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第12章 「 身体からのメッセージ」 魔女の奇異な人生

「 自然淘汰」

成城のとある美容室で、働き始め2年程経った。
個性強目の仲間の中で、自分も腕を磨きたくて毎日夜中までの働き、勉強し続けた。それぞれの夢は極めて素晴らしく、夢や目標が明確でそれに向かって各々真剣に向き合っていた。

そうしているうちに、自分という存在は、極めて普通で凡人であるというのを感じ始めた。
才能がある人は、持って生まれたセンスがやっぱりある。
メイクの感覚や、スタイル作りも努力してできることと、そうでないことを、まざまざと目の前で見せられる毎日。
だんだん、「自分は向いていないんじゃないかと?!」
じわじわと迫る毎日。

「向いているか向いてないかなんて考えるな。そんなこと考える暇があったら、もっと努力せい!!」自分の奥から、そんな声が聞こえてくる。

「好きで、やりたいからやる」その気持ちを、何処かに置いてきてしまったのだな。

気が弱ってくると、人間は自信を無くして卑屈になってくる。
いつの間にか、初心の気持ちを忘れてしまって、葛藤の日々が続いていた。

みんな歯を食いしばりながら、何かにしがみつきながら、振り落とされないように、ひたすら前を向いて毎日いた。
そこでついていけない人は自然に去っていく。何かを極めていくには、それは当たり前のことで、感情論で話したところで極めることはできない。

厳しいけどある意味、それは暗黙の了解として誰もが理解していた。なので辞めていく者に対して誰も、引き止めたりせず何も言わなかった。
「そうか、、、がんばれよ。。。」
そんな優しい言葉だけを投げかけて、その人の未来を祈りながら。

「 消えてゆくパッション」

何かを成し得たいと思う情熱の熱量は、人それぞれ。

それに対して、無理強いは誰もできない。
自分に対してすらできないのである。
熱量があれば、大変と思うことも自然とできる。

情熱に従い行動するときって、頭で考えたりしないし言い訳もしないし、誰のせいにもしない、何も考えていない程、夢中だから。夢中になれる生き方ってすごい幸せなことだ。情熱を失った人生は、ある意味苦悩だ。

自分に、才能がないと気が付き始めてから、少しずつ情熱の熱量が下がってきていた。才能が無いなら無いなりに努力すれば、それはいつか形になる。それも実は素晴らしい才能の一つ。当時そういう発想はなかった。

才能がない自分を認めることは、なかなか出来ず受け入れることが出来ないまま、心の奥の奥のほうでは、もの凄い葛藤しながら、じりじりと毎日過ごし、魂の声を無視して働き続けた。

そのうちに、体調が悪くなり一年以上も微熱が続いて身体はだるく、顔はむくんでいた。肌が弱かったのでシャンプーやパーマ液、カラー剤などの薬品で、手がぼろぼろになり、指の関節のところは常にぱっくり割れていて、どうやらそこから身体に、時間をかけて薬剤が経皮吸収していたようだ。リンパ節が腫れていて、腎臓が悲鳴を上げ身体が全力で止め始めていた。

そもそも病院嫌いな魔女であったが、あまりの体調不良で、やっと病院に行き色々検査してもらったが、お医者さんは原因も病名も分からないと。

ただ血液の数値が悪すぎて、貧血もひどく、ガンセンターへ紹介状を渡され行くように言われた。そこで「白血病の一歩手前です」そう、すんごく簡単に言われたのは覚えている。

「止まりなさい!!身体からの警告」

ただ自然か、不自然か。。。ということを考えると、自分の魂がストップをかけるなら、極論をいえば、それに応じて全てを投げ出し無視して止まってみるのが、本当は自然なんではないか?!

動物は、風向きが変わったり、何かを直感で感じたらそれに応じて行動する。いちいち「あっ栗の木があるので、栗を探しに行きますよ。あっ、べりーの実がなってるから栗はやめて今日はベリーにしましょう!!」なんて説明しながら生きていない。人間は、立場や記憶という概念をデータに行動するから、なかなか立ち止まり自由に変更することができない。

約束でなくても、自分で言ったことにすら、すぐ縛られてしまう。人間が動物のように自由にもし行動するとしたら、魂の声に従って生きることが、そういう感覚に近いかもしれない。

魔女もこの歳になり、いろんな経験をさせてもらったけど、もうこれからは、その方向で生きていこうと思う。

お互いがそうやって生きていけたら、許しあうことができて、誰もがいつだって自由である。そういうことが、本当の意味で受け入れられるような気がする。そして人間の苦しみはもう少し楽になるんでないか?!もっと自然に風に吹かれるように、生きていけたらみんな幸せでないかい?!そんな風に思うのだ。

あの頃の魔女の身体は、完全に壊れていた。魂は、必死に声をかけていただろう。

「そっちじゃないよ。頑張る方向ちがうよ。」

身体とは・・・魂の乗り物。そして、肉体は記憶する。肉体の記憶はすごい。人の体を触り30年になるが、確実に意識と同じように肉体に、エネルギーレベルで痛めたところが記憶されているのを、いつも思い知らされる。例えば、本人も忘れているような古傷が、身体に残りずっと解放してほしいと願っている時がある。または、魂の働きと成長にとって何らかの必要性がある時、それに気が付いて欲しくて、身体は痛みをぶり返したり、いろいろ症状をおこし知らせる。面白いと感じられたら、身体と会話するのが何よりである。どう会話するかは、していればできるようになる。


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