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ウマ娘から入ったニワカ競馬ファンから見た競馬ファン

昔の競馬で競走馬が他の馬を蹴り倒す事件があった→ウマ娘の漫画でギャグめに再現→当時悲しんだ競馬記者がお気持ち表明、ということらしい。

気に障るポイントは人それぞれなのでどうこう言うつもりはないけれど、ウマ娘から競馬を知ったお客さんの自分からすると競馬ファンの「馬を愛する心」に解せないところがある。もともと負けたら屠殺されるような殺伐とした世界なのに、ケガや病気などに心を痛めるのは切り分けが上手すぎるんじゃないだろうか。

屠殺という極端な話をせずとも、競走馬は人間側の都合で近親交配なんかも考慮して種付けされ、ケガや死の危険性のあるレースに走らせる。それに対し「競走馬は繊細な生き物なんです!」という主張をする人を見るたびに「じゃあ走らせなければいいんじゃ・・・?」と思わずにいられない。もちろん競走馬を競走させず牧場でのんびり寿命を迎えさせるビジネスは存在しないので、「走らせるな」はイコール「産むな」という話になってしまうのだけれど、実際ケガや安楽死の危険性を賭して走らせることを目的として生産された馬を救う方法・・・というと「産むな」しかないのかもしれない。

畜産に比べたら遥かに人道的というのはわかる。ただ畜産がまがりなりにも人間が食って生きるためという大義名分があるのに対し、競馬は完全に人間様の娯楽でギャンブルなのでやはり立場が弱い。動物愛護団体やヴィーガン等のムーブメントが刃を向けるのも時間の問題・・・というかもう目は付けられているのだろう。ブロイラー等への攻撃で手一杯だから見逃されているだけで。

「競馬を楽しむ」と「競走馬を愛する」の二つの心を両立させるには強靭な覚悟と精神力が必要だと思う。自分のような常人には競走馬のケガは仕方ないもの、と割り切った方が丁度いい距離なんじゃないかなあと思います。それでも競走馬が紡いできた歴史、レースで魅せたドラマに変わりはないはず。

そう考えるとやはりウマ娘はいい線を突いているなと思う。例えば現実で「サイレンススズカの大ファンでした!」と言っている人がいたらいやあんな人間が殺したような馬を好きになる権利は我々には無いだろと思わなくもないけど、これが「ウマ娘のサイレンススズカの大ファンです!」ならあんな人間が殺したような馬・・・をモチーフとしたキャラ儚くていいよね~になる。

ただ、仮に自分が馬主だったらウマ娘に許可は出さないと思う。それは馬を愛しているからではなく、こんなもん表に出すな、という理由で。

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