八ヶ岳日帰り縦走に行ってきた話
登山を続けていると次第にもっと登りたくなる。もっと長い道のりを歩きたくなる。そのためにトレーニングを重ね、自らを鍛え、そして山という壮大な自然の前で、ちっぽけな自分を感じる。これはただの自己満足かもしれないが、長野と山梨の県境に南北に連なる八ヶ岳を日帰りで縦走することは、ある種の「挑戦」であり、自分自身との闘いでもあるのだ。
出発まで
実は去年(2023年)の夏にも一度挑戦をした。その時はDNF(Did Not Finish)で終わってしまったので、リベンジを誓っていた。
と考えていたところ、去年も一緒に挑戦してくれた𝕏(Twitter)のフォロワー ボンバイエ氏 (@bonbaieeeeeee) に声をかけてもらい、再び二人での挑戦となった。
ボンバイエ氏と相談し、縦走予定は2024年6月22日(土)に決まった。しかし梅雨入りが発表された直後で天気が心配だった。天気予報サイトやWindyを逐一チェックしながら、週末の天気にやきもきしていた。直前になって予報が好転する。低気圧が抜け、奇跡的に好天が予報されている土曜日。予報では、午前中は晴れ、午後から雲が出始め、低気圧が近づく夜から雨が降り出しそうだったが、明るいうちに下山すれば問題なさそう…ということで決行することになった。
前日の金曜日、車でスズラン峠に向かった。途中、羽生のモンベルに寄り、塩ジェルや行動食をいくつか買い足した。スズラン峠には夜の10時半頃に到着した。ボンバイエ氏とは午前1時30分に落ち合う約束をしていたので、そのまま車内で仮眠をとることにした。午前1時にアラームが鳴り、目を覚ますと、外にはボンバイエ氏のジムニーが静かに止まっていた。
急いで準備を整え、ボンバイエ氏の車に近づき、コンコンと窓をノックする。暗闇の中で彼がニコッと笑い、その白い歯がちらりと見えた。約1年ぶりの再会だ。僕はボンバイエ氏の車に乗り込み、編笠山登山口の観音平を目指す。スズラン峠からは車でも1時間弱かかる。
ボンバイエ氏とは昨年の八ヶ岳縦走以来だが、山の話は尽きない。お互いが去年歩いた山の話や、おすすめの山域、今年の夏の予定などを車中で話し続けた。夜の静寂の中で、僕たちの会話だけが車内に響き渡っていた。
ジムニーは闇夜を切り裂くように進み、午前2時半に観音平に到着した。驚いたことに、駐車場には深夜にもかかわらず多くの車が停まっており、出発準備をしているグループもちらほら見えた。観音平は入り口から左手に進むと上にも駐車場があり、僕たちは今回こちらに車を止めることにした。
八ヶ岳縦走の始まり
⏰AM2:36 観音平スタート
準備を整え、暗闇の中を観音平から歩き出す。まずは最初のピークである編笠山を目指す。駐車場からしばらくは傾斜も緩やかだが、このルートは次第にその牙を剥き始める。傾斜が急になり、ゴロゴロとした岩も目立ち始める。まだ序盤なので、全力で登らずにあえてペースを抑え目にする。バテるほどの速さで登らないのが登山の鉄則だ。観音平から編笠山までは意外と標高差があり、登るのに苦労するが、僕たちは淡々と歩を進め、約1時間半ほどで頂上に到達した。
丁度空が明るくなり、振り向くと美しい富士山のシルエットが見えた。南アルプス、北アルプス、御嶽山などを一望することができた。天気が良ければ編笠山からの眺めは格別である。僕たちは一通り景色を楽しみ、写真を撮った後、次の目的地である権現岳を目指す。
編笠山から権現岳へ行くには、一度青年小屋まで下らなければならない。その途中二人組みの登山者とすれ違う。青年小屋の手前には大きな石がゴロゴロと転がっており、その上を慎重に進んでいく。
青年小屋を過ぎると再び登りに入る。最初は樹林帯だが、登っていくにつれてザレた岩場になっていく。権現岳は編笠山よりも標高が高いため、途中の登山道からは編笠山や青年小屋を見下ろす形になる。八ヶ岳の主峰である赤岳や阿弥陀岳もよく見える。
⏰AM5:17 権現岳登頂
編笠山から約1時間程で、僕たちは権現岳(標高2715m)に登頂した。権現岳からも見事な富士山の眺めが楽しめた。ここからは、長い名物梯子「ゲンジーハシゴ」を降りることになる。梯子を慎重に降り、キレット小屋を経由して赤岳へと進む。
キレット小屋から赤岳までは、まるで壁のような急峻な岩場を登っていく。八ヶ岳の中でも最も難関と言われている箇所だ。昨年来た時は、暑さと急登によりメンバー全員がかなり消耗してしまった。しかし、この日は幸いなことに気温が低く、日も当たらないので、涼しいうちにこの難所を通過することができた。
⏰AM7:02 赤岳登頂
丁度朝7時に赤岳に到着した。観音平から約4時間半の道のりであった。朝早かったため人も少なく、赤岳からの大パノラマを存分に楽しむことができた。山頂から少し移動し、赤岳頂上山荘前のベンチで休憩を取る。ここからの眺めは格別だ。遠く蓼科山までの八ヶ岳の主稜線を一望することができる。しかし、最終目的地である蓼科山は遥か遠くに小さく見える程度。その姿に思わず嘆息を漏らした。
