ロジャー&ルーファス親子インタビュー(2013.12)

The Sunday Times:
https://brianmay.com/queen/queennews/queennewsjan14a.html#06

「親父のようにめちゃくちゃをやりたかった」

クイーンのドラマー、ロジャー・テイラー(64)と、やはりドラマーの息子ルーファス(22)が歴史上最も有名なロックバンドの一員であることや道を踏み外すこと、そして結婚を住宅ローンのように感じる理由を語る

ロジャー

初めて父親になったのは30歳の時で、クイーン結成から10年が経っていた。しかし自分はちょっとしたロッカーで、結婚したのはその8年後だ。結婚は住宅ローンのようなものとずっと思っていた - 人を縛りつけようとする社会の陰謀だよ。意味のない契約が多くの不幸をもたらしてきた… 紙切れ一枚のために一緒にい続けるはめになる。そうすべきだった時よりずいぶん後になってから別れた俺自身の両親みたいにね。カップルはうまくいくか、いかないかどちらかだ。単純な話だよ。

ルーファスは自分の3人目の子供で、妹が二人いる。タイガーリリーとローラだ。ルーファスの母親(デボラ・レン)とは15年ほど一緒だったが結婚はしなかった。その前の相手(ドミニク・ベイランド)との間にフェリックスとローリー・エレノアがいるが、その時は最後に結婚した。フェリックスとローリーが経済的に困らないようにしたかったのだと思う。

当時の自分の生活が…つまりその、複雑だったのは認める。みんなにとって奇妙な時期だった。恋愛関係が単純で簡単なものなら素晴らしいだろうね。悲しいかな、自分に大きな意味を持つ相手との別れが単純で簡単なんてことはありえない。俺にとって常に大切なのは子供たちが互いに支え合い、きょうだいだと感じられること。この子はこの相手との子、あの子はあの相手との、なんてない。彼らは5人のギャングなんだ。

1991年にルーファスが生まれた時フレディ・マーキュリーはまだ生きていて、二人はとても相性がよかった。フレッドはいつだって子供の相手が素晴らしくうまかったんだよ、念のため。タイガーというルーファスのミドルネームを考えついたのは彼だ。自分はほとんどの「パパの仕事」はうまかった。おむつ替え以外は、だが。車で移動中の非常事態に一、二度ルーファスのおむつを替えたことはあるが、男は概しておむつ替えにはぞっとしがちでは。自分自身の子供でもウンチのにおいはひどいものだよ。

バンバン叩きまくれるので子供はみなドラムに魅せられるが、ルーファスの素質は明らかだった。血筋なんだな。12の時に最初のドラムキットを買い与え、俺やその友達フー・ファイターズとつるんだものだよ。レディングフェスティバルの映像にはルーファスが映っている。その経験の後、彼は「パパ、僕は一生これをやりたい」と言ったんだ。

ルーファスは学業には興味がなく、15か16で学校を退学になった時には多少ゴタゴタした。彼と話をしたが、正直なところどうすればよいのかわからなかった。スイスのスキーインストラクターコースを勧めてくれたのはデイモン・ヒル(※F1ドライバー)だ。子供に少しばかりの自信をつけさせるにはとてもいいぞとね。ルーファスは嫌がったが、フェリックスに電話をさせて「いいか、毎晩女の子と寝られるんだぞ!」と言ってもらったんだ。ルーファスは魔法にでもかかったように気を変えたよ。多少女好きなのは確かだね。彼は多くの面で俺に自分自身を思い出させるんだ。

残念だが、ルーファスの母親とは12年ほど前に別れた[テイラーは2010年にサリナ・ポジーターと結婚した]。人間は石でできているわけではないので時には困難な状況もあるが、切り抜け方はそれぞれ自分で見つけるしかない。ここ最近はみんな仲良くやっていて、5人の子供たちには全員しっかりした道徳観があると思いたいね。スポイルされたロッカーのガキはたくさん見てきたが、ありがたいことにうちの子たちはそうではない。

