先進国のGDPは上がらない方がいい
日本のGDPランキングが落ちているというニュースをまた見た。
案の定悲観的な論調とコメントが溢れている。
だがGDPは、金が動いた量を測っているわけで、豊かさの指標ではない。
確かに発展途上国のように、まだインフラが整っておらず、衣食住が不足している地域では、金が動いていることは必要なモノが人々に行き渡る過程を表しているので、GDPの上昇と豊かさの向上には相関がある。
しかし、先進国では、人々が生きる上で必要なモノはすでに満ち足りている。普通に考えればGDPの上昇は緩やかになる。もしずっとGDPが上がり続けていたら、それは無駄なモノを作り出しているというわけで、恥ずべき現象だ。
実際、先進国にも関わらずGDPが上昇しているアメリカを想像するとわかりやすい。
例えば、治安が良いより治安が悪い方が金は動く。治安が悪いとセキュリティ産業に多額のお金が使われるからだ。スーパーマーケットの出入り口にガードマンを配置し、民家は壁を高く作り、子供達はバスに乗らないと学校に通えない。そういうところでは、治安が良い日本では発生しない市場が活発になりお金は動く。だが果たしてそれは豊かさと言えるのだろうか?
他にも、私がペルーを旅行した際には、高い運賃のバスと低い運賃のバス会社があった。どちらのバスも殆どサービスにもバスの質にも差はない。ただ客層が安全になるためだけに、お金がある人は高い方を利用する。スリなどをする乗客が沢山いる社会では、それを篩にかけるためだけに運賃の高い金を払う必要が生まれる。これも金は動いているが、まるっきり無駄で豊かさとは関係ない。
家事を自分たちでやる家庭が多い社会より、ハウスキーパーを雇う傾向が強い社会の方が経済は動く。しかし自分達の面倒を金を払って他人にやってもらう方が豊かと言えるだろうか。
成熟した国家において、GDPの上昇は恥ずべきことだ。
人口の分だけの椅子が行き渡ったのならば、それで満足すべきだ。なのに、椅子をわざわざ壊してまた作るとか、一人で何脚も椅子を買い占めるとか、愚かなことをしてしまう。
私が現在バイトをしている会社の社員は、皆んな年収が1800万以上ある。
先日、初めて彼らの宴会に参加した。(バイトの俺は極めて場違いな空間だったが)
平均年収が1800万円を越える会社の飲み会で話される内容は、自衛隊時代の飲み会で聞かされる内容と殆ど同じだった。
キャバクラで遊んだ話、旅行の話、美味い飯屋の話、買ったブランド物の話。
使われる額が違うだけで、彼らの消費の嗜好は気味の悪いほど一致していた。
どこまでいっても、精神は消費の奴隷のままなのだ。
社会が成熟したのならば、むしろ次は精神の成熟を目指し、資源の浪費を抑えるのが正道だと私は思う。
お金が動く。経済が回る。それをいつまでも免罪符にして、無駄な消費活動を正当化するのはそろそろやめるべきだ。
質素倹約な社会になったら、経済力がなくなり、グローバルなサプライチェーンから外れて、やがて食べ物のような必要不可欠なものさえ手に入れられなくなるという反論はあるかもしれない。
しかし、浪費による経済成長をし続けるしか道がないのならば、いずれにしても人類に未来はない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?