赤岳頂上山荘を出発し、次のピークである横岳を目指す。途中で、同じ1DAY縦走をしている方と出会った。その方は、小淵沢の道の駅から観音平まで走ってきた上に、「ついでに」と阿弥陀岳のピークにも寄り道していたそうだ。帰りも走って戻るとのことで、その驚異的な体力には感心した。僕らは縞枯山付近まで抜きつ抜かれつの状態で進むことになる
体調がおかしい
赤岳から横岳、硫黄岳と順調に進んでいたが、この間ずっと頭痛に悩まされ、行動食をあまり取ることができなかった。このことが後半に大きく影響してくる。頭痛は麦草峠を過ぎた後に消えたため、おそらく高山病の初期症状だったと思われる。
去年登った時は頭痛はなかった。最近登った他の山でも高山病の症状は一度も経験したことがないが、今回は寝不足気味なのと2800m以上の稜線が続く赤岳〜硫黄岳間の標高によって症状が出てしまったのかもしれない。
天狗岳以降、頭痛と蓄積した疲労で足が重くなり、高見石小屋から麦草峠まで行動食があまり摂れず、ハンガーノック気味になってしまった。フラフラの状態で何とか12時過ぎに麦草峠に到着した。
麦草ヒュッテでコーラとポカリを購入してコーラを一気に300ml飲み干した。行動食も無理矢理胃に流し込んだ。するとどうだろう…コーラのおかげでかなり回復し、赤岳から続いていた頭痛もすっかり消えたのだ。
ちなみに麦草ヒュッテではコーラやポカリを200円で買う事ができ、軽食も摂ることが出来る。補給する上ではとてもありがたい場所だ。
未知の領域《北八ヶ岳》へ
麦草峠は去年DNFした場所だ。ここから先は未知の領域。
八ヶ岳日帰り縦走をする上でのポイントは、麦草峠まで消耗せずに早い時間帯に到着することだと思う。マラソンでよく言われるのが「30kmまではジョグ感覚で走り、30km過ぎてからが残り半分という気持ちで走れ」というのと同じだ。感覚的には麦草峠まで来てようやく半分と思っておいた方が良い。そのくらい北八ヶ岳は手強かった。
麦草峠からは茶臼山、縞枯山へと進む。この辺りはピークごとにアップダウンがあり、登りはほぼ直登に近く、地味に辛い。このアップダウンで脚が削られる。
雨池山を降りてから三ッ岳へ登り返すところは、鎖場がありの急峻な岩場だ。事前の知識がなかったので、初めてのルートに少々驚いた。ここは体力的にかなりキツかった。
登りきってから北横岳ヒュッテまでは、地形図を見ると標高差はあまりないが、特徴的なゾーンがある。ここはゴロゴロとした巨石の上を歩いて行く区間で、所々岩と岩の隙間にぽっかりと大きな空洞が開いている。落ちたら助からないほどの深い落差があり、底には誰かが落としたペットボトルなどが散乱していた。スピードを出せないため、慎重に岩と岩の間を飛び越えて進んでいく。バランスを崩して転倒したりすると危険だ。
北横岳を過ぎると、亀甲池まで約500メートルの標高差を一気に降りる。これもまた長い下りだ。足場が悪く、ザレている箇所もあり、スピードを出すことが難しい。樹林帯で展望もないため、ただ黙々と果てしなく続くかのような下りを降りていく。北横岳から約30分かけて亀甲池まで降りていくことができた。
ラスボス蓼科山へ
亀甲池から蓼科山の分岐までは、滝ノ湯川沿いに水溜りが多く、ぐちゃぐちゃな箇所が続いて大変だった💦 最後のピークである蓼科山への登りは約600メートルを一気に上る。ボンバイエニキは余裕そうだったが、自分は明らかにバテてキツい。それでもなんとか足を運び登っていく。「あと少し…このピークで終わりなんだ!頑張れ!」と自分を奮い立たせる。
蓼科山荘に着いた頃には雲行きも怪しくなってきて風が吹き荒れてきた。寒いくらいの風だ。蓼科山荘から山頂までは残りわずかだが、大きな岩が点在しそれを登っていく無慈悲な急登が待つ。いつもなら安易と登れるくらいのペースでも呼吸が乱れ心拍数がすぐに上がってしまう。一人で登っていたら多分心が折れていただろう。ボンバイエ氏に待ってもらいながら時々息を整え、飲み物を口に含み、残りの行動食を無理やり飲み込む。そして再び前を向き歩き出す。あと少し…
山頂に近づくにつれて風が強まっていく。そして出発から15時間ほどかけて最後のピーク蓼科山に登頂。山頂は強風が吹き荒れ、じっとしていたら低体温症になってしまいそうなくらいだったので山頂写真を撮ってすぐに下山開始だ。
旅の終わり
下山は車があるスズラン峠へ向かった。重力に従って足を出すだけでよい下りは、登りに比べてはるかに楽だ。薄暗くなってきた森の中をそこそこのペースで駆け降り、蓼科山の山頂から約1時間10分で下山した。出発から16時間13分の時間をかけて、八ヶ岳主稜線の1DAY縦走を完遂した。
一緒に歩いてくれたボンバイエ氏に感謝したい。
特に痛みもなく、脚が最後まで持ちこたえたのは日頃のトレーニングの成果だろう。数年前の自分ではこんなに長く標高差のある行程は絶対に無理だった。歩き切れたことで少しだけ自信がついた気がする。愚直にコツコツと日々のトレーニングを継続すれば40代でも体力はつく。やるかやらないかは自分次第なのだ。
もっと山を歩きたい…まだ見ぬ景色を求めて。だからもっとトレーニングを頑張ろう!そう思えた山行だった。
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