なぜ人は食べ物を粗末にしてはならないのか問題について
小さい頃から
食べ物を粗末にしてはいけないよ、出されたご飯はしっかりと残さず食べるんだよ、お米の一粒一粒に神様が宿っているんだからね。
などど、口酸っぱく教えられながら育った僕は、何も疑うことなく
食べ物を粗末にしてはいけない。
という思想を持った人間に育った。でも、今日ふと思ったのだけどこれについて明確な理由を述べることができる人はいるのだろうか。
きっとみんなは言うだろう。「生産者が一生懸命作ったものだから」「犠牲になった命があるのだから」「食べたくても食べられない人だっているのだから」だから日本人は食べる前に手を揃えていただきますといい、食べ終わったらご馳走様でしたと言う。でもそれに対して言う人もいると思う。「お金を払って買っているのだからどうしようと自由だ」と。その通りだなと思う。
そもそも何をどうしたら粗末にすると言うことになるのだろうか。粗末についての明確な定義がない以上みんなが納得する答えは出ないのではないだろうか。
ありとあらゆるSNSが普及している今、食べ物で遊んで炎上している人も少なくない。もちろんそれらが食べ物を粗末にしていることは一目瞭然である。しかし、無駄になった食べ物という観点から言うと食べきれなくて残した食べ物、買ったはいいが消費しきれず腐らせてしまったもの。これらも同等なのではないだろうか。
また、古来から日本では残さず綺麗に食べることが美学とされている。でも疑問なのだが果たして嫌いな食べ物を我慢して食べることはいいことなのだろうか。嫌いな食べ物にどうして感謝できようか。
「食べたくても食べられない人がいるんだから」
だったらその食べられない人たちにどうぞ分け与えてくれ!!と声を大にして言わずにはいられない。
結局のところ、食べ物を粗末にしてはいけないと言うのは、道徳的規範の問題で日本では文化的によろしくないよってだけなのではないだろうか。
ミュージシャンのライブで感情が高まってギターをぶっ壊す人がいる。でも、それに対してぶちぎれる人ってそうそういないと思う。自分で買ったギターだから?でもそれだって一生懸命作った人がいるよね??何故食べ物に関しては皆敏感なのだろうか。
勘違いして欲しくないが別にぼくは粗末にしている人を擁護するつもりは毛頭ない。最初に伝えた通り、ぼく自身も食べ物で遊んでいる人を見かけたら嫌な気持ちになってしまうし、ご飯はできるだけ残すまいと努力する。
結論、答えは出ないのでこれは個人の気の持ちようなのではないだろうか。答えは出なかったが調べて色々な人の意見に触れられただけでもいい機会だったと言うことにしておこう。
なぜ人は食べ物を粗末にしてはいけないのか、これは人それぞれであり他人に自分の意見を押し付けることなく粗末にしている人がいたらこの人はこういう人なんだなと見定めてそっと距離を置くのが1番いいのではないだろうか。
いや、自分には食べ物を粗末にしてはいけないと言う確固とした信念があるという方は教えてほしい。是非とも語り合いたい所存だ。
以上、終わり。
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