ルーファスには自身の音楽プロジェクトもいろいろあるし、クイーンといっしょにツアーもしている。我々のパーカッショニストで第2ドラマー、自分の負担を軽くする手助けをしてくれているんだ。ステージの反対側にいるルーファスを見ると誇らしくて顔がほころぶ。彼がそこにいられるのは俺の息子だからだと人には当然のように思われたりするが、全くくだらない! クイーンの話をしているんだぞ。ステージで場所の無駄になるだけなら使ったりするものか。ルーファスはものすごく優秀なドラマーだからそこにいるんだ。

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ルーファス

父が有名だとは10歳ぐらいまで知らなかった。音楽をやっているとは知っていたし壁越しに聞こえるドラムの音とともに育ったけど、はっきりわかったのはあるライブで父が自分と友達をステージに引っ張り出した時。この人たちはみんなパパのドラムを聞きに来ただって? なんてことだ!

父はものごとを普通の状態に保っておくのがとてもうまく、自身の人生で何が起きていようと自分や兄、姉や妹たちがきちんとした子供時代を過ごせるようにしてくれた。兄のフェリックス 、姉のローリーは覚えている限り自分の人生の一部だ。父の相手は何人か替わったが、俺たち全員を自分の子供としてみてくれている。

母と父は結婚しなかったが、それでも別れた時は大変だった。多少の怒鳴り声がしばらく続いたし記事にもされた。でも、クソみたいなことは起きるものなんだ。カップルは別れる。二人は別の道を行きそれぞれ自分のことをしてきた。そして最近はもっといい関係を築いているよ。

父は自分にドラムを押し付けはしなかったけど、ハイハイをする前からドラムキットに座らせていたと聞いてる。そして自分は歩き始めるとすぐにその辺のものを叩き始めた。あるクリスマスに大きな箱がベッドルームに届いたんだけど中を見るまで何かは分からなかった。自分用のドラムだ!それで次の6年は決まった。俺がやりたいのはドラムを叩くことだけだった。

成長するにつれ、父が何者かということが他人には問題になり始めた。学校では他の生徒とは違うように俺と接する子たちもいた。彼らは俺のことを実際とは違うふうに思っていたんだ。それはもしかしたら金のことかもしれないけど、わからない。父は金のことを決しておおごとにはしない。俺は家が大きいとは気づいていたけど、他の子たちと同じようにお小遣いをもらっていた。父の人生に対するスタンスは常に、自力でなんとかするべき、というものだった。何かを望むならそのために努力すべし、と。

ティーン時代には解決しなければならない問題が少しあったのは事実だけど、くだらないことだったんだ。俺は間違いを犯した。そして退学を命じられた時、自分は変わらなければと気づいた。父を本気で怒らせたのはその時だけだ。いわゆる父と息子の会話をして言われた。「いいか、お前にはチャンスが山ほど与えられている。そのチャンスを無駄にするな - 人生を無駄にするんじゃない」

「ちょっと待てよ、親父の人生だってたいがいクレイジーだったろ。俺が多少めちゃくちゃやってなぜいけない?」と言いたい部分も少しはあった。でもあの件で楽しく過ごすばかりが人生ではないと理解したんだ。大事なことに集中しなければならない - パーティーや女の子はナイスなおまけにすぎない。

クイーンとしての人生について親父を質問ぜめにした時期があったけど、昔のそういう話を聞き出すのはなかなか大変だ。そう簡単には教えてくれない。父とフレディはあらゆることをやったクイーンの「悪い子たち」だったらしい。一体どんなことをしていたのか想像はするけど、それが何にしろ実際はその倍はクレイジーだったに違いないね。知らない方がいいのかも。

でも父にはどこで線を引くべきか心得ているクレバーさもあった。プレイボーイのライフスタイルを楽しんでもバンドには気を配り、やるべきこともわかっていた。彼には常に自制を保てる一面があるようなんだ。

クイーンを結成する前は歯科医になるはずだったと父に聞いた時はそれほど驚かなかった。その人生は…すごく違ったものだっただろうと思うだけだよ。

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