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この期に及んで…。 その1

二十歳で出家してから今まで、ずっとひとりでした。

途中で、好きになった人はいましたが、結婚まで至らず、

人から紹介されて、お見合いも何度かしましたが、お寺生まれの娘さんとのお見合いが多かったので、

価値観やものの捉え方の違いが大きくて、人と接する上で、勉強にはなりましたが、決まることはなく。

そのうちに、僧侶と言う生き方を極めるならば、

『出家』 すなわち、家を出て、仏様の教えに則って生きることが本来であり、

結婚して家庭を作り、家に入るのは、間違いとまでは言わないまでも、

自分の身一つで、どこにでも行き、どこで亡くなっても構わない…

と、思うようになり

お坊さん仲間と、2011年3月、発生した東日本大震災当時、津波で亡くなられた方々の御供養をする為、津波の被害があった、千葉県九十九里から歩き始め、岩手県宮古市の浄土ヶ浜まで、
40日以上かけて、歩いて被災地に向かい、御供養しました。

そんな慰霊の行脚を、

『命の行進』と名付けて、祈り歩いていました。

テントと寝袋と、鍋釜を持って、津波ですっかり流されてしまい、家の土台しか残らない場所にテントを貼ったり、

一晩休ませて頂くために、行く先々のお寺の駐車場をお借りしようとお断りをしに行くと、お寺の建物の中に通して頂いて、ゆっくり休ませて頂けたりすることがあり、

御供養をする事で、その場所に住む方々に喜んで頂けることもたくさんありましたが、

見ず知らずの私たちを、温かく迎えて下さり、一夜の宿として提供して下さったり、突然のお声がけにも関わらず、温かい食事をご用意して下さったり、

人様の気持ちの温かさに感激することも、数知れずありました。

そんな被災地への御供養から、私たちのこれまでの生き方について、もう一度反省や、軌道修正が必要ではないかという思いに至り、

自然の前では完全に無力で脆弱な人間が、一たび何かあれば、コントロールしきれない原子力発電の危険性について、同じ出来事は繰り返したくないという思いで、全国に54箇所ある、原子力発電所を周り、事故などが起きないように、

また、誰かや何かの犠牲の上に成り立たせる生き方を改めて考え直してもらいたいという思いで、

北は北海道の泊原発から、

南は鹿児島の川内(せんだい)原発まで、

全国の原発を祈り歩いて周ることを、
2年続けました。

行く先々で、たくさんの方々にお世話になり、ご縁も繋がり、

原発の関係者の方々には、好意的に迎えて頂くことは、残念ながら少なかったけれど、

それでも、各地元の方々や、その場でお目にかかる方々とのふれあいが、とてもありがたく新鮮で、

こうして、祈り歩き続ける人生こそ、坊さんの生き方の一つとして、アリなんじゃないか?、と思っていました。

そして、全国の原発を回る『命の行進』の、2回目の北海道入りで、


彼女に出会いました。

長くなりましたので、続きます。



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