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この期に及んで  その2

1度目の北海道は、地元の方々のお世話で、外国からの旅行者が泊まり、自炊が出来るようなホテルを用意して下さり、そこで、自分たちでいつも通り、でも、時間をかけてゆっくりと食事の支度をして、食べることが出来ました。

その当時は、鍋釜や、カセットボンベの卓上コンロを持ち運び、

それで玄米を炊いて、おにぎりを握ったり、移動中、豆乳でヨーグルトを作ったりしながら、それを食べていたので、菜食主義な傾向でした。

でも、1度目の北海道のホテルでは、
ガスコンロもいくつかあり、温かいものを、温かいまま食べることが出来たり、

また、自分が作りたいものを人数分作ったりして、料理をする楽しさを久々に味わえたりして、楽しかった印象でした。

そして次の年の北海道で、

運命の出会いがありました。

2年目の、『命の行進』では、福島へ向かう行脚の途中で、浜辺で踊りながら祈りを捧げている女性、マリコさんと出会いました。

その方は北海道から来ていて、普段はダンスのインストラクターをしている方でした。

スピリチュアルな感性の持ち主で、ご自分の舞で、亡くなられた方の慰霊をされているそうでした。

震災後、福島の海(と言っても、福島の海岸には事故後近づけないので、福島に近い海岸)に来て、祈りの舞を捧げているということで、

我々も、亡くなられた方々に、祈りを捧げて歩いていることを話し、この後
北海道にも向かうことを伝えると、北海道で、交流会をすることになり、その場はそれで別れました。

その後、所用のため自分は行進から離れ、北海道へ向かった行進団とは、後で合流することになりました。

札幌市に手稲区というところがあり、手稲駅に隣接している公民館のような施設があり、そこで交流会が行われることを聞いていたので、その場所に向かいました。

行進団と合流する前に、せっかく北海道に来たのだから、どこかでラーメンでも食べたいなぁと思い、駅について、あてもなく道なりに進んでいくと、いつの間にか自然にその公民館の中に入っていくことになり、ラーメンにたどり着く前に、交流会が行われる場所にたどり着いてしまいました。

10人近くの人たちがお集まりで、その中で、テキパキと指示を出して立ち振る舞う女性がいて、

その的確で、細やかな指示の出し方に、

『すごい人がいるなぁ』

とその方の印象が強く残りました。

その後も、その女性、リエさんには、北海道にいる間は、色々な形でお世話になりました。

行進団は、その日の日程を歩き終えた後に、近くの銭湯に行っているというので、みんなが来るまで、一人で部屋の隅に座って待っていました。

やがて行進団のみんなが戻り、交流会が始まって、私たちが歩いている理由や、福島で出会ったことをきっかけに、こうして交流会になり、話し合う機会が持てて有難いというような流れでした。

その夜は、福島で出会った、マリコさんのお宅に泊めて頂けることになり、車で移動して、休ませて頂きました。

その後は、北海道に2、3日滞在して北海道庁に請願書を提出に行ったりして過ごし、小樽から新潟行きのフェリーに乗って、北海道から出発する時にも、マリコさんやリエさんがお見送りに来て下さって、後から聞いたら、フェリーが見えなくなるまで見送っていて下さったそうです。

新潟に渡り、本州にある各地の原発を巡り、鹿児島の川内原発にも渡り、最終的なゴールは、8月6日の広島だったのですが、そこに、

北海道から、マリコさんや、リエさんが来て下さったのでした。

初めて見かけた時から、その働きぶりに惹かれて、気になっていたリエさんが、わざわざ北海道から来て下さるとのことで、また会えることにワクワクしていました。

またまた長くなりましたので…。

その3に、続きます。

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