB系列時間である。
 A系列時間は過去、今、未来の三要素で時間は構成されているという概念だ。
 しかしこの考え方には大きな問題がある。
 A系列時間では「今」を起点として
 ・過去は今より前のこと
 ・未来は今より後のこと
 というふうに「過去」と「未来」を定義するが、「今」とはいつかという疑問に躓いてしまう。
 鉛筆で一本の線を引き、真ん中に点を点けて「今」とする。前後を「過去」「未来」とした場合、「過去」も「未来」も長さがある。「今」については、顕微鏡でみればやはり点には幅がある。ならばその「今」の点の幅の中でも「過去」と「未来」があるとなってしまう。無限に細分化していっても具体的な「今」は見つからない。「今」がなければ、定義上「過去」と「未来」もやはりなくなってしまうというパラドックスが起きる。

 B系列時間では、上記の問題は解決される。
 会社にある時間割が書かれたホワイトボードを想像してほしい。
 12:00 社長 ランチ会議
 15:00 営業○○ A社にてプレゼン
 17:00 人事○○ A会議室にて面談
 など全ての欄を同時にあなたは見ることができる。
 宇宙が始まってから終わるまでの全ての出来事は、実は同時に発生しており、ある次元に立てばホワイトボードの予定表にように同時に見渡せるという考えだ。B系列時間には過去、今、未来、がないため、「今」とはいつかという問題を難なく解決できてしまう。

 映画、漫画、アニメなどで、タイムループものは沢山あるが、ほとんどがA系列時間をもとに作られている。私が思いつく限りB系列時間を組み込んだ作品は『インターステラー』と『進撃の巨人』くらいである。

<※1>21Lessons 21世紀の人類のための21の思考 ユヴァルノアハラリ 柴田裕之 河出書房 2019/11/20初版


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