セルフリノベーションで誇れる場所をつくり、感動を伝える | カフェ/rub luck cafe 和歌山県有田市(2017年掲載事例記事)
rub luck cafeってどんなところ?
貫禄あるヒゲ、頭には手ぬぐい、足には地下足袋。「rub luck cafe」のオーナーである源じろうさんは、一度見たら忘れられない、現代に生きる侍のような人。和歌山では「あの源じろうさんが……」で話が通る有名人。
「proyect g oficina / 源じろう計画事務所」という屋号を掲げ、つくったお店は5つ。和歌山の海辺カフェの先駆けとなった蚊取り線香工場の倉庫跡をリノベーションしたカフェ「rub luck cafe」、若者の熱気が集うまちなかのカフェ・バー、歴史あるお寺の門前に開いたカフェ、漁協組合の倉庫跡を活用した地魚を提供する大衆食堂、県立美術館のアートカフェ。今は無くなってしまったものの、地元では伝説となっている小さな“デパート”も手掛けていました。
「rub luck cafe」をはじめとするこれらのお店は、名前も個性もバラバラですが、東京にも京阪神にもない、和歌山にしかない場所。その土地だけが持つ美しさを掘り起こし、地元の人が誇れる場所となっています。
rub luck cafeができるまでのストーリー
STEP 01 こんな場所から始まった
大学を中退してレーサーに。30歳であきらめた夢
「rub luck cafe」に辿り着くまでには、紆余曲折あったという源じろうさん。
源じろうさんは1971年和歌山市生まれ。和歌山市で育ち、放課後はいつも友人と雑賀崎という岬に自転車で走って行き、海に潜って遊んでいたのだそう。その後、大学へ進学。世間はちょうど二輪バイクのブームが起こっていた時代で、源じろうさんもその影響を受けて「モトクロスバイク」にのめり込み、大学を中退してレーサーを目指します。
「でも、モトクロスが得意だったという訳ではないんですよね。バランス感覚も悪かったし、どちらかと言えば下手の横好き。それでも、がむしゃらに取り組んだら、国際B級ライセンスまで辿り着いたんです」
しかし、30歳の時に体力と技術の限界を感じて引退。
「かと言って、サラリーマンは性格に合わないと自分自身で分かっていて。当時の奥さんの父親が陶芸を扱ううつわの問屋さんだったので、京都の清水焼など、各地の窯元に連れて行ってくれたんです。それで陶芸の奥深さに惹かれ、流れでうつわ屋を始めることにしたんですよ。まちなかの飲み屋街で開いたのが『うつわの店 源じろう』でした」
実は、源じろうさんの本名は半田雅義さん。「源じろう」は、戦国武将・真田幸村の元服名で、彼の生き様に惚れ込んで店名に選んだのだそうです。
STEP 02 物件との出会い
場所の可能性を最大限に引き出す
セルフリノベーションの原点
最初の店では、扱っているうつわの良さを知ってもらおうと、うつわにコーヒーを淹れ、飲み帰りの人を捕まえては無料で振る舞っていたという源じろうさん。そんな頃に出会ったのが、大正期の近代建築「旧西本組本社ビル」でした。戦災によって古い建築がほとんど残っていない和歌山市において、とても貴重な建物です。1階と3階が空いていると聞いて、うつわ屋を移転。そして、この場所の可能性を最大限に引き出したいと自らの手でリノベーションを始めます。
「リノベーションの手法をきちんと学んだことはないので、ほとんど独学ですね。見よう見まねでやりました。だけど、モトクロスでバイクをいじっていたので、道具を使うことには慣れていましたね」
その後、2階も空いたため、1棟まるごと借りることに。地名を取って「小野町デパート」と名付け、カフェや雑貨屋、ギャラリーを運営。陶芸家はもちろん、映像作家や絵描き、ミュージシャンなどを招き入れ、時には屋上まで使ってイベントを開催することも。気がつけば、多くの若者が集まる場所になっていました。このビルとの出会いから、源じろうさんのセルフリノベーションでの場所づくりが展開されていきます。
STEP 03 想いを伝える仕事をつくる
大海原に沈む夕陽
何千年も前から続く景色と出会う
若
者のカルチャーに大きな影響を与えていた「小野町デパート」でしたが、経営面では家賃の支払いなどで苦戦していたと言います。
「和歌山の人はセンチメンタルになると、なぜか海岸線を南に下るんですよ(笑)。だけど、その国道が有田市の途中で、急に山の方向に向かうんです。その時ふと、『海方向の道の先には何があるんだろう』と思って、国道から外れる道を進んだんですよね。すると突然、道の真ん中に大きい鳥居が現れて……。神秘的だなと思いながらくぐり、さらに進むと目の前に海がばーっと広がり、海に沈む夕陽が見えたんです。その景色が本当にきれいで、車を停めてしばらく見入っていました。ふと振り返ると、大きな倉庫があって賃貸の看板が出ていたので、センチメンタルな気分も忘れてすぐに電話しました。地元の漁師さんしか通らないような場所で周りからも反対されましたが、ここで店をやろうと決めました」
小野町デパートでの経験から、オーナーさんに賃料の値下げを相談。自分が感動したことやこの景色をみんなに見てもらいたいこと、大切に長く使いたいから50年契約でも良いと想いを伝えました。10万円と記されていた家賃は5万円になり、リノベーションの許可ももらいました。それから再び、セルフリノベーションでの店づくりがスタートします。
「初期投資は、銀行から借りた300万円。そのお金で中古キッチンやトイレ、板、ペンキなどを購入しました。一部の改修作業はプロに頼みましたが、出来る範囲は仲間とセルフリノベーション。あらかじめデザインした完成予想図はなく、頭の中に浮かんできたものをつくっていく感じで。毎日ペンキまみれになりながら、3ヵ月間くらい作業しました」
そして、2008年8月にオープンを迎えました。
STEP 04 その場所の自然、歴史、時間を活かす
今あるものを使って、
和歌山が誇れる場所をつくり続ける
周りに何もない場所に開いた「rub luck cafe」でしたが、土地の美しさと源じろうさんの想いが伝わり、わざわざ京阪神からも客が訪れる人気店に。和歌山の海辺カフェの先駆けとなり、海岸沿いにはいくつかのカフェが生まれました。そのなかには、源じろうさんの場所づくりを手伝い、彼の背中を見てお店を出す決意をした方もいるのだそう。
その後、小野町デパートは閉店しましたが、源じろうさんは和歌山のいろいろな場所で次々と場所づくりをしていきます。共通しているのは、それぞれの土地が培ってきた自然や歴史、流れる時間を活かすこと。そして、捨てられる運命にある“廃材”をふんだんに利用して場所づくりをしていること。
「普段から和歌山中を軽トラで走り回って、良い場所がないか探しています。場所を選ぶときは、自分自身が本当に感動した場所、そして、地元の人が誇れる場所づくりが出来るかどうかで決めています。ここぞと思った場所があっても、rub luck cafeの時とは違って、今は決めるまでに何度も通います(笑)。僕の想いが本当なのか、その場所も僕が来てくれたら嬉しいのか、お互いを知るために対話を重ねる感じです」
「都会の真似をしたり、“スクラップアンドビルド”でどんどんまちをつくり変えていくのではなく、和歌山に今あるものを大切にしたい。その想いで廃材をたくさん拾ってきて使っています。お店の周りに住んでいる方が、1軒の空き物件が生まれ変わる様子を見て、『古いものを活かすってカッコイイことなんや』と気付いてくれたら。その結果、少しずつでも“和歌山が培ってきたものを活かしたまち並み”が広がっていってくれたら、こんなに嬉しいことはないですね」
STEP 05 未来に向けて
自分たちの小さな一歩が、
美しいまち並みにつながっていく
場所づくりをしたくても、勇気やお金がなくて一歩を踏み出せない人は多いかもしれません。
「300万円必要なところ30万円しかないのなら、まずは30万円で出来ることから始めれば良い。失敗して、苦労して、いかに乗り越えていくのか。僕もこれまでいろんな失敗をしてきましたが、勉強代だったと考えれば安いものだと思うようにしています。やれない理由を並べるのではなく、失敗しても良いからとりあえずやってみること。自分が感動したことを伝えることに、カッコつけず、真っすぐ向き合うことが大切だと思うんですよ」
そして、気になる源じろうさんのこれからを聞いてみると、楽しそうに答えてくれました。
「今考えているのは、県外から進出してくる大手コーヒーチェーンに負けないような、そして“地元の雄”となるような大型焙煎カフェをつくること。ほかにも、和歌山市から海岸線を南に下って田辺・白浜を通り、反対側の新宮あたりまで場所をつくり続けたい。やったことがないけど、これまでもやったことがないことばかりやってきましたんで。自分たちの小さな一歩が、美しいまち並みにつながっていく」
源じろうさんは、今日も自分の感動とワクワクを信じ、和歌山に誇れる場所をつくり続けます。
(Writer 武田 健